Hume
ヒューム
1711−1776
奇跡など存在しない?:経験を重視したヒュームは奇跡を日常の現象に
反するとして否定しました。ヒュームは「十分な明証に基づいて確証
された奇跡的出来事はかつて存在しなかった」といいます。
十分な数の人々や教育、学識のある人々、また人を欺く意志のない
人々によって確証されているものはないと考えたのです。そして
キリスト教について「我々の最も神聖な宗教は信仰に基づいているので
あって理性に基づいているのではない」と言います。(Heb11:1と比較)
ヒュームの批判はペンタチュークに向けられます。千年近く人が生きたり
すること、大洪水、エジプトからの救出の奇跡などは
「野蛮で無知な人々によって我々に手渡された」と結論しています。
証拠のある奇跡もある:上記のように奇跡などないと言い切ったヒューム
でしたが、もっともな証拠で確証されていると思われる奇跡もあることを
認め幾つかの例を紹介しています。ローマ皇帝ウェスパシアヌスが
唾で盲人を癒したという奇跡が歴史家タキツスの記録にはみられますが
それは次のような理由で「最もよく立証されている奇跡」であるといいます。
(1)ウェスパシアヌスは神格化されようともせず慎ましい性格であったこと
(2)軽々しくものを信じることのない「素晴らしい歴史家」タキツスによる記録
(3)それらの目撃者たちは証言することによる報酬を期待できなかったこと
ヒュームはその他にも彼と同時代のヤンセン派の司祭が病人を癒したこと
について文明の時代に廉直疑いなく裁判官の目前で直接現場で証明され
信用と身分のある目撃者によって立証されたという例を挙げています。
イエスによる奇跡の確かさ:上記の(1)〜(3)の基準をイエスの奇跡に
当てはめてみるとき、その奇跡は十分に確証されているといえます。
(1)イエスは自分を高める目的で奇跡を行おうとせず、かえって
癒しを行ってもそのことを誰にも言わないようにさえ命じられました。
(2)卓越した医師ルカの福音書は正確な歴史記述であることをその内面的
証拠は示しています。(Lu1:1-4,3:1,2)また癒しに関して医師の目が
光っていることにも気づかされます。(Lu4:38,5:12など)
(3)奇跡を目撃した当時のクリスチャンたちは復活の希望を確かに信じる
根拠があったのでそのために自分の命を犠牲にすることさえ
いといませんでした。
このように考えてみるとヒュームの反論にもかかわらず実際には
イエスの奇跡には十分の証拠があることがわかるでしょう。