強調のepi

epiがつくとグノーシス(知識)がエピグノーシス
(正確な知識) になるように意味が強調されます。

epakoloutheo

従う(akoloutheo)より。しっかり付き従うようイエスは模範を残された。
(ペテ一2:21 )

epakouo

聞く(akouo)より。神は善意の時に私たちに答えてくださった。
(2Co6:2) 詳訳聖書では「耳を傾け/心に留め」と訳されている。

eoanankes

必要な、より。使徒15:28のみで使われ
血ち淫行と偶像崇拝は避けるべき「必須事項」(詳訳聖書)とされた。

eperkomai

来る(erkomai)から。聖霊が臨むことや(Ac1:8)
地に臨もうとしている恐怖のとき(Lu21:26)について使われている。

eperotao

尋ねる(erotao)より。イエスは12歳の時熱心に質問していた。(Lu2:46)
イエスとパリサイ人の問答においても登場。
また使徒たちの真剣な質問においても用いられている。(Ac1:6)

epeko

eko(持つ)より。命の言葉をしっかりつかんでいることや(Ph2:16)
自分の教えに十分注意する(しっかり保つ?)ことが求められている。
(1Ti4:16)

epiginosko

エピグノーシスの動詞形である。ルカは音信の確かさを十分に知って
もらいたいと思い福音書を執筆した。(Lu1:4)

epignosis

正確な知識によって崇拝することは大切であり
(Ro1:28,10:2)それを増し加えていくことが勧められている(Col1:9,10)

epizeteo

求める(zeteo)から。1世紀のユダヤ人たちはイエスに
しるしを「しきりに求めた」が与えられなかった。
良い例では神の言葉を聞くことを「切に求めた」
セルギオ・パウロがいる。(Ac13:7)

epilambanomai

lambano(英語のtake)からきており、しっかり捕らえることである。
真の命を「しっかり捕らえる」ことが勧められている。(1Ti6:12,19)

epimeno

とどまる(meno)からきており、ずっと続けること。
テモテは「たゆまずそのことを行ない続けなさい」と
励まされた。(1Ti4:16 詳訳聖書)

epipotheo

「慕う」を意味する強い語である。み言葉の乳を
慕う気持ちを培うよう勧められているが、
新国際訳では「渇望するcrave」と訳されている。

episkoeo

スコープという語がつくとギリシャ語でも英語でも
見ることと関係があるが、episkopos(監督)の
動詞形で「注意深く見守る」ことである。(Heb12:15)

episkeptomai

こちらは「見に行く」ことで、ジェームズ王欽定訳では
visitと訳されている。父なし子ややもめを実際に訪問することは
真のクリスチャンの務めである。(Jas1:27,Mt25:36)

episunago

シナゴーグ(会堂)と関連するsunago(集まる)から。
同じ場所に集まることでMT23:37でイエスがどれほど
イスラエル人を「集め寄せたい」と願っていたかが示されている。

episunagogee

上記の名詞形。Heb10:25,2Th2:1で使用。
最終的に集まることに関係しているともいわれる。

epiphaneia

phaino(輝く、現われる)から。「顕現」とも訳されるが
「目に見えるようになること」ないし「知られるようになること」