Hobbs
                   ホッブズ
                   1588-1679

ホッブズはピューリタン革命の経験を通し平和な社会をつくる
ために必要な手段について模索しました。ホッブズによれば人間は
自然な状態では争い合い、「万人の万人に対する闘い」が
生じるので、「社会契約」によって強い政府をつくる必要があると
説きました。主要な著作である「リヴァイアサン」は人間について、
また政府について述べる部分に続き、カトリックにおける支配に
聖書的な根拠がないことを示し、教会権力が国家権力に服すべき
ことを示しています。

神の王国とは何か?:神の王国は聖職者たちによって、天国における
至福であるとか、聖化という祝福された状態と比喩的に解されている
もののホッブズによればそれは「神の王政すなわち主権」に他ならない
といいます。ホッブズはその根拠としてイスラエルの歴史から振り返り
ます。たとえばイスラエル人はモーセを通しあなたがたは「祭司の王国、
神聖な国民となる」と約束されました。(Ex19:5)またイスラエルが王を
求めたとき、「彼らは私を拒否したのであって私が彼らを統治しては
ならないと言った」ことは、神自身が彼らの王であったことを意味して
いるからです。「万軍の主がシオンの山とエルサレムにおいて統治する」
(Isa24:23)といった預言は神の支配が回復されることを預言しているに
他ならないといわれています。イエスについて「ダビデの座が与えられ、
ヤコブの家を統治し、彼の王国には終末がない」(Lu1:32)といわれていること
からも、それは「地上の王国」であり、「神の王国は現実的な王国であって、
比喩的な王国でない」と結論しています。(以上「リヴァイアサン」35章)

王国の支配はいつ始まるか?:イエスご自身が「私の王国はこの世のもの
ではない」と明言し、また聖書が「この世界」と「新しい天と新しい地が
存在するであろうときに存在する世界」の2つしか挙げていないことから
「キリストの支配は普遍的復活までははじまらない」といいます。(41章)
このことは教会権力がキリストの名において人々の服従を強制することは
できないことを意味しています。そのことは「信仰」というものの本質からも
明らかです。「信仰というものは強制あるいは命令に少しも関係がなく、
理性から引き出された確実性に依存」しているからです。(42章)
このようにしてホッブズは聖書が教会による支配を正当化していると
いうことはいえないことを明確に示しています。

地上における王国の実現:ホッブズは神の王国が地上の王国である
ことを示しましたが、信者が永遠の生命を得る場所について、
「キリストが彼らのために獲得して永遠の生命を享受すべき場所に
ついては、それを地上の場所としているように思われる」と述べて
います。その根拠として、「アダムが罪を犯さなかったとすれば、地上
で永遠の生命を持ったのだと思われる」こと、また新しいエルサレムが
「天から下って来る」(Re21:2)という聖句や、「平穏な居住地」
エルサレムを神が守られ、「居住者は私は病気だといわないであろう」
と述べられているイザヤ33章などが挙げられています。(38章)

地獄の意味:この面でもホッブズは聖書の伝統的理解にメスを入れ
ました。たとえば「火の湖」という表現について、「ソドムとゴモラは
火と硫黄によって焼き尽くされ悪臭を放つ瀝青の湖とされたので、
永遠の罰を受けたものの場所は、火の湖によって象徴されている」
と述べ、地獄に関する様々な表現が比喩的に理解されるべきもの
であることについて論じています。(38章)

(参考文献)「リヴァイアサン(3)」ホッブズ著、水田洋訳、岩波文庫