激しさを伝えるkata

kataは英語のdownに相当するので動詞に付いて〜down の意になったり
しますが、しばしば激しさを伝える動詞としても用いられています。例を挙げると

katangello

angel(み使い)とは宣明する者のことであるが、angello(ふれ告げる)から来ている。
katangelloは世俗的には公式に報告するときに用いられており、したがって権威を持って
公式にふれ告げることを意味する。(MM)使用例はAc4:2、Ro1:8、1Co9:14,11:26など。

katadioko

追い求める(dioko)より。Mr1:36のみで用いられているが
弟子たちが早朝に祈りをしているイエスを探して
「あとを追ってきた」ことについて用いられている。
MMはhunt downという訳語も挙げているが、
単に追いかける以上のことが関係している。
弟子たちは「懸命に後を追い捜し歩いた」(詳訳聖書)
のである。(Ge33:13 LXXと比較)

katakrino

krino(裁く)にdownがついているので「判決を下す」という
のがわかりやすい訳であろう。ノアは不信仰な世を
「罪に定めた」が、これは「不信仰に判決を下した」ということである。(Heb11:7 詳訳聖書)

katallasso

「和解する」という意味の重要な単語である。
これはallaso(変化する)にkataが付いているもので
神と人間の関係の「徹底的また抜本的な変化」(RIC)を
意味している。

katalambano

lambano(take)が強調されて、しっかり捕らえる、の意になる。
クリスチャンは賞を獲得するよう熱心に努力しなければならない。(1Co9:24, Ph3:12,13)

katanoeo

noeo(考える)が強調された語である。クリスチャンは
互いのことを「よく考える」ことが勧められている。(Heb10:24)

katapino

pino(飲む)が強調されて、呑み込む、の意になる。(1Co15:54, 1Pe5:8)

katapausis

後半のpausisはpause(ポーズ)という英語に
取り入れられているが、止まることを意味する。
katapausisは「休み」の意味で、安息の休みについて
使われている。(Heb3-4)

katartizo

artios(適している)から派生している語であるが
適した状態や正しい状態にすることを意味する。
ガラテア6:1では「再調整」とも訳されているが、
整骨で骨を正しい位置に戻すことについても用いられている語である。

katastrophe

カタストロフィー(大破壊、破局)という語の元になるもので
2Pe2:5では神が大洪水を引き起こしたことについて使われている。

katastropho

strephoはturnという英語であるが、それにkataがついて
「ひっくりかえす」の意味になる。イエスが神殿で両替人の台を
ひっくりかえした部分でのみ使用されている。(Mt21:12)

kataphileo

フィリア(愛情)という言葉はよく知られているが
phileoという動詞は「口づけする」の意である。
kataがついて「激しく口づけする」ことを意味するが、
興味深いことに放蕩息子の帰還に際し父親が行なった
口づけに関して用いられており、戻ってくる者たちへの
エホバ神の深い愛を知ることができる。(Lu15:20)

kateko

eko(持つ)が強調されて、「しっかり保つ」となる。
私たちは最初に抱いた確信を最後まで
しっかり保たなければならない。(Heb3:6)

kataekeo

この語はエコーする(こだまする)という語と
関連するが、「訓育する」の意になる。
教える者は教える相手の思いと心に「響く」ような
仕方で教えることが大切である。(Ga6:6)

katoikeo

oikeo(住む)から派生しており、「宿る、居住する」の
意になる。(Ep3:17, 2Pe3:13)