まわりのperi

 

神と共に歩むとは

 聖書中には神と共に歩んだ人々のたくさんの例が挙げられて
いますが、「歩む」「歩く」に相当するギリシャ語にはperipateo
用いられています。これは字義的には「歩きまわる」ことを意味し
よって習慣的な歩みを示唆しています。
クリスチャンは世でのむなしい歩み方をやめたのですから
(Ep2:2,4:17)神の特質を常に表わす者として歩んでいかなければ
なりません。(Ep5:2,8) その点でいつも自分の歩き方を見守っているようにと
勧められています。(5:15)
このperipateoはもともとはアリストテレスの学派をさす言葉だったようですが
彼の散策好きから歩きまわるという意味で用いられるようになりました。
英語ではperipateticとは「休みなく活動している」ことを
意味して用いられています。

まわりを武具で固める

パウロはクリスチャンが世からの攻撃に対処する上で欠かせない
霊的武具について述べていますが、その幾つかは
periのつくものとなっています。例えば腰帯は perizonnumi ですが
ベルトなどを締めるという語から来ており、真理によって
まわりをしっかりガードすることが求められています。
救いのかぶとは perikephalaia で kopto(頭)を救いの希望で
包んでおくことが私たちの保護となるといえます。

その他のperi

イエスは人々と会話する際聴衆とのよい接触を保たれましたが
それはイエスがまわりを「見回した」という記述からも
その点を知ることができます。これはblepo(凝視する)に
periがついた periblepo という言葉です。(Mr3:5,10:23)
「割礼を施す」は peritemnoで周りを切るというのが字義的な
意味です。心に「満ちあふれるもの」(Lu6:45)は perisseuma です。
クリスチャンは風によりかのように「あちこちと運ばれる」ことが
ないよう強い信仰を培うことも勧められています。
これには periphero という語が使われています。(Ep4:14)−