(19)エジプト

ローマがエジプトを征服したのは西暦前30年でアウグストゥスはそこを皇帝の直轄領としました。ここでは2世紀
ごろにコプト語のアルファベット (エジプト語の言葉をギリシャのアルファベットで表したもの)がつくられ 聖書も
コプト語に訳されていきます。もっともそれが広く使われたのは4世紀以降 とも考えられています。

(1) アレクサンドリア

エジプトには西暦33年のペンテコステに来ていた人々を通し早くから音信が 伝わっていたものと思われるが伝承によればマルコがアレクサンドリアの地で基礎を 築いたとされています。西暦70年のエルサレムの滅びのあと
たくさんのユダヤ人が エジプトに移住したので、そのようなユダヤ人たちを含むグループがつくられたとも
考えられています。ローマ時代に遺跡としては劇場や、有名な図書館の柱とも いわれているポンペイの柱などが残っています。 アレクサンドリアはギリシャ哲学が盛んなところで、フィロンがギリシャ哲学を ユダヤ教に取り入れたことは有名ですが、キリスト教にもそのような影響がもたらされ この地においてギリシャ哲学との融合が進め
られていきました。 その先駆者となったのがアレクサンドリアのクレメンスでした。 彼はフィロンの影響を受けておりキリスト教こそ真の哲学であるとしながらも、 聖書を説明するためにギリシャの思想を利用しました。 創世記の話はギリシャ神話と対比されました。 ユダヤ人に律法が与えられたようにギリシャ人には哲学が与えられたと
いうのが その考えで、ギリシャ哲学を霊感を受けたものとしたのです。

アレクサンドリアで活躍した人物としてはオリゲネスの影響を忘れることがせきません。 彼は膨大な著作を
残しましたが、その中には キリスト教の教えを世に対して擁護するものから、ギリシャ哲学を大々的に取りいれて しまったものまで多数あります。まずクリスチャンの立場を擁護するものとしては 「ケルソス駁論」があります。
ケルソスは当時の哲学者ですが、クリスチャンの (A)教義と(B)行動の両面をあざけりました。

(A)現在でも聖書など科学的でないといってあざける人々がいますが、ケルソスも キリストの奇跡的誕生や
行なった奇跡、復活などをあざけりました。 ケルソスはイエスの奇跡を悪い霊のもとで行なわれた単なる魔術に
すぎないと したのです。それに対しオリゲネスはイエスの行なった奇跡がそのようなものなら どうして人々の特質を大きく変革することまでできたのかと反論しています。 (興味深いことにケルソスさえイエスが奇跡を行なったこと自体は否定していません。) またクリスチャンは無学な人々であるとの批判には聖書の監督の資格の部分を引用し 監督は教える資格や説得の技術をもっていることを例としてあげています。

(B)行動に関していえばケルソスはクリスチャンは社会に無関心な人々で 愛国心もなく戦争に参加しないことを
問題としていました。 社会に無関心との批判に対してオリゲネスは、クリスチャンは 「人類の救いのための、より必要な奉仕」を行なっており人々が「より良い生活を送る」よう助けていることを指摘しています。 兵役に就かないことについていえば、クリスチャンは「神からの武具を着けていっそう 効果的な仕方で戦っている」と述べて
います。

2世紀ごろのクリスチャンは今日の大半の教会同様に神のみ名(テトラグラマトン)を あまり使用しなかったよう
ですが、彼は有名な対訳聖書の中で、忠実な写本の中で 神のみ名はヘブライ文字で書き記されていることを指摘しています。 もっとも彼自身が著作の中でエホバの名を使っていたわけではありません。 三位一体についていえばオリゲネスは父と子の同等性を否定し、子はGOD (セオス)であるもののTHE GOD(ホ セオス)ではないと理解していました。 この教えはニケーア公会議で異端とされるアリウスにも影響を与えていました。 初期クリスチャンが誕生日をどのようにみなしていたかはあまり文献がありませんが オリゲネスはこの点をはっきり語っている
数少ない人物です。 彼はファラオとバプテストのヨハネの例をあげつつ「聖書中のどこにも義人によって 祝われた誕生日は見出さない」と述べ、 「聖書中のすべての聖なる人々の中で,自分の誕生日に祝宴を挙げたり,大宴会を催したりしたと記録されている人は一人もいない。自分がこの下界に生まれ出た日を大いに喜ぶのはただ罪人だけである」とも指摘しています。 オリゲネスはギリシャ哲学をキリスト教に取りいれる点で大きな役割を果たしました。 オリゲネスは,プラトンから取り入れた,魂の不滅の教えをキリスト教の教理の中に組み込みました。その結果千年紀に対する希望は奪われることになりました。 なぜなら魂には生来不滅性が備わっているとするとメシアによる千年統治のもたらす地的な祝福を霊の領域の祝福に変えざるを得なかったからです。 オリゲネスは千年期説信奉者を断罪したことで知られています。 そのことは王国に対する見方にも大きな影響をもたらしました。 オリゲネスは,王国を特定の場所,あるいは特定の時に生じるものではなく,信者の魂の中でのみ生じるものとして描写するようになったのです。

(20)キレナイカ

(1)キレネ

プトレマイオス王朝の時代に多くのユダヤ人はエジプトへの移住を勧められたが この時期にキレメにも多くの
ユダヤ人が住み着いた。西暦33年のペンテコステにはそのような人たちが来ておりキリスト教が伝えられる結果となった。 キリスト教が生まれたばかりの時期にもキレネ出身のクリスチャンが活躍していたことを
聖書の記録は示している。