Tacitus
タキツス(56頃〜121頃)
「年代記」:ティベリウス、クラウディウス(1〜6巻)、ネロ(11〜14巻)の治世
「同時代史」:西暦68〜70年の出来事。特に第5巻でエルサレムの滅びについて
その他「アグラゴラ」、「ゲルマニア」などがある。
「年代記」からの情報
1.ローマの大火とクリスチャン:西暦64年に起こったローマの大火(15.33−47)は
原因が不明であったが(38)ネロが行なったという噂が流れた。(40)ネロはその
跡地を利用して「黄金の館」を建てた。(42)その噂をもみ消そうとしてネロは
「身代わりの被告をこしらえた」がそれがクリスチャンであった。(44)
この部分でタキツスは大火の原因をクリスチャンに帰してはいないものの、
クリスチャンを「有害きわまりない迷信」を世界中に広め、「忌まわしい行為で
憎まれて」いる人々であるとしている。タキツスはそれを「放火の罪というより
人類敵視の罪」であるとし、クリスチャンを「罪人で懲罰に価する」人々と
位置づけている。このときクリスチャンは野獣の毛皮をかぶせられて犬に噛み
裂かれたり、夜の松明代わりに燃やされたことが述べられている。なお
キリストがポンテオ・ピラトによって処刑されたことを伝える貴重な世俗の証拠を
この部分は提供している。
2.道徳の退廃について:ネロは身分を隠してローマの娼家や居酒屋をうろつき
(13.25)祭典を催して下品な劇を上演させたりしたが(14.15,20−21)
「長く腐敗した道徳にネロの仲間ほど強い影響力を及ぼしたものはなかった」と
いわれている。ネロは「自ら腐り他をも腐らす力のあるものを世界中から集め」
「異国趣味によって若者を堕落させた」。このような背景を考えるときネロの治世
に書かれたペテロの手紙が「放蕩の同じ下劣なよどみ」にまで走り続けないので
クリスチャンはあしざまに言われると述べている背景をよく理解できる。(1Pe4:3,4)
一部の偽教師たちはみだらな行ないを容認していたためそのような者たちが
必ず裁かれることをペテロは第二の手紙の2章で強力に論じている。
(2Pe2:2,9,10,13,14)
ネロは同性愛者でもあって女装して結婚したこともあるが
「自然、不自然を問わずあらゆる淫行で身を汚して」いたことも述べられて
いるが(15.37)ペテロがソドムとゴモラの例を挙げているのも理解できる
ことである。(2Pe2:6)
3.フェリクスとクマヌスの悪政:ユダヤの総督フェリクスは「どんな悪も罰せられない
と高をくくって」おり、その総督クマヌスと共に「悪政」を施した。(12.54)
(詳しくはヨセフス(JA20.6,7)参照。)パウロはこのフェリクスを前に義と裁きに
ついて大胆に宣明した。(Ac24:25)
4.小アジアにおける神殿建設:ティベリウスの治世中に小アジアで行われた神殿建設
について11の都市の代表者が自分の都市に建てるべく熱弁をふるった。(4.55,56)
ペルガモンにはすでにアウグストゥスの神殿があったのでもう充分と判断されサルデスと
スミルナの戦いになるが、ローマの軍隊を積極的に援助してきたスミルナがその権利を
得ることになった。小アジアは後に皇帝崇拝の盛んな地域に発展していくが、すでに
そのような傾向をこの時代から見ることができる。(Re2:10,13)
「同時代史」からの情報
1. ローマ人からみたユダヤ人:第5巻の中でタキツスはユダヤ人の起原(2〜3)
習慣と信条(4〜5)ユダヤの地理(6〜7)歴史(8〜10)について述べているが
かなり偏見に満ちた記述が多い。ローマ人のタキツスの目には奇妙で忌まわしい
人々に映ったようである。タキツスの描写によればユダヤ人は(1)豚肉を食べない
(2)7年ごとに仕事を怠ける(安息年のこと)(3)異国人に敵意と憎悪を持つ
(4)唯一神を拝しいかなる神像もつくらない(5)ローマ皇帝にいかなる名誉も与えない
(6)割礼の奇習をもつ
人々であった。このような記述から判断するときローマ人の中で
ユダヤ教に改宗していたりクリスチャンになった人々は偏見がなく神を探求していた
謙遜な人々であったと考えることができるかもしれない。
2.西暦70年のユダヤ人の反乱について:それほど詳しい記述はないがローマ軍の編成(1)や
エルサレム包囲中に見られた天界現象に言及している。(13)「天空で戦列が衝突し武器が
火花を散らすのがみられた」という記述や神殿の聖所が照らされたという記述はヨセフスと
類似している。(「戦車が天空に現われ密集隊形の武装した兵士が雲の中を疾走し町々を
包囲しているのが見られた」JW6.298ff)(Mt24:30と比較)
「アグラゴラ」からの情報
1.「ローマの平和」について:「彼らは廃虚をつくりだしてそれを平和と呼ぶ」という有名な言葉は
アグリゴラの一節である。(30.7)アウグストゥス以降の平和な治世をたたえる著作が多い
中で、ローマの平和がまやかしのものに過ぎないことについての観察が行なわれている。
原典の抜粋
Annals15.44 ローマの大火とクリスチャン
Consequently, to get rid of the report, Nero
fastened the guilt and inflicted
the most exquisite tortures on a class hated for their abominations, called
Christians
by the populace. Christus, from whom the name had its origin,
suffered the extreme penalty
during the reign of Tiberius at the hands of one of our
procurators, Pontius
Pilatus,
and a most mischievous superstition, thus checked for the moment, again broke out
not only in Judaea, the first source of the evil, but even in
Rome, where all things hideous
and shameful from every
part of the world find their centre and become popular.
Accordingly, an arrest was first made of all who pleaded guilty;
then, upon their information,
an immense multitude was convicted, not so much of the crime of
firing the city,
as of hatred against
mankind. Mockery of every sort was added to
their deaths.
Covered with the skins of beasts, they were torn by dogs and
perished,
or were nailed to crosses, or were doomed to the flames and
burnt, to serve
as a nightly illumination, when daylight had expired.
Annals14.15 道徳の退廃について
Neither rank nor age nor previous high
promotion hindered any one from practising
the art of a Greek or Latin actor and even stooping to gestures
and songs unfit for a man.
Noble ladies too actually
played disgusting parts, and in the grove,
with which Augustus
had surrounded the lake for the naval fight, there were erected
places for meeting and
refreshment, and every incentive to excess was offered for sale. ・・・
Never did a more filthy
rabble add a worse licentiousness to our long corrupted morals.