Voltaire
                 ボルテール
                1694−1778

とこしえの責め苦を与える残忍な神を否定、またたくさんの神よりも
1つの神への信仰の方が理性的であるとしました。
しかし神の存在を認める一方で、奇跡や復活を否定しました。
いわゆる「啓蒙思想」は中世の迷信に光を当て理性の力によって
その不条理を明らかにしましたが、同時に行き過ぎた「啓蒙」は
聖書の正統的な教えさえ非科学的であるとして退ける結果をも
同時にもたらしたのでした。

地獄の存在について:地獄はもともとユダヤ人の教えではありませんでした。
「モーセがいかなる箇所でもユダヤ人に来世の報いや苦しみをもちださず
彼らに天国も望ませなければ地獄も恐れさせなかったことはきわめて確実
であり疑う余地はない」とボルテールは述べます。
「ついにユダヤ人のうちでパリサイ派とエッセネ派が彼らなりに地獄への
信仰に服した」こと、この教えは「ギリシア人からローマ人に移りキリスト教徒
に採用されていた」ものの「何人かの教父たちは永遠の責め苦を信じなかった。
一頭の山羊を盗んだあわれな男を永久に焼くことは彼らにとって不条理に
みえたのである」と述べて、永遠の責め苦という教えに疑問を感じる人たちの
考えを代弁しています。
一瞬の過失は無限の責め苦に値しないと、ある善良で誠実な新教徒の牧師が
説いたとき仲間の聖職者はこれを排斥しました。しかしそのうちの一人が
言ったそうです。「友よ、私も永遠の地獄は信じていません。しかしあなたの
家の女中や出入りの仕立て屋がそれを信じるのは有益ですよ。」
ボルテールの観察するとおり地獄の教えは犯罪に歯止めをかけ民衆を従わせて
おくには好都合であったといえるでしょう。

反三位一体について:イエスは自分が神と等しいとはけっして述べなかったし
パウロはヘブル人への手紙の中でみ使いより低くされたこと(Heb2:9)について
注解し、「パウロのあらゆる言葉にもかかわらずイエスはニカイア公会議で
神と認められた」とボルテールは三位一体の歴史を解説しています。
その決定において二千人はアリウスと同意見であり、アリウスの説はその後も
帝国のあらゆる属州に長く根をおろしました。
ボルテールの時代に三位一体を否定するユニタリアンが存在するように
なっていましたが、その教えの根拠について「この不可解な教義は聖書中の
いかなる箇所にも見出されない」こと、アウグスティヌス自身この問題について
はっきりしたことは何も言えないと認めざるを得なかったことについて触れています。
反三位一体論者の結論は「三位一体についてけっして話さなかった使徒たちの
権威を守るほうが賢明である」と述べています。またイエスの神性についての
ソッチーニ派の教えに関して注解し、パウロはイエスを神と呼んだことはなく
人と呼んだこと、キリスト教徒はまる3世紀を費やして徐々にイエスを神格化したが
これは人間を神格化した異教徒の例に倣ったにすぎないという、彼らの見解に
ついて注解しています。

使徒承伝について:ボルテールは教皇がペテロの後継者であるという点に反論し
「ペテロはローマの司教であったと考えられてきた。だが周知のようにその時代
またそれ以後も長い間個々の司教は存在しなかったのである。キリスト教社会が
形態を整えたのは二世紀末になってからである。」と述べ、またペテロが
ローマにいた証拠は何もなく、バビロンをローマと解する必要はないことについて
述べています。またペテロの後継者とされる教皇たちの悪行の数々を並べたてます。
「野心家で血なまぐさい多くの淫蕩な教皇たちのうちでもアレクサンデル6世の名は
ネロやカリグラのそれと同様の恐怖をこめて発せられて」います。
キリスト教の不寛容な歴史について解説しボルテールは「ローマ教皇のカトリック教は
その祭儀および教義のすべてでイエスの宗教と対立するものである。」と結論
しています。カトリックの化体説の不可解さが槍玉にあげられ、
「カトリック国では毎日司祭や修道僧が不倫のベッドを離れて汚れた手も洗わずに
神々を何百も作っている」としつらつな批判を浴びせています。

御名の発音について:ボルテールは宗教についての問答を展開する中で御名の
発音が初期クリスチャンには知られていたことを示唆し、「人々は今日では
失われたエホバの正真の発音と今日では忘れられた他の諸処の儀式によって
悪霊を追い出していたのである。」と述べ、オリゲネスの「もし神に祈りあるいは
神に誓うときアブラハム、イサク、ヤコブの神を名指すならば、それらの名によって
何かがなされるであろう。それらの名にはそれを発する人に悪魔も従うほどの
性質と力がある。」という言葉を引用しています。