「古代エジプト文明展」から益を得る

モーセの時代について

モーセがエジプトで生活していた時代はいったいどんな世の中だったのでしょうか? モーセがエジプトをあとにするのに大きな信仰が必要だったといえるのはなぜですか? これらの問いは私たちにとって大変興味深いものです。この文明展ではモーセの時代と それに近い時代の展示もたくさん見ることができますので、以下ではそのような展示物を紹介しつつこの時代について黙想してみましょう。 モーセがエジプトにいた時代は歴史学者によって第18王朝と区分されている時期に相当します。当時イスラエル人はエジプトで奴隷状態におかれ「強制労働の長」のもとで 「貯蔵所となる都市」の建設に携わっていました。(出2:11,5:6,7) 穀倉長ジェフティの像(34)はトトメス3世の時代にこのような長の一人であった ジェフティという人の像です。トトメス3世の供物卓(32)は王が「満足する」、「平安」を意味する捧げ物をアモン神に捧げているところをかたどったものです。 彼は「エジプトのナポレオン」と呼ばれ17回も遠征して 莫大な富をエジプトにもたらしました。トトメス3世の時代に入ってきた莫大な戦利品のおかげで贅沢な生活が可能となり、アメンホテップ3世の時代には製陶やガラス工芸などの芸術も発展します。
青色彩文土器(43)化粧用スプーン(42)はその時代の 繁栄を物語っています。
黄金の板に繊細な加工が施されたハゲワシをかたどった襟飾り(69)も 第18王朝における繁栄を物語るものとなっています。このようにして当時が エジプトの歴史を通し最も繁栄した時代であったことを考えるときモーセが 「キリストの非難をエジプトの富に勝る宝とみなした」(ヘブ11:26)という意味をよりいっそう理解することが
できるでしょう。

(参考)第18王朝の王名表

アフメス1世/アメンホテップ1世/トトメス1世/トトメス2世/ハトシェプスト女王/
トトメス3世/アメンホテップ2世/トトメス4世/アメンホテップ3世/ アメンホテップ4世(アクエンアテン)/
ツタンカーメン/アイ/ホレンヘブ

 

モーセの奇跡と10の災厄

ファラオたちの像の展示を見ると王たちは額に蛇の付いた頭巾をかぶっていることが 多いのに気づかれるかも
しれません。蛇神の碑(37)は蛇が防御を司る神として 崇められていたことを示すものです。モーセが対決した
ファラオはモーセとアロンが杖を「大へび」に変えてみせても、それに対抗することができませんでした。
( 出 7:8-13 ) 10の災厄ではエジプトの神々が次々に辱められていきます。 第1、 第2の災いで魔術師たちは
モーセとアロンに対抗し同じ奇跡を行おうとしますが 第3の災いではついに不可能になり、彼らの無力さが示されていきます。(出8:18,19) このとき知恵また魔術の神でもあるトトは彼らを助けることができませんでした。
トト神像(65)ではトトは頭上に月をのせたヒヒの形であらわされています。 そのとなりはアピス神像(66)です。 第5の災いではエジプトのすべての畜類に災いがのぞみます。イスラエルの畜類は 一頭も死ななかったのに対しエジプトの馬、牛、羊などに疫病が生じます。 このとき雌牛の神アピスはこれを防ぐことができませんでした。
(出9:3-7) (ちなみにこの像は金、銀、青銅でつくられていますが、イスラエル人が エジプトの影響を受けて金の子牛をつくったことを思い出させます。) ホルス神像(61)は鷹の姿で表わされたホルス像です。ホルスは天空の神でしたが 第9の災いの闇を防ぐことができませんでした。(出10:21-23)

 

様々な宗教的慣行の由来

様々な宗教の習慣の多くが古代バビロンやエジプトに由来していることはよく 知られていることですが、以下ではそれらのいくつかを紹介します。

***太陽崇拝***

カフラー王の座像(3)が入り口近くに展示されています。カフラーは第4王朝という 古い時期の王で太古から
太陽神ラーが崇拝されており、王はラーを含む名(カフラー、メンカウラー)などの名を持っていました。後に第18王朝のもとでアモン神と融合しアモン・ラーとして崇拝されるようになったため、ファラオたちの名にはアメンホテップ・ツタンカーメンなど太陽神アモン・ラーの名を取り入れています。 軍司令官リイのピラミディオン(44)では太陽の方向を向き太陽を崇拝している 夫婦が描かれていますが、これは同様の風習に陥ってしまったエゼキエルの時代の ユダヤ人を思い出させるものとなっています。(エゼキエル8章) アクエンアテンはイスラエル人がエジプトを去ったあとアテン神の一神教を取り入れて 宗教改革を取り入れた異色の王として知られています。 アクエンアテン王のナオス(39)では太陽神アテンからの祝福を受けるアクエンアテン一家の様子が描かれています。

* **十字架の使用***

アメンホテップ2世のウシャブティ(35)は葬送用の人形ですが、手の部分にある
エジプト十字に注目できます。

* **三位一体***

大司祭ラムセス・ナクトとテーベ3神の像(47)はエジプト南部の首都テーベ (聖書中のノ・アモン)で
崇拝されていた三つ組です。

* **母子崇拝***

ホルスを抱くイシス女神小像(63)は母子崇拝の原型で幼子イエスを抱くマリアの 崇拝としてキリスト教世界に取り入れられました。

* **光輪***

よくキリストや聖人の絵の上に光った輪がついているがこれも異教の習慣である。
アピス神像(66)などにそれが見られる。

* **魂の不滅***

神官アメン・エム・ペルムトの彩色木棺と内蓋(49−51)は必見。 カノポス壷(52−55)はミイラ作りの際取り出した内臓を納めたもので、 4つにははらわた、肺、胃、肝臓が納められ4つの神々がそれらを悪い霊から守った。 チャウヤのウシャビティ(36)はアメンホテップ3世の時代のもので胴部に 「死者の書」の抜粋がみられる。

テーベ(ノ)の神々に対する裁き

テーベは聖書時代にノともいわれたところで、現代の人々にはルクソールの名の方が よく知られているかもしれません。カルナクの神殿群や対岸の王家の谷には多くの観光客が訪れています。ここはアモン崇拝の中心地でカルナクのアモン神殿で有名でした。 展示では神官センムトの像(33)も見ることができますが、彼はハトシェプスト女王の オベリスクをアモン神殿に建立した責任者でした。ハトシェプストのオベリスクには 女王を祝福するアモン神が描かれています。またここでは「テーベ3神」といわれた 三位一体の神々が崇拝されていましたが
大司祭ラムセス・ナクトとテーベ3神の像(47)
にそれを見ることができます。アモン神殿ではたくさんの
神官たちが仕えていましたが、 神官パディ・アメン・エム・オペトの座像(58)もその一つです。
同時代のエレミヤは テーベ(ノ)の神々が裁かれることを預言し 「ノからのアモン、ファラオ、その神々に注意を
向ける」(エレ46:26) と述べましたが、これははバビロン、ペルシャ,ローマによる破壊により成就しました。
そしてファラオたちの眠る王家の谷も荒廃しました。

##### 王家の谷について #####

古代エジプト人にとって死後の世界に備えることは重要な関心事でした。 古王国のファラオたちはピラミッドを
たくさんつくりましたが、その財宝は 安全とはいえませんでした。そこで第18王朝の時代から人里離れたところに 埋葬することが始まりましたが、これが王家の谷の由来です。
この王家の谷における王墓の造営を始めたトトメス1世のカノポス箱(31)を 見ることができます。

 

メンフィス(ノフ)の神々に対する裁き

メンフィスは聖書時代にノフと呼ばれ創造神プタハやアピス牛の崇拝で有名でした。
プタハ神小像(64)アピス神像(66)をご覧ください。)ラムセス2世はプタハ神殿を拡大し金と宝石で 飾ったことを誇りましたが、この時期にその建築に携わった建築家マイの座像(46)を 見ることができます。しかし
エゼキエルは「無価値な神々をノフから絶やす」と 予告し(30:12)、「ノフは驚きの的となり住む者がいなくなる」
(エレ46:19)ことになっていました。現在プタハ神殿は荒廃しそこにはほとんで残っていません。

 

タニス(ツォアン)の政治支配者に対する裁き

この展示の目玉となっえいるのはプスセンネス1世の黄金のマスク(70)です。 プスセンネス1世は第21王朝の王でダビデ・ソロモンの時期とも近い王です。 プスセンネス1世の腕輪(71)、黄金のサンダル(72,73)、スカラベの胸飾り (74)、アメネムオペト王の襟飾り(75)などは当時の繁栄を偲ばせるものです。 ソロモンはファラオの娘と結婚していますからそのような富の一部になじみがあったかも しれません。第21王朝の王たちはタニス(聖書のツォアン)に都を置いて支配を行っていました。イザヤの時代にタニスの政治支配者たちは、そのような輝かしい歴史のためか 自分たちが「賢者たちの子、古代の王たちの子」であることを誇りとしていました。 しかしエホバ神は彼らを「ツォアンの助言者たちは全く愚かである」と評され ました。(イザヤ19:11)実際にアッシリアによる征服は彼らが愚かであることを 実証しました。

(参考)第21王朝以降のファラオと聖書

シシャク1世 (第22王朝)エルサレムに侵入し財宝を奪う。(列王一14章)
ティルハカ (第25王朝)アッシリアと戦う(列王二19:9)
ネコ2世 (第26王朝)ヨシヤはその軍事行動に関わって命を落とす
第25王朝以降の分裂期にイザヤ19章の「王国は王国に敵して必ず戦う」という預言が 成就しています。


Copyright Shinichi Yoshinaga