Pliny the younger
                小プリニウス(62頃〜113)

「書簡」:西暦104年頃プリニウスがビチニアの総督に赴任したころから書き始められた
     書簡集で、特に第10巻の109通の手紙は在職中のトラヤヌス帝との往復書簡となっている。

1.西暦112年ビチニアの総督であったプリニウスはクリスチャンとして告発される人が
かなりの数に達していたため、どのように処置すればよいかをトラヤヌス帝に尋ねています。
それに対しトラヤヌスは信者をわざわざ探し求める必要はないものの、告発されて有罪と
認められた者だけを罰するように指示しています。(書簡10.96〜97)
この手紙から得られる点は以下のとおり:

a.キリスト教の広まりについて:ビチニアは黒海南岸にありローマ帝国内では辺境に位置しましたが
 そのような場所においてさえ「町のみならず、村や農耕地にまでこの伝染病が広がっている」と
 報告されています。(詳しくは「初期クリスチャンの地を訪ねて」の(11)ポントスとビチニア 参照)

b.
集まりあう努力について:当時秘密結社を禁じる法令が出されていました。
 この書簡はクリスチャンたちが日曜日の夜明け前に定期的に集まっていたことを伝えていますが、
 当時日曜日も働かないといけなかった労働者たちはそのように大変な努力を払って集まりあった
 ことがわかります。(
Heb10:24,25)

c.いわれのない迫害について:プリニウスは、クリスチャンたちを調べたものの迷信を信じているという
 以外に何も見い出せなかったことをトラヤヌス帝に報告し、「破廉恥な罪を犯していなくても
 クリスチャンという名前だけで罰せられてよいのか」を問い尋ねています。
 人々は近親相姦や人肉食いといった誤った非難をクリスチャンに負わせていましたが、
 この公文書は理由もなくクリスチャンという名のゆえに迫害されていることを明らかにしていると
 いえるでしょう。

d.国家崇拝に対する態度について:告発されたクリスチャンが釈放されるためには香とぶどう酒を皇帝の
 像にささげ、キリストを否定することが求められていたことをこの書簡は示しています。
 当時のクリスチャンたちは、それが簡単なしるし程度の崇拝であったとしても皇帝崇拝になるとみなして
 行なうことを拒否しました。

2.解放奴隷について:プリニウスはたくさんの奴隷を有していましたが彼らを親切な仕方で扱ったことも
この書簡は明らかにしています。ローマ時代の奴隷は過酷な条件に置かれていた人たちも多くいましたが
少数ながら高い技術を身につけて主人の奉仕し、良い環境のもとに置かれていた人々もいました。
プリニウスはある奴隷について「たくさんのありがたい奉仕をしてくれている」ので長いつきあいから
愛情にまで発展していると述べています。(5.19)キリストの奴隷となったクリスチャンたちもそのような奴隷
たちと類似しているといえるでしょう。彼らは主人であるキリストに高く評価され、高度な技術を身につけ
そのくびきの下で働くことを喜びとしました。そして主人との友情を楽しみました。(
Jn15:15)
 プリニウスが言及しているある奴隷は主人のもとから逃げ出してプリニウスに執り成しを求めています。
彼は過ちを犯したことを認めプリニウスに嘆願してきました。プリニウスは主人サビニアヌスにあてて
「怒る気持ちはわかる」もののこの奴隷の「若さを酌量して」くれるよう書き送っています。(9.21)
そして後にサビニウスがこの奴隷を受け入れたことについて感謝と喜びを書き送っています。(9.24)
この状況はかつては「無用な者」であった逃亡奴隷オネシモがフィレモンのもとに送り返されたときの
状況と類似しています。(
Philemon)