(1)ヒスパニア(スペイン)

パウロはローマ人への手紙の中でスペインに行くことを希望していることを述べました。(ローマ 15:23,28)
パウロがスペインにたどり着いたかどうか聖書は述べていませんが
ローマのクレメンスは西暦95年ごろパウロが「西の最果てに」来たと述べており 最初の投獄から釈放されて
(西暦61年ごろ)から,西暦65年ごろに再び投獄されるまでの期間にスペインに宣教に赴いたと
一般に考えられています。 当時すでにローマからスペインの西の果てまで
道路網が整備されていました。 アウグストゥスはこのスペインの街道の整備を命じたので、
この街道はアウグスタ街道と 呼ばれるようになりました。もしパウロがスペインに達していたとすればおそらく
この道を通って来たことでしょう。 では2世紀の終わりまでにキリスト教が広まった
幾つかの場所を訪ねてみましょう。

(1)コルドバ

コルドバは、フェニキア人やカルタゴ人の時代から重要な都市でしたが、前1世紀から5世紀にかけて古代ローマの都市として繁栄しました。アウグスタ街道の一部だったローマ橋や神殿の跡、コルドバ出身の哲学者セネカの像を見ることができます。

(2)メリダ

メリダはカルタゴに支配されていたがその後、ローマの属州ルシタニアにくみこまれ、現在のメリダの地に
ルシタニアの主都エメリタ・アウグスタがおかれました。メリダにはローマの強い影響をものがたる遺跡が
現在も多く残っています。

(3)セビリア

ヒスパリス(現在のセビリャ)は、前45年カエサルに征服されました。 セビリア郊外のイタリカはローマの将軍
スキピオにより建てられた町で 皇帝トラヤヌスとハドリアヌスはこの地の出身です。

(4)レオン

レオンはトラヤヌスの時代までに駐屯軍がおかれ、その名が現在の都市名の由来となっているます。
レオンの名はそのライオンの紋章に由来しているともいわれています。スペインでももっとも美しい大聖堂のひとつとされるゴシック様式の大聖堂などがあります。

(5)サラゴサ

サラゴサは前24年にはローマに征服され、軍事拠点カエサル・アウグスタがつくられました。サラゴサ旧市街と
周辺のコソ地区にはローマ時代の遺跡がそのまま残っています。

(6)アストルガ

この地域にはもともとケルト人が住んでいましたが、ローマによるこの地方の征服は困難をきわめ、スペインの
中ではもっともおそく、アウグストゥスの時代にようやく完了しました。ローマ化はあまり強くは
おこなわれなかったようです。

 

(2)ガリア

前27年アウグストゥスの時代にガリアは4つの属州に編成され、この地域には平和と繁栄がもたらされました。
ガリアの中心地はニームでその近くには有名な水道橋ポン・ドゥ・ガールが創られました。2世紀末までにキリスト教が広まった場所としては リヨンとヴィエンヌがあります。

(1)リヨン

ソーヌ川右岸がローマ時代に遺跡の残る旧市街で、1万人を収容した劇場や音楽堂、 キュベレの神殿などが
あります。 リヨンで活動した司教としてはイレナエウスが有名です。 彼の時代には20ほどの異端が既に存在していたようですが、彼は一般に 「異端反駁」として知られる「誤って知識ととなえられているものを反駁し覆す」 という題の書物を記して聖書的見解を擁護することに努めました。 彼はスミルナの出身で使徒ヨハネとも親交のあったポリュカルポスのもとで学び ヨハネ第一の手紙を書く背景ともなっていたグノーシス主義を厳しく反駁しました。
また当時ユダヤ人が過ぎ越しを祝うのと同じ日に主の晩餐を祝うより 復活した日である日曜日に復活祭を祝う
ことがローマをはじめとして 行われるようになっていましたが、イレナエウスはニサン14日に祝うことについて
「ヨハネや他の使徒たちと以前いつも執り行なっていた祝い」はそのようで あったことについて述べています。
イレナエウスはキリストの2度目の再臨を信じ千年統治を待ち望んでいました。 彼はその時代にイザヤ11章や65章が成就すると信じ、「民族や習慣の様々に異なる凶暴な人たちが信者となり,信仰を持って義にかなった
行動を取るようになる時」成就すると説明しました。 イレナエウスは熱心に宣教したため「リヨンの住民すべてを
キリスト教徒に改宗させた」 と歴史家グレゴリウスは誇張して述べています。 マルクス・アウレリウス帝の時代(177年)にリヨンでは 激しい迫害が生じ大勢のクリスチャンが殉教しました。 当時クリスチャンは人肉を食べる
などといった誤った非難がなされていましたが この迫害の際、ある少女はクリスチャンを弁護して
「一体このような人たちが子供を食べることなどあるでしょうか。理性のない 生き物の血でさえ口にするのが
許されないのですから」と述べました。
ブランディナというか弱い少女は強い信仰を示し拷問を加えた者たちをくたくたに させたといわれています。
このブランディナを記念する柱が当時の円形劇場に 立てられています。

「理性のない 生き物の血でさえ口にするのが許されないのですから」  
                           リオンの少女

(2)ヴィエンヌ

リヨン近郊のヴィエンヌも同じ迫害の対象となりました。この町出身の サンクトスというクリスチャンは人間の考案したあらゆる拷問に耐えたと いわれています。この町にはアウグストゥス時代に造られた アウグストゥスとリヴィアの神殿が残されていますが、建設以来常に公共施設として 使われてきたため当時に近い様相を保っています。

(3)ベルギカ

ローマ帝国はライン川を帝国の境界線としていたがこの地域にも2世紀には キリスト教が広まったようです。
それにはドイツ最古の町トリアーやケルン、マインツ などが含まれています。

(4)ブリタニア

2世紀にはロンドンにもキリスト教が広まったようだ。当時ここはロンドニウムと 呼ばれており、その時代の様子はロンドン博物館にわかりやすく展示されている。 ローマ帝国はハドリアヌスの時代に領土が最大になり、
コンスタンティヌスの時代 までにはヨーク、リンカーンなどにも音信が伝わっていました。