(5)イタリア

ローマ帝国の中心地イタリアにはローマをはじめ、ポンペイ、ポテオリ、オスティア やシチリア島のシラクサなどにキリスト教が広まった。

(1) ローマ

クリスチャンの活動が支障なく行われるためには、政府関係者との関係が大切であった。 そのことを意識していたパウロはローマへと赴きクリスチャンの立場を弁明した。 ネロの時代になりクリスチャンは大火の原因を
追わされて迫害され、またパウロも 殉教したといわれているが、キリスト教が法的に禁止されたわけでは
なかった。 タキツスはこのときの出来事について述べた際、クリスチャンが「人類に対する憎しみ」ゆえに
告発されたと述べており、クリスチャンたちが一般の人々から見ると異質な人々と 映っていたことを反映している。そしてクリスチャンについてのいろいろな 間違ったうわさが流されることになった。 そのような非難に対して
クリスチャンの立場を弁護した「護教論者」たちが2世紀中頃 から活躍する。
その一人がローマのユスティヌスである。 彼は155年頃「弁証論」を書き表わしアントニウス・ピウス帝に
書き送っている。 ユスティヌスはクリスチャンが迫害されている理由に注意を向け、淫行の者、殺人者や
強盗だろうかと問い掛け、クリスチャンという名だけで迫害されていると述べている。 続いてユスティヌスは
クリスチャンに対する誤った非難について取り上げていく。 クリスチャンが無神論者との非難に対しては
多くの人々の崇拝する神については崇拝しないが、真の神を崇拝していると述べている。また当時クリスチャンは近親相姦を行なうなどの偽りの非難もあったが、イエスは不道徳な考えさえ非とされたことに言及している。
クリスチャンの求める王国についてはそれは人間の王国ではなく、神の王国であること について説明している。
クリスチャンは政府に服していることについては、 崇拝は神にしかしないものの「カエサルのものはカエサルに
返す」ので他の人々より 進んで税金を払っていると述べている。

コンスタンティヌスの時代のクリスチャンであるラクタンティウスもクリスチャンの 立場の弁明を行ない
異教徒と比べてクリスチャンの勝った点を指摘している。もし神だけが崇拝されるなら戦争や姦淫は無く、
獄や支配者の剣は不要であると述べた。

                    イエスについての世俗の資料


ユスティヌスが「弁証論」の中で述べている他の際立った点として イエスが行なった事柄の信ぴょう性について
詳しく論じ、預言の成就について説明して いることを挙げることができる。彼は様々な預言を引用し、
イエスが処女から産まれた こと、ベツレヘムで生まれたこと、ロバに乗って入場したことなどについて説明して
いる。 またイエスが行なった事柄について世俗の資料から確かめるよう促している。 例えばベツレヘムでの誕生については人口調査の結果から確認できると述べている。 イエスが奇蹟を行なったことや、刺し通されたこと、
くじが投げられたことなどは 「ポンテオ・ピラトの事蹟」から確認できると述べており 当時そのような確かな証拠があったことを知ることができる。

(2)オスティア

ローマの外港として整備されたオスティアには貿易の拠点としてたくさんの外国人が 住んだが、その結果
ローマ帝国の多様な神々の礼拝所がつくられることななった。 そこにはミトラ教の礼拝所やローマの3神
ジュピター、ユノ、ミネルヴァを 祭ったカピトリウム、またアウグストゥスの神殿などがあり、また エジプトのイシス神なども崇拝されていた。 このような環境であったオスティアにもクリスチャンの会衆が設立された。
キリスト教のバシリカの跡もこの地に見ることができる。

**オスティアについてはhttp://www.initaly.com/regions/latium/ostia.htm に詳しい考古学上の
   解説があり、写真も見ることができます。

(3) シラクサ

シチリア島のシラクサはパウロがローマへの旅の途中に立ち寄っている。 ここにはキリスト教のカタコンベの跡も残っている。

(4) ポテオリ

パウロはローマに向かう航海を終えて上陸してのがナポリのポテオリで ここからパウロはアッピア街道の陸路を
通ってローマへと向かった。

カタコンベ


カタコンベは2世紀に作られ始めました。 クリスチャンたちは火葬を異教徒の習慣と考え嫌ったようです。しかしスペースの問題 もありすべてを地上に埋葬するわけにもいかずカタコンベが発展していきました。 中には地下
5階まで掘られたものもあるようです。 2世紀にさかのぼるサン・カリストのカタコンベはローマで最も大きく
地下道の長さは20kmにも及ぶということです。 カタコンべという語はラテン語ですがギリシャ語ではコイメテリア(眠りの場所)とも 呼ばれており、眠りに就いて復活を待っているとの信仰を持っていた人たちもいたようですが、多くの人たちは異教の不滅の魂の教えに汚染されていたようです。 繰り返し出て来るテーマとしては不滅性の
象徴であるクジャク(その肉は腐敗しないとされていたため)、神話の中のフォイニクス(この鳥は炎の中で死ぬものの,結局その灰の中から生き返るとされていた)、あの世で祝宴にあずかっている死者の魂などがあること からそのことがわかります。 ローマ郊外のアッピア街道沿いにはたくさんの古いカタコンベが残っています。
ローマには60ものカタコンベがあり、またイタリア各地と北アフリカにもカタコンベがあります。その中の壁には
いろいろな絵が描かれていましたが、聖書の場面から取られた ものや牧者キリストを描いたものもあるものの、異教から題材がとられたものも少なく ありません。後の時代にはクリスチャンたちの巡礼の場所となりました。

** カタコンベについてはhttp://www.catacombe.roma.it/indice_jp.htmlに詳しい
   日本語の解説があります。