生きとし生けるものが幸せでありますように           

             
                     ・争いと平和    

 平和は暴力によって得られない。平和は争いの原因を取り去ることによって
実現するのです。

 人類の歴史上、現代ほど対立、悪感情、わがまま、うそ、争いからの解放を
必要としている時代はありません。現代社会は、何よりも、個人の平和、家庭
の平和、会社の平和、そして世界レベルでの平和を必要としています。争いが
生みだす緊張、不安、恐怖は、私たちの心と身体を破壊し、ずーっと苦しめ続
けるのです。



●世界戦争と不安

  怖ろしいことに、現代は核の使用によって全世界が滅亡しうる状況にあ
ります。世界的な核戦争が起これば、この太陽の下に、もう逃げ場はないの
です。人類はなんという窮地に陥ったことでしょう!

  現代科学は原子爆弾という恐ろしい爆弾を開発し、人類の種を滅亡させ
ようとしています。人類が無知、復讐、利己的な態度、そのほかの破壊的な
力に支配されているかぎり、この世界でだれも安全に暮らすことはできませ
ん。しかし皮肉なことに、この悪を為す心は、それとまったく反対の善の力
――最高の美、最高の智慧が生まれる源泉にもなれるのです。

  広島と長崎に落とされた世界初の原子爆弾は、世界の歴史の方向性を変え
たと言われています。この不幸な2つの都市に放射した〈恐るべき光線〉は、
世界中の多くの人の心に、苦痛、恐怖、憎悪、虚無感をもたらしました。
しかし、この恐ろしい光線とはまったく対照的に、今から2500年以上も前、
釈迦牟尼仏陀は菩提樹の木の下で悟りを開き、このとき〈栄光に満ちた光〉が
放たれたのでした。この光は人類に偉大な意味をもたらしました。貪欲、憎
悪、迷妄で汚染された〈暗闇の世界〉から、慈悲と幸福に満ちた〈光の世界〉
に至る道を照らし出したのです。

  現代人が抱えている根本的な問題は、〈道徳に欠けていること〉と〈知性
を誤って使用したこと〉です。科学技術が進歩したにもかかわらず、世界は安
全と平和からはるかに遠ざかってしまいました。そして私たちの暮らしもこれ
までにないほどの危険と不安にさらされているのです。
 人類の発展に取りくむとき、心の発展(向上)をおろそかにするなら、人類
は危機に襲われてしまうのです。 

  お釈迦さまは世界で初めて、平和、繁栄、善性など〈幸福の道〉を人類に
示されました。しかし現代人はこの永遠なるメッセージを無視しています。
現代は、遠く離れた場所からでもボタンを一つ押しただけで核爆発が起こる時
代です。人間は科学進歩によって自然を支配できたかもしれません。しかし自
分の心は管理できていないのです。もし私たちが平和を無視して争い続けるな
ら、人類は絶滅することでしょう。

  平和と調和を求めて世界各国のリーダーたちが集まり、戦争を妨ぎ、問題
を解決するための国際条約や協定が締結されました。第2次世界大戦後、国家
間の秩序と安定を維持するために、世界の主要組織としての国連が設立されま
した。国連は、世界平和を実現するための最良の手段ではないかもしれません
が、とりあえず、このような組織を設けることで、国家間の争いを知的なやり
方で解決することが可能になったのです。

  異なる人種、異なる国、異なる宗教や宗派のあいだに生じる敵意や恐怖
は、平和共存の社会をつくりません。国連で条約を結んだにもかかわらず、国
々は簡単に停戦協定を破り、今でも互いに戦争しているのです。このような状
況のもとで、どこに平和や幸福を見つけられるでしょうか? 



平和を得るために 

  争いに時間と精神的エネルギーを費やしているかぎり幸福で平穏に暮らす
ことはできません。 平和に暮らすためにはいかなる争いもやめなければなら
ないのです。争うことをやめると、私たちの『心』は幸福の道具になり、社会
に害を与えることもなくなります。目に見えない巨大な心は、苦しみや悩みを
もたらすかわりに、幸福をもたらすようになるのです。

  オデキができたとき、その部分を刃物で切り取るだけでは治りません。そ
れどころかバイキンが傷口を悪化させてしまいます。完全に治療するためには
おおもとの原因を見つけて、そこを取り除かなければならないのです。これと
同様に、平和が訪れるためには、私たちの行動を引き起こしているおおもとの
『心』を落ちつかせなければならないのです。落ちつきは、心の目覚めから生
まれます。大切なのは信仰することではなく、道徳に基づいた生き方――正直
さ、誠実さ、慈しみをもつことなのです。

  自分の心をコントロールできないことから多くの苦しみや混乱が起こって
います。心は瞬間瞬間、色、音、味などの対象に触れています。好きなもので
も嫌いなものでも、欲しいものでも欲しくないものでも、これらの対象は、次
々に不安や恐怖、欲望、誘惑を引き起こします。それから身体の緊張も引き起
こします。不安や恐怖が長くつづくと身体は病気になるのです。ですから、絶
えず飛びまわっている心を落ちつかせるために集中力を育ててください。それ
によって多くの問題から解放され、心の平和と身体の健康を得ることができる
でしょう。



●世俗の喜びを超えて
 

「幸福は、性欲や食欲、感情を満足させることや、財産を手に入れることで訪
れるものではない」と宗教指導者はつねづね教えています。この事実は、私た
ちの日常の経験からも理解できるでしょう。たとえ世界中のすべての喜びを獲
得したとしても、もし心が無明から生じる不安や憎悪でいっぱいなら、幸福や
平和にはなれないのです。

 財産、権力、子ども、名声、発明などは、真の幸福ではありません。確かに
一時的な快楽をもたらすでしょうが、究極的な幸福ではないのです。何かを不
正に獲得したり横領したときはとくにそうです。そのような行為は、瞬間的
に、所有する喜びを感じるかもしれませんが、結局それは、苦しみや悲しみ
、罪悪感の原因になるのです。

         よいことをすれば、幸福になる。
          悪いことをすれば、不幸になる。
          これがわたしの宗教である。
               〜アブラハム・リンカーン〜

 美しい光景、うっとりさせる音楽、芳しい香り、おいしい味、心を惑わせる
肉体的な接触は、私たちを迷わせ、だまし、世俗的な喜びの奴隷にさせます。
感覚を満足させるのと同じように、期待することにも瞬間的な喜びがありま
す。が、それもつかの間の喜びです。自分の過去をふりかえってみてくださ
い。そうすれば、喜びは、はかなく、満たされないものだという事実がわか
るでしょう。

  財産が幸福になるための前提条件だとするなら、『財産』と『幸福』は同義語に
なるはずです。しかしこれは事実でしょうか? ある詩人はこううたっています。

                  財産は幸福をもたらすのか? 見まわしてごらん。
                 みんな、なんと、にぎやかに苦しんでいることか!
                 なんと、みごとに不幸におちいっているか!
                 なんと、ぜいたくに財産を無駄にしているか!
                    そして心は虚しく、「もっと!」と叫んでいる 


new!
 財産では、燃えている心の渇きを癒すことはできません。もし卑しい動物的
な欲求を満足させること―― 食べることや、性的な喜びだけを追い求めるな
ら、決して幸福にはなれません。もしこうしたことで幸福が得られるなら、こ
の世界のどの分野でもすさまじい進歩を成し遂げているでしょうし、この世は
完全たる幸福への道となって繁栄しているはずです。しかし明らかにそのよう
にはなっていません。世俗的な喜びでは決して心は満たされないのです。なぜ
なら欲しいモノを手に入れた瞬間に不満が生まれ、新たに別のモノを欲しがっ
たり、別の何かを希望したりするからです。

(つづく) 


もくじ