ギリシャ人の価値観対聖書の教え

古代ギリシャ人の伝統的価値観と聖書の見方を比べてみましょう。

Desire 欲望 epithymia

ストア派は東洋思想と似た面を多く持っていたが、あらゆる欲求を否定することによる
救いをめざした。一方聖書は肉の欲望のような悪い欲望は否としつつも
預言の理解や(マタイ13:17)クリスチャンとしてのりっぱな仕事を欲する点(テモ一3:1)
などでは熱心であるように励まされている。

Education 教育 paideia

ソフィストたちは文化は教育によって獲得されるとし、方向付けの必要性を述べている。
アリストテレスのとって究極の目標である幸福(そして幸福な生活ができる国家の建設)のためには
良いしつけや教育がとても大切であるとされた。それで彼は妊婦の運動や食事からはじまり
新生児の食事、運動、幼児に聞かせる話について取り上げる。青少年は不品な言葉を使うべきで
なく、悪い影響を与える絵画や彫刻も否とされた。(「政治学」第7巻)
聖書も小さいときからの教育を重視しており胎児(brephos)のときから聖なる書物に親しむことが
奨められている。

Evil 悪 kakos

ソクラテスはあらゆる悪徳は無知から生じるのであり、正しい知識があれば人は
正しいことをすると教えたが、パウロが明らかにしたように、
「正しいことをしたくても悪が自分の内にある」ため、知ってはいても正しいことを
行なうのが難しいのが不完全な人間の悲しいところである。(ローマ7章)

世の中に悪や苦しみが多いのはなぜか、という疑問については古くから
ヨブ記などで論じられてきたが、ギリシャ人もこの問題について考えている。
ギリシャ人は悪は部分的に自らがもたらすものの、神々からもたらされる宿命と
みなした。ソフォクレスは悲劇「オイデップス王」の中でこの問題に取り組み
良い行ないをしようと幾ら努力しても、神の定めた運命からは逃れることができない
という見方を提示している。聖書だけが悪の背後にいるサタンの存在や、人間の
不完全さといった根本となる原因を明らかにしている。そして
人の歩みはけして運命づけられているのではなく
悪を避け良い歩みを選んでいくようにとも私たちを励ましている。

Freedom 自由 eleutheria

自由はプラトンやアリストテレスにとって肝要なものであった。ツキディデスは
「最良の憲法は最大の自由を保障する」と述べている。しかし自分が何を
しても自由という社会は今日でもそうであるように暴虐へとつながってしまった。(TDNT)
それで聖書は「自由な民らしくありなさい。」と述べた後、その自由を悪のためにではなく
神に仕える者としてふさわしく用いるように励ましている。

Goodness 善 agathos

ソフィストたちにとっては快適なことが善であった。アリストテレスは
徳とされる内面的特質以外にも、美しさ、名誉、名声、富なども善の範疇に
入れておりこれは聖書の見方と異なっている。
ヘレミズム期には神を喜ばせることが善とされ、”神だけが真に善である”と
されたので、「善い人はだれもいない」(ローマ3)というパウロの論議の展開に
ギリシャ人たちは同意できたことだろう。

Happiness 幸福 makarios

アリストテレスは「弁論術」の中で幸福である人の要因をたくさん列挙している。
血筋のよさ、よい子供に恵まれること、富、名声、名誉、身体の優秀性、よい友を
持つこと、幸運、徳などが幸福の部分とされている。ここでの「よい子供」とは
子供が大きく、力強く、美しく、競技に適していることなどであり、そのような
身体面や外面の成功が強調されていることがわかるだろう。
それとは対照的に聖書は内面の霊的な必要や神との関係こそ真の幸福を
もたらすことを説いており、より深い満足をもたらす生き方について教えているといえる。

Law 法律(律法) nomos

法を高く評価していたソクラテスは法に反するよりも死を選んで毒を仰いだが
一般には必ずしも律法が正しいものとは限らないことが認識されてきた。
アリストテレスは良い法があればそれに従うことより人々は徳のある生活を送ると
考えたものの、本当に徳のある人間は律法より上にあり、その人自身が法律であると
考えた。(ローマ2:14,15と比較)
 ローマ支配下において法律はすべての外国人にも適用されたものの、基本的に
ローマの法律(nomos)とは「慣習」を意味していたので、支配に反抗するのでない限り
寛容なものだった。そしてローマの法には現在でいう民法に相当するものが無く
家庭内の問題などは基本的には個人の問題とされたので、聖書の原則のように
道徳を向上させるものではなかった。(DNT)

Longsuffering 辛抱強さ makrothymia

makroとthymiaも合成語で霊の長いことを意味している。ストア派は一度もこの語を
用いておらず、ギリシャ人は辛抱強さを徳とはみなさなかった。むしろ全力をつくして
復讐する人に一目置いたといわれる。

Love 愛 agape

プラトンはエロスを、アリストテレスはフィリアを、聖書はアガペーを説いている。
もっともプラトンのいうエロスとは性的な愛ではなくイデア(理想 ideal)を追い求める
愛のことである。アガペーは聖書以外の一般の著作ではほとんど使われていないが、
敵を憎めと教えられたユダヤ人だけでなくギリシャ人にとっても
アガペー愛の教えは革新的な「新しい教え」であったといえる。

Mystery 奥義 mysterion

プラトンにとっては隠された教えを意味したが、聖書中の神聖な奥義は、定めの時まで理解
されないものの、隠されておかれるべきものではなく、むしろ知らされるべきものだった。
この語はラテン語でsacramentumとなりキリスト教世界は秘跡という秘密を持つことになってしまった。

Truth 真理 aletheia

ギリシャ人にとってaletheiaとは物事の真の状態や現実を意味したが、現実を知ることは
失望させるものとなった。ソクラテスはいろいろな人との問答を通し”人は何も知らない”
のだという現実を悟ったが、イエスによりもたらされた真理は人に真の知識を
授けるものとなった。

 

Vengeance 復讐 ekdikesis

テロに対する報復攻撃で罪のない大勢の人たちが犠牲になったことについて
矛盾を感じる人たちも少なくないが、戦争において生じるこのようなジレンマは
今に始まったことではない。遠い昔のトロイア戦争の様子を描いたホメロスの
オデッセイアにおいてもそうである。スパルタの王妃ヘレネがトロイアの王子パリスに
奪われたことから、ギリシャ軍はトロイアを攻撃する。しかしギリシャ軍自身が残虐行為
を働くことによってジレンマが生じてしまった。
人間は正しく復讐することができない。そういうわけで聖書は「復讐は神のもの」と
教えているわけである。

Virtue 徳 arete

聖書は「徳とされることを追い求めるように」奨めているが(フィリピ4:8)ギリシャ人たちは
どのような事柄を徳とみなしていたのだろうか?
プラトンは知恵(sophia、phronesis)、勇気(andreia)、節制(sophrosyne)、公正(dikaiosyne)を
徳であるとしたが、この4つ(四元徳)がギリシャ人にとっての基本的な徳となった。
後にストア派の哲学者たちはこれらの徳を表わすために正しい知識(episteme)を持つことが
重要であるとした。彼らはさらに4つの徳を細かく分類していった。
この4つの徳という考え方はギリシャ支配下に入ったユダヤ人にも大きな影響を与え
外典の知恵の書でも言及されている。
「知恵こそ働いて徳を得させるのだ。すなわち節制と賢明、正義と勇気の徳を、知恵は教える
のである。」(知恵の書8:7)またフィロンの著作にもその影響がみられる。
ギリシャ語聖書の中でもこれらは優れた特質として言及されているが
sophrosyneは健全な思い(テモ一2:9,15)、dikaiosyneは義の意味で使われている。

Word 言葉 logos

logosはlego(話す)という語と関係し、聖書中では言葉を意味する。
ヘラクリトスにとってlogosとは人間に語り掛ける理性のことで、プラトンにとっては
世界を創造した神性な力、アリストテレスにとっては洞察あったが、
一般的にいえばギリシャ人とってlogosとは理性のことであった。(WM)

World 世 kosmos

元来コスモスとは秩序とか宇宙全体を指して用いられている。アリストテレスにとって
宇宙は地球を中心とし月、太陽、水星、金星、火星、木星、土星からなる天球であった。
そして運動する星は理性を持つ生物で神のような存在とみなされた。
聖書の関心は物質宇宙よりも人間に向けられている。それで聖書中でのコスモスは
(1)全人類(2)人間社会の枠組み(3)神から疎外された人類 を指して用いられている。

(参考文献)
DNT Dictionary of New Tsetament Background, IVP
TDNT Thological Dictionary of the New Testament, Eerdmans
WM  Word Meaning in the New Teatament, Hendrickson

Written by Shinichi Yoshinaga, 2002