<死海文書と聖書>

1QS 共同体の規則(Rule of the Community)

1〜2章:共同体の心構えと入団の誓い
3〜4章:クムラン共同体の主要な教え

冒頭の部分ではクムラン共同体の入団に際しての心構えとして
「光の子らを愛し、闇の子らを憎む」ことが奨められます。(1:9,10)
「光の子ら」として歩むときの祝福としては知識の奥義が与えられることや
(4:6、Mt13:11)、「永遠の命を伴う永遠の祝福と永遠の楽しみ」があります。
(4:7、Jn8:12)

5〜7章:共同体の規則と罰則
8〜9章:リーダーの責任

クムラン教団の特徴である財産の共有(6:23、Ac5と比較)や聖餐(6:2)、
祭司によるパンとぶどう酒の祝福(6:5)などが説明されており、一定の
入会期間を経たのち、清めの水や清い食事にあずかることができるように
なることも示唆されています。(5:13)8章では共同体の会議が12人の男子
からなっていたこともわかります。(8:1)初期クリスチャンの習慣との類似もある
ものの、どちらかといえば禁欲的な生活を送ったクムラン共同体とクリスチャン
との相違点の方が感じられるといえるのではないでしょうか。

10〜11章:賛歌

「神は私を彼の真理のうちにある義にしたがって裁き、彼のあふれる善良さのうちに
私のすべての罪をいつも贖ってくださる。彼の義のうちに彼は私をすべての不義から
清めてくださる。」(11:14)この賛歌には神の過分のご親切による救いと義認が
表明されていると考えられ、興味深いものであるといえます。(Ro3:23などと比較)

<→関連聖句一覧>
光と闇の対立について         :Jn1:5-9.3:17-19,8:12,9:5,12:46
ベリアルの支配下にあることについて:2Co6:14-17,1Jn5:19(1QS1:18,2:19と比較)
内面の清さの重要性          :Mr7:17-23(1QS3:1-12と比較)
神による永遠の計画について     :Ep1:4など(1QS3:15,16と比較)
2人のメシア                :Mt11:3(1QS9:11と比較)
イザヤ40章3節を成就しようとした  :Mt3:3(1QS8:13と比較)

 

CD ダマスコ文書(Damascus Document)

1〜5章:さまよえるイスラエル
6〜7章:律法を解釈する者たち

さまよえるイスラエルに対し義の教師が起こされます。(1:11)(Mt23:5と比較)
彼らはベリアルの3つの罠に陥っていることが示されます。それは淫行、富そして
神殿を汚すことです。(5:13−19)(Ro2:21,22と比較)
彼らは「すべて火を発し、火花を生じさせている者たち」(Isa51:11)であり、
彼らの巣は蜘蛛の巣、彼らの卵は毒へびの卵なのです。
パウロはすべての人が罪人であることを同じような論法で示しています。
(Ro3:13-18)(5:13,8:10)

9章:司法上の手続きについて

問題を解決する手段として証人を連れてくることや年長者たちに告げることに
言及されていますが、これはマタイ18章にあるイエスの示された手順を
思い出させるものです。(Mt18:15-17)

10〜11章:安息日について

1世紀の宗教指導者たちは安息日についてのかなり厳しい規定を持っていた
ことが聖書の記述からわかりますが、このダマスコ文書をみると更にそれ以上
に厳しいと思える規定をクムラン共同体は有していたことがうかがえます。
安息日に仕事について話すことは禁じられていましたし(10:19)
町から1000キュビト以上出ることは許されていませんでした。(10:20)
(これをAc1:12と比較:「安息日の道のり」は2000キュビトであった。)
またイエスは「あなた方のうち自分の息子や牛が井戸に落ち込んだ場合
安息日だからといってこれをすぐに引き上げない人がいるでしょうか」
(Lu14:5)と言われましたが、ダマスコ文書によれば動物が井戸に落ちても
引き上げてはならず、人間であっても(!)梯子やロープなどで
引き上げてはなりませんでした。(11:12−17)

12〜14章:宿営の清さについて

異邦人に動物を売ってはならないこと、食物規定を守るべきこと、
らい病の判定など清さについての規定がみられます。そしてやがて
罪から清めるメシアが登場することについても語られますが、
「イスラエルのメシア」と「アロンのメシア」(12:23,14:19)
という言い方から、彼らが2人のメシアを待ち望んでいたことが
示唆されているように思われます。(Mt11:3と比較)

15〜16章:誓いについて

アレフ(A)やラメド(L)という文字にかけて誓ってはならないとされますが
これは神(エル)の綴りだからです。またアレフ(A)とダーレト(D)も
主(アドナーイ)の一部でそれにかけて誓うべきではありませんでした。
このような誓いについての規定は一部のユダヤ人の間で誓いが濫用
されていたことを示唆しているのかもしれませんが、イエスは天、地などに
かけて誓いをすることがないよう教えられました。(Mt5:33-37)

1QSa 会衆規定(Rule of the Congregation)

1QSに付随するこの文書ではメシアに対する期待が表明されています。
クムラン共同体の人々はイスラエルのメシアとアロンのメシアという
2人もメシアを期待していたように思われます。(2:11−13)
「イスラエルのメシア」」は手を新しいぶどう酒とパンに伸ばし
全会衆を祝福するという部分では、メシアと食卓を共にする様子が描写
されています。
→関連聖句:Mt22::1-14,Re3:20

1QpHab ハバクク書注解

 ハバクク1,2章の本文と解説がなされたもので、テトラグラマトン
YHWHが使われている
ことが大きな特徴といえます。
1:6のカルデア人とはキッテムのことであると解説され、ローマ帝国の
ことであることが示唆されているため、この文書はローマがエルサレムを
征服してからイエス・キリストの誕生までの期間に記されたと考えられています。
2:6から始まる、邪悪にも富を増し加えようとする者たちについて
「邪悪な祭司」として解説されていることもハスモン家の祭司たちの腐敗と
よく調和しているといえます。この書のハバククの引用部分に
テトラグラマトンYHWHが使われていることは、イエスの時代の直前には
確かにヘブライ語本文にテトラグラマトンが用いられていたことを示す
貴重な資料であるといえます。

1Q28b(1QSb) 祝福の言葉

「共同体の規則」(Community Rule)に付随して用いられた賛美のようです。
神の民、祭司、ザドクの子ら、大祭司、君(マスキル)への祝福が述べられます。
神の選びが強調され、永遠の契約といった考えもみられます。
「会衆の君」に関しては「唇の息によって邪悪な者を死に至らせる」ことや
「義が腰間の帯となる」ことが語られメシア的であるといえるでしょう。
→関連聖句:Ro11:7などで神の選びについて、Heb13:20(永遠の契約), Isa11:4

3Q15 銅の巻き物(Copper Scroll)

2枚の銅に記された特異な文書で、神殿の財宝のあるかを記したものではなどの
憶測がなされています。Beth Esdatainの溜め池(11:12)はイエスが奇跡を行なった
ベツサダの池のことと思われます。
→関連聖句:Jn5:2

4Q171 詩編の注解(Commmentaries on Psalms)

この書は詩編37編の1節ずつの注解と、詩編45編の冒頭の注解をセットに
したものです。この詩編は義なる者と邪悪な者を対比していますが、その内容は
「義の教師」と「邪悪な祭司」に当てはめて解釈されています。
(3:13,19,4:8,27)例えば「ほんのもう少しすれば邪悪なものはいなくなる。」
(Ps37:10)という聖句は、それらの邪悪な者たちが40年のうちに裁かれると
いう期待と結びつけられています。また詩編37編は義なる者が「地を受け継ぐ」
という表現もたびたび出てきますが、たとえば37:22の解釈は「彼らはイスラエル
の高い山々を受け継ぐ」となっており、彼らが地上のイスラエルにおいてその約束の
成就を待ち望んでいたことを知ることができます。(3:11)
→関連聖句:Mt5:5

4Q174 詩華集(Florilegium)

終わりの日に確立される家(神殿)への関心がみられます。ダビデへの
約束(2Sa7:12-14)やダビデの仮小屋についてのアモスの預言にも言及
され(Am9:11)、再びイスラエルの栄光が取り戻されるときの祭司職に
目が向けられているようです。西暦49年のエルサレムの会議において
ヤコブはアモスのその預言に言及したが、おそらくその預言の成就
についての関心が広く持たれていたのかもしれません。(Ac15:16)
祭司職が正しく回復されるそのときには、もはやレビ人がさまよい出る
ことはなくなります。(Ez44:10)

4Q175 証言(Testimonia)

モーセのような預言者が起こされるという申命記18章の預言や、ヤコブから
の星、イスラエルからの勺(しゃく)についての民数記24章の預言が引き合い
に出されており、それらの聖句の成就への関心を見ることができます。
→関連聖句:Ac3:22,7:37

4Q177 連鎖A(Catena)

この文書は詩編6編から17編の解説が部分的に収められています。
{あたたはいつまでお忘れになるのですか」「私の叫びに耳を向けて
ください」(17:1)などの叫びが「終わりの日」と結びつけられて、
そのような悪が裁かれ、清められ、解放がもたらされることへの
期待が込められています。前1世紀頃の世の中の腐敗した状況が
反映されているのかもしれません。
→関連聖句:Ps6:4,5,11:1,13:2-3,17:1

4Q274 聖別の規則A(Purification Rules)

らい病人は普通の人々とは別の北東にある取り分けられた場所に
住むことが求められていたことや、血の流出のある女性と触れることが
ないようにすべきことなど、清さに関する規則が設けられています。
→関連聖句:Mr5;25-34、Lu5:13

4Q275 聖別の規則B(Purification Rules)

破損しているところも多くはっきりとは読み取れませんが、1週間試みる
ことや、3ヶ月という期間に言及されたのち、告訴されている人が永遠に
(追放)されることについて述べていることから、追放の段階について
述べているものと思われます。
→関連聖句:Jn9:22,12:42,16:2

4Q285 戦いの巻き物G

メシアの支配により繁栄がもたらされ災厄がなくなることについて
期待が表明されています。エッサイの根から生じるこの者について
「会衆の君がその者を殺す」ことが述べられていることから
メシアの死について述べているものではないかと注目されています。
(しかしイザヤ11章4節の予告にある、メシアが「邪悪な者を死に至らせる」
ことの反映にすぎないかもしれません。)
→関連聖句:Isa11:1-4,Da9:26

4Q246 神の子テキスト

このテキストはメシアを神の子として描写している点で画期的なもので
あるといえます。もっとも、詩編2編などでメシアが神の子とみなされることは
示唆されていましたから、ユダヤ人たちは文字通りの天で存在そていた
神の子としてではなく、称号の1つとしてこの「神の子」という表現を
考えたかもしれません。
「彼は神の子と呼ばれ、彼らはこれを至高者の子と呼ぶでしょう。」
「その王国は永遠の王国となり」などの表現はルカ1章32、33節と
驚くべき類似を示しており興味深いものです。
→関連聖句:Lu1:32,33、Ps2:7,11,89:27

4Q318 Brontologion

月や日が12の星座に分けられており、どのような兆しが革命、王の破滅、
飢饉などにつながるかが説明されており、ユダヤ人が占星術の影響を
受けていたことを示すものの1つです。(ローマ帝国時代にもバビロンの
占星術は有名でした。)
→関連文書:ホラティウス、歌集1.11「バビロンの占星術に手を出すな」
→関連聖句:Mt2:1,2,7(ヘロデ、占星術に頼る)

4Q379 擬ヨシュア

この短い会断片はヨシュアのもとでカナンの地に入ろうとする
イスラエル人の様子が描かれていますが、特にエリコを立て直す者が
激しく糾弾されており、「民に鳥のわなを仕掛ける者」また「暴虐の器」と
言われています。これはハスモニア王朝時代にエリコの町が要塞化され整備
されたことに対する非難と考えられます。
→関連文書:JA13.15 →関連聖句:Jos6:26

4Q504 Words of Luminaries

賛美と告白からなる典礼用の文書。「私たちはあなたのみ名で呼ばれたからです。」
「み名のために全地からエルサレムを選び」「あなたの偉大なみ名に彼らは捧げ物を
携えて来るでしょう」「永遠のみ名」など、神のみ名への関心が特徴的です。
→関連聖句:Mt6:9など

4Q521 メシア的黙示(Messianic Apocalypse)

イザヤの預言に言及され、「メシア」が捕らわれ人を解放し、盲人に視力を与える
という希望がはっきり語られています。メシアは「それまでにないような驚くべき業」を
行ない、「ひどく傷ついた人々をいやし、死者を生かし、柔和な者たちに良いたよりを
宣明する」といわれており、まさにイエスの行われた業であることは興味深いこと
です。またこの文書は復活についてはっきり述べる唯一の死海文書で
クムラン共同体が復活の信条を持っていたことを示す貴重なものとなっています。
→関連聖句:Isa61:1

4Q548 アムラムの幻F

クムラン文書に特徴的な光と闇の対比が示されています。光の子らは輝きわたり
闇の子らは滅ぼされます。このような光と闇の対比はヨハネの福音書に
特徴的であるといえます。
→関連聖句:Jn1:5-9.3:17-19,8:12,9:5,12:46

11Q 神殿の巻き物(Temple Scroll)

この長大な巻き物は神殿の詳細な構造や祝祭日の祝い方について述べている
ものです。それに加えてトーラー(おもに申命記)の並行記述や解説がなされて
います。祝祭日の暦はクムラン独自のものですが、コロサイ人への手紙の
中で「祭りや新月の習わしや安息日について誰からも裁かれるべきでは
ありません。」という記述は、クムランのユダヤ人の影響があるかは別として
1世紀にそのような細かな暦にこだわるユダヤ主義者たちがいたことを
示唆しているといえるでしょう。
→関連聖句:Col2:16