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このページではちょっとした小話を掲載しています。
みなさんも小話が浮かびましたらトップページにあるメールコーナーから送ってください。楽しみにしています(*^_^*)

「コンタクトレンズの話」
 コンタクトレンズにはハードコンタクトとソフトコンタクトがあります。私は高1からソフトコンタクトを使っています。初めて目にレンズを入れたときはまるで大量の目薬を入れたかのように感じました。とても目が潤った気分でした。痛いという感じはしませんでした。ハードコンタクトは友だちの様子を見ていると風に当たるだけでも痛くて取ってしまうようです。酸素に敏感なせいらしいです。ソフトコンタクトは酸素の通気性が低く痛みを感じにくいそうです。ソフトコンタクトの方が使いやすそうなその反面、目に異常があっても気づきにくいのです。ハードコンタクトは痛みがあるのでコンタクトを外します。どちらがいいかはよく考えた方がいいか眼科とよく相談した方がいいですね。
 私は眼鏡からコンタクトに変えて景色が変わりました。世界も変わりました。目の前の異物がすっきりとれて子供の時の裸眼のように感じました。近視の眼鏡をかけると物が小さく見えるのですがコンタクトですとそれが自然に見えるのです。目が悪かったせいで眼鏡を外した自分の姿を鏡でみるのは困難でした。顔を近づけなければ見えませんでしたから。でも、コンタクトをつけてからは自分の姿がくっきりと確認できたことが何より嬉しかったです。もちろん黒板の字がはっきり見えることも感激でしたが。目の良い人はずっとこんな景色が見えていたんだなと思うと本当に羨ましいです。絶対に自分の子供には目を悪くして欲しくないと思います。

「バイトの話」
 アルバイトをしたことはありますか?様々な種類がありますが簡単なものはありません。必ずバイトについて悩んだり考えたりします。でもそこで辞めてはいけません。続ける事に意味があるのです。どんな仕事も慣れていけば必ずいいことがあります。店長や上司に誉められたり、お客様に誉められたりします。そこで人は成長します。忍耐力や達成感、信頼性、出会い、心の豊かさ等です。お金では買えないものが手に入ります。バイトをすぐに辞めてしまうとせっかく自分が成長できるチャンスを捨てることになるのです。多くの人と関わることで違った価値観を知ることができます。あるトラブルにあってもこういう考え方もあるんだぁ、自分が正しいと思っていたけどもう少し歩みよらないとと自分にゆとりが生まれます。そんな自分の成長がお金を貰いながらできるなんてバイトは素敵です。お金が関わるし社会でのことなのでクラブ活動とは違った世代を越えた大人との関わりができる場です。遊ぶこともいいですが真剣にバイトに打ち込む時期があってもよいのではないかと思います。

「病気の話」
 大切な人が病気になったり自分が病気になったとき人はどんなことを考えるのでしょうか?私が病気になった時はきっと夫(又はこの世で一番大切な人)の心配をするでしょう。夫婦はお互い助け合って生きています。まさに一心同体です。だから片方がかけたら生きていけません。不治の病になったらその時は一緒にこの世を去りたいと思います。苦しいとき程大切な人のことを心配します。自分のことだけ考えて治療に専念してくれればいいと考えますが大切だから病気になっても相手を心配するのです。それが愛だと思います。元気で幸せな時の愛とは違う真の愛だと思います。うわべだけの愛ではなく、真の愛を常に大切な人に与えていくべきだと考えます。

「卒業旅行の話」
 小学、中学、高校、大学、大学院など様々な卒業を終えた時にその時仲の良かった仲間と旅行に行くことについて考えてみました。私は小学の時は特に行った覚えはありません。中学の時はディズニーランドに行きました。四人で行きましたが残念なことにお昼に食べたコーンスープが合わなくてとても気持ち悪いひと時を過ごしました。何とか落ち着き帰りは元気になりましたけど。こういうことって多くて。ディズニーランドはあまり相性よくありません。
 高校の時は部活の人19人位で富士急ハイランドに行きました。フジヤマには二回乗りました。一回目は相当怖かったです。終わったあとはふらふらしました。二回目は楽しめました。旅館でもトランプをしたりと三年間一緒だった仲間ということもありリラックスして楽しめました。
 大学では大阪に行きユニバーサルスタジオジャパンに三月行く予定です。どんな感じになるかわからないですけど思い出には残るでしょう。
 このように卒業という節目ごとに思い出に残るイベントがありました。卒業という別れは辛いですが卒業旅行を通して思い出としていつも心の中に残っています。いつでもあの当時のことを思い出すことができます。そんな卒業旅行は私は大好きです。大切な友達、恋人、仲間と是非素敵な旅行をみなさんしてくださいね。
 そして、今回の大阪旅行も成功することを心から願っています。

「告白の話」
 愛を告白したことはありますか?プロポーズと同じくらい一世一代のイベントですよね。相手の人が自分とかけ離れた世界の人だったらショックは少ないでしょうがいつも一緒にいるうような人だったらふられたらと思うとしにくいですよね。私は情けないですが自信のない時には告白できないタイプでした。というよりずうずうしいですが男性が告白してくれるものだと思っていたというのもあるんですが。

「失恋の話」

 失恋は恋愛の中で一番苦しいことでしょう。失恋によってときには生活が荒れることもあります。やる気がなくなり愚痴っぽくなることもあるでしょう。でも、失恋で得るものはあるのです。恋心を持ち、ある人を好きになってその人に会うだけで、見かけるだけでドキドキできたことはその間の生活はとても楽しかったでしょう。きれいになったり、かっこよくなったでしょう。また、交際をできた人はその人を独占することができたはずです。好きな人の心を一定の期間自分だけのものにできたなんて思い返せば幸せでしょう。失恋することで自分はどんな人間だったか見つめなおすこともできます。他人に見せる自分というものは分かりにくいですが恋人ならそれを教えてくれたでしょう。苦しい思い出にしないで失恋を前向きに考えていきましょうね。

「たばこの話」
 
たばこというものは私は何の為に吸っているのかと思います。副流炎の放出をしてたばこを吸わない他の人にまで健康に悪い煙を吸わせています。また、歩きたばこでは、手に持つ高さが小さな子供の高さにあたりいつ火傷してもおかしくないと思います。風が吹けば、後ろを歩いている人に火の粉が飛んできて火傷の恐れがあります。殺意はなくてもたばこを吸わない人にいつでも傷害事件を起こしていると言えるでしょう。
 たばこを吸って肺がんになって苦しむのは勝手ですが、たばこを吸わない人にまで害を与えるのは辞めていただきたいものです。まず、たばこは密室で喫煙者同士で吸うことを徹底して欲しいですね。いくらお店で禁煙コーナーを作っても同室にいれば煙はやってきます。これくらいは我慢しなさいというのが喫煙者の意見なのでしょうが何も悪いことをしていない禁煙者に害のある煙を吸わせるのに文句を言われる筋合いはないでしょう。ある店で、一階は禁煙席、二階は喫煙席、三階は禁煙席というつくりでした。煙は上へと上がるので二階に喫煙席を設けるのはどうかと思います。三階の禁煙者が帰る際に階段を降りると煙でいっぱいです。嫌な者です。そこで私は全席禁煙のスターバックスコーヒーという店で休憩をするのが好きです。喫煙席は外でとてもいいです。
 
同窓会に行ったら半分位の人がたばこを吸っていました。大変ショックでした。大学生活を終えて喫煙の友達がいなかったことはほぼ奇跡に近いものだったのでしょうか。それとも私といる時は吸わなかっただけなのでしょうか?どっちにしろヘビースモーカーはいなかったということですね。ありがたいものです。これから社会人になっていくわけですが介護の仕事でもたばこがないとは言えません。必ず苦しい思いをするでしょう。在宅介護の現場では高齢者に喫煙者がいるでしょう。お客様なので吸うなとも言えませんからマスクをしてやるしかありません。それと、世の中には我慢しなければいけないこともある少々のことは耐えていけるような強い人間になって生きたいと思います。


「生と死の話」
 最近手塚治虫先生の作品「火の鳥」を読んでいます。小さい頃読んだ時は人が死んでばかりの怖い話だという思い出があったのですが、今読み返してみるといろいろと考えさせられるところが多いものです。火の鳥は手塚先生が亡くなられてしまったため、話は未完です。現在読めるのは13編、「黎明編」「未来編」「ヤマト編」「宇宙編」「鳳凰編」「復活編」「羽衣編」「望郷編」「乱世編」「生命編」「異形編」「太陽編」「ギリシャ・ローマ編」です。全てについて語っていると大変なので私の好きな「鳳凰編」「乱世編」について少し解説します。
 まず「鳳凰編」なのですが、これは我王という主人公が生まれたばかりの日に事故で片目片腕と自分の父を失うところから始まります。その姿から村の者に疎まれ、最終的には村人を殺し、追われる身となってしまいます。そのまま盗人に身をやつし、人を殺し続ける我王ですが、自分のために尽くしてくれた速魚という女を誤解から殺してしまったことにより、彼は生きる力を失って役人によって処刑されかけます。ですが良弁上人によって刑を免れ、そこから彼の生と死を見つめる旅が始まるのです。
実際は芸術のセンスを持っていた我王と悪人時代に彼によって利き腕を動かなくされた仏師茜丸との生き方の対比、最終的には二人の鬼瓦作成対決というようにストーリーは流れていきますが私が一番印象に残っているのは我王が即身仏となった良弁上人を前にあることを悟るシーンです。彼の言葉をそのまま引用します。

「虫魚禽獣死ねば…どれもみんなおなじ!
人が仏になるなら…生きとし生けるものはみんな仏だ!」

 即身仏となった良弁を見つめながら悟ったということはつまり、生きているものは仏、つまり死んでいることと同じという意味ではないでしょうか。私はこの言葉を生きることと死ぬことに違いはないというふうに解釈しました。火の鳥には火の鳥が生命を司るものとして登場するために上の言葉は少々的を外れてしまいます。茜丸は死ぬことによってミジンコに転生させられます。つまり生と死の垣根が明確に作られているのです。この点は少し保留して先に「乱世編」の話をしてからもう一回この点を考えます。

 「乱世編」はちょっと火の鳥でも異色の作品です。なにより火の鳥が登場しません。火焔鳥という名で、不老不死を求める人の想像上の生き物でしかありません。話自体は源平合戦をそのまま追っていくだけの話ですが、この話の序盤に鞍馬天狗となった我王が登場します。死の数日前に未来の自分を夢見たことから彼は輪廻転生を信じだすようになります。私はこれには少し矛盾を感じました。我王の上の台詞は死ぬことと生きることは同じというように解釈していた私は死後の自分がまたどこかで生まれるというように考えるのはおかしいと思っていたのです。ですが死の間際、彼の身を案じる子供たちに天狗は言いました。

「…そろそろこの老いさばらえたからだとも
おさらばするときがきたようじゃ…
だがな なにも遠くへいくわけじゃない

この山の土のひとにぎりになるだけじゃでな」

 こちらの台詞は非常に納得できました。人の身体は死ぬことによって分解され、土に還っていきます。他の生き物もそう、言わば虫魚猛禽死ねばどれも同じく土に還るわけです。そしてその土から実った作物を得て、生き物は新たな生命を作っていくのです。これは輪廻転生に通じるものがあるのではないでしょうか。このサイクルを分かりやすく言えば「生まれ変わる」ということになるわけです。「鳳凰編」の保留していた点もここから考えると火の鳥を使って土に還り、新しい生き物を産むというシステムを簡略化して伝えた、ということではないでしょうか。私はそう考えています。

 乱世編という話は後半全く生きることや死ぬことを語られることはありません。義経の「武士は死んで名を残す」という台詞から彼の考えは分かりますがそれ以上掘り下げられることもありません。私はこの話は論文で言う「例えば…」の火の鳥版ではないかと考えています。理論は我王が語った。後は実際例だ、ということではないか、と。でも私はおそらく「乱世編」のテーマと思われる「宿命」は胡散臭いのであまり好きではありません。今私たちが一番手に入れやすいと思われる角川版の前にでた乱世編では実は火の鳥が出てきます。そして義経と清盛を転生させるのですが、前の時代に転生させるというのが納得いかない。自分を構成するものが前の時代にさかのぼって生まれ変わるというのは我王の理論からははるかに遠いと思います。そのためかどうか、角川版ではこのシーンは完全に削除されました。この方が私はよかったと思います。じゃあ何で好きなのかというと、この時代が好きだ、ということが一番大きいですね(^^



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