(16)シリア

(1) アンティオキア

アンティオキアは当時ローマ、アレクサンドリアに次ぐ第三の都市として繁栄していた。 国際的な都市で様々な
民族の人々が協調して生活していたが、そのような土壌もあり 最初の国際的なクリスチャンのグループが形成
された。クリスチャンという名が与えられたのはこの時期のことで、後代のキリスト教に対する型となった。 その後宣教者たちが送り出される活動の拠点となった。 現在アンタキアと呼ばれトルコ領に位置する。 後にこの場所で活躍した「司教」にイグナティウスがいる。彼は殉教前に各会衆にあてた 手紙を残したが、その中で監督たちに
服するよう繰り返し説いている。 しかし彼は1人の監督つまり司教が会衆を治めるとし司教と長老団を区別した。 また集まりあう必要性についても繰り返し述べられている。ポリュカルポスへの手紙の中では監督として一人一人を愛し牧するようにと励ましている。

(2) ダマスカス

パウロが大勢のクリスチャンを捕らえようと向かっていたのがこのダマスカスだったが、彼自身が回心させられ
大胆に宣教を行なうことになった。 パウロは「まっすぐ」という通りのアナニアの家に導かれたが、今でもその場所を 見ることができる。

(3) トリポリ

フェニキア人の町として前8C頃から存在していた。現在レバノン領トラブロス。

(4) ベイルート

現在のレバノンの首都。1世紀にはベルトスと呼ばれローマ支配下で 法律の学校が開かれていた。ここから
東に行くと神バアルの名が残るバールベックが あり、1世紀には巨大なジュピターの神殿などがつくられた。

(5) シドン

現在レバノンの商業都市サイダとして知られるこの地は聖書時代からの長い歴史がある。 ペルシャ時代の
エシュモンの神殿や十字軍が残した城で知られている。

(6) ティルス

アレクサンダーによって破壊されたが、ローマ人によって再建されたくさんの ローマ時代の遺跡が残っている。
有名なのはヒッポドローム(戦車競技場)で 2万人を収容できこの種のものとしては最大級だった。ほかにも
ローマ時代の列柱が残る大通りや浴場、劇場、凱旋門、水道橋の跡を見ることができる。 ティルスでは335年
当時の大問題であった父と子の実体について、 コンスタンティヌスの招集により会議が開かれ、興味深いことに
このときは 子が父に服している創造物としたアリウスが支持されアタナシウスが非難された。 しかしこの会議は
カトリックには正統とみなされていないので、公会議に 含まれていない。(Nelson's New Christian Dictionary)

(17)キプロス

(1) サラミス

パウロとバルナバが最初の宣教旅行で上陸したのがサラミスでした。現在のラルナカ。 イエスに復活させられたラザロが住んだとの伝説があります。 バルナバもキプロスの出身でした。

(2) パフォス

キプロスの西端で総督セルギオ・パウロが信者になったところです。 サラミスからリマソルを過ぎパフォスに近づいた所にアフロディテが生誕したとされる 場所やアフロディテの神殿がありました。

(18)ユダヤ

(1) エルサレム

西暦49年頃クリスチャンの一致を守るための会議がここで開かれたが、すべてのクリスチャンたちに対する
指示が当初エルサレムから与えられていた。しかし厳しい迫害などで主立った人々は各地に 散らされた。
西暦66年にクリスチャンはこの地を撤退した。 エルサレム陥落後しばらくは戻った人々が活動した。ハドリアヌスはここを異邦人の町にしようとしたためバル・コクバの乱が起きエルサレムは再び徹底的に破壊された。

(2) ヨッパ

ペテロがドルカスを復活させた町。彼はこの町の皮なめし工シモンの家にいたとき コルネリオのところへと
遣わされた。西暦70年以降も パレスチナのキリスト教の、中心地の1つとして栄えました。

(3) カエサレア

ヘロデ大王によってりっぱな港町として整備された。劇場、円形競技場や水道橋、 アウグストゥスの神殿などが
つくられ、カエサル・アウグストゥスにちなんで カエサレアと呼ばれた。 ローマ軍の駐屯地で、コルネリオもここの
士官だった。 パウロはここで総督たちのもとに2年間拘禁されてからローマに向かった。 西暦66年ここで暴動が起きたことがローマ軍がユダヤを制圧するきっかけとなった。 その後も学問の中心地として栄えオリゲネスなどもここで教えた。 使徒たちの中ではフィリポがこの町に落ち着き活動を行なったようである。