渡米後(2002年3月)
○ 2002年3月11日(日)
本日無事に日本から帰ってきた。しかし、行きのデルタ航空はひどすぎた。なんと6時間の遅れ(嵐のニューヨークで3時間待ちが過去最高だったが、記録更新)。まず、滑走路まで行って、「飛ぶよー」という段階で、機長が「空調が壊れているので、ゲートに戻ります」と、あっさりUターン。メカニックまでコックピットに乗ってきての修理だったそうだが、「そんなの出発前の点検でしとけよなー」と思いながらも、機内で文献(1週間かけて読もうと思って日本に持っていった)を読んでいたのでそんなに気にならなかった。
出発予定から遅れること1時間、「さー今度こそ飛ぶの?」というときに、とあるアメリカ人乗客が、「飛行機を降りる」と言い出し、その人のトランクを機内から取り出すため、更に1時間経過。
「そろそろ飛んでよ!」と祈るも、つれない機長のアナウンス。「燃料補給のため、乗客は乗ったまま燃料補給所に向かいます」と、みんなで燃料補給の見学。この補給のため更に1時間経過。おいおい。
ようやく、「さすがにもう飛ぶだろう!」という期待をするも、あっけなく裏切られる。機長アナウンス、「連邦航空局の規定で、今から日本へ立つと労働時間をオーバーして違法になります。そのため、機長とスチュワーデスは全員降り、これから新しい乗務員を呼び寄せるので、皆さんいったん飛行機を降りてください」。この時点で4時間以上の遅れ、更に新しい乗務員がくるまで更に2時間待たされた。しかし、非常時のためにスタッフを空港に待機させていないとうのは、問題あるんじゃないの?デルタさん。
まあ、ここまでは許そう。非常事態というのはいつでも起こりうるものだ。しかし、その後が許せない。ようやく飛行機から下ろされ、ゲートで新しい乗務員を待っている段階で、すでに5時間遅れる(実際遅れたのは6時間だったが)のは確実だったので、迎えに来てくれる両親に知らせるべく、実家に電話しようと思った。しかし、その時点では日本は朝の4時。とてもではないが、電話できる時間ではない。
そこで、デルタのスタッフに、「いま日本は朝の4時だから迎えに来てくれる家族に電話できない、だから、機内にある電話をタダで使えるようにしてくれ」と言ったら、デルタのおばちゃん、「それは出来ない。代わりに、日本のスタッフに連絡して、あなたが飛んでいる間に電話するようにさせるからそれでいいか?」といわれたので、納得して名前と電話番号と、「5時間遅れます」というメッセージをおばちゃんに渡した。
しかし、電話なんか全く無かった(両親談)。結局、迎えに来てくれた両親も空港で6時間待ち。そんな仕事してると客無くすよ(6時間遅れて、払い戻しはなし、たった6ドルのミールクーポンのみ)。まったくふざけてる。日本-アトランタの直行便以外は、もう2度とデルタには乗らない(飯もまずいし、映画もしょぼいし、いいとこなし)。そういえば今日の機内で、5人座席の中央に座った乗客が映画が見れず(普通、大スクリーンが前方中央にあるのだが、そんなの無く、小さいテレビが左右にあり、中央に座ると手荷物入れ場がさえぎってテレビが見れない)、もう2度とデルタには乗らないと言ってたけど、横にいた私も思わずうなずいた。
○ 2002年3月16日(土)
帰国後初めての週、時差ぼけのせいもあるのだろうか、1週間が異常に長く感じた。しかし、長く感じたのはそれだけではない。実は、今週一杯で私のTA生活が無事終了。もう、KIDSの前で教えることは無い。
そもそも、教えること自体は好きなので、少し寂しい気もするが、火曜から金曜までの午後がまるまるTAで潰れていては自分の研究が出来ない。そのことを考えると、TA終了はやはり嬉しい(今学期はまだ1ヶ月近くあり、レポートやテストの採点といった、残務処理が残っている。なので、完全にTAから開放されたわけではないのだが)。
しかし、毎週の研究室のグループミーティングで進捗を聞かれるとき、いつも、「TAが忙しくて何もしていません」と逃げて(?)いたのだが、もうこの手は使えない。本格的に研究を始めないと。私を直接指導してくれているボスの奥さんも、この時を待ち構えていたみたいで、早速来週の月曜にボスを交えて3人で研究の打ち合わせをするから、資料を用意するようにとのお言葉。
実は、月曜日に、literature examが18時からあり、研究をサボろうと思っていたのに、トホホである(literature examをパスしないと、博士課程から、修士課程に落とされてしまうので、これはかなり重要なテスト)。
ここで、すこしTAについて。私の場合は幸運にも1年だけTAをすれば、あとは研究をするだけでボスから給料をもらえる(つまりRAになる)のだが、若い教授で資金が無い場合は、いつまでたってもTAを続けなければならない。その場合、私みたいに、「TAが忙しくて研究できない」とブーたれていては、一生卒業できない。
ここが問題である。自分が師事したい教授がある程度年齢を重ねていて、資金が十分ある場合、私みたいに1年だけTAを我慢すれば、後は自分の研究に専念できるが、卒業後は、教授のアカデミックライフもあまり長くない(つまり、卒業後の教授のコネが聞く期間が短い)だろう。
その反面、教授が若いと、資金が充分ではなく、長い間(下手すると卒業するまで)TAをさせられつつ、自分の研究を進めなければいけないので大変な分、卒業後の教授のアカデミックライフも長く、それだけ自分への影響力も大きいと思う(研究のコラボレーションなど長期に交流がもてるだろう)。
どちらも一長一短だが、これから研究室を考える方はこの辺も考えて教授を選ばれると良いだろう。ただ、留学生には、TAをしつつ自分の研究をするのは少し厳しい気がする(私自身がそうだったから)。
○ 2002年3月18日(月)
前回の日記でTA終了宣言をしたくせに、ちっとも日記の更新をしないと、実はTAが忙しいせいで更新が滞っていたんじゃなくて、日記書くの飽きてきたんじゃないの?と思われそうなので(半分当たり)、寝る前に日記更新。
本日、試験が2科目終了。まあ、literature examのほうは12回の合計で24点(各4点満点)を取ればいいのだから、この次ぎがんばることにしよう。
テスト後(20時終了)、久々に例の師匠と晩飯へ韓国料理屋へ。じつは、聞きたいことがあって。というのも、この間私が帰国していた春休み中に、師匠のご両親が渡米されていた。私がアメリカを去る前に、「俺の母さん、学校の先生をしていて、その中の卒業生から厳選された女の子のお見合い写真を手土産に持ってくるから、お前が帰ってきた時には結婚決まってるかもな」と、師匠、お見合い宣言をしてたのでその結果が知りたくて。
厳選というから、てっきり1人だけかと思ってたら、なんと3人も。で、「気に入った子いた?」と聞いたら、「ん〜、迷って選べ無い」ですと。しかも、今回が初めてではなく、2年前に7人(1ヶ月間で!)との経験もあるらしく、その時も迷って結局選べなかったらしい(7人は多すぎだろう?でも、お見合いは君の家計では年中行事なのか?)。
で、その後朝鮮の話に。なんでも、「南は良い男が多く、北は良い女が多いそうで、南の男はみんな南北統一と願っているんだ」ですと。そうだな、もうここまで来たら南北統一を待つしかないな。がんばりや。
○ 2002年3月19日(火)
本日、帰国前に1回だけ参加したソフトボールチームの試合日。開始は10時だったが、当然朝の10時は授業があり、そんな時間はみんな試合は出来ない。そう、夜の10時に試合開始。結果はぼろ負け。私の成績は、2打数で2安打(ぼてぼての内野ゴロ、足で稼いだヒット)。で、試合が終わりシャワーを浴びた現在25時。体はもちろん筋肉痛。これから一仕事。
○ 2002年3月23日(土)
今週3つあった試験のラストが本日終了。このテスト、データ解析のような試験で、何を持ち込んでも可(試験中はパソコンが割り当てられる)。そのため、自分用のデータ解析のマクロをエクセルでひたすら作る1週間だった。しかし、実際の試験は私が用意していたデータよりもむちゃくちゃシンプルな形で、試験用に私が作ったマクロを一回も開くことなく終了。なんか簡単すぎて、せっかく準備した時間が無駄になりがっくし。
その後は一緒の試験を受けた師匠と、いまいちの日本料理屋で晩飯を食べ(試験は11時開始で終了が16時だったので昼飯を食べれずハラペコ)、その後、ついにアメリカで初のゴルフの打ちっぱなしへ(師匠はゴルフ自体がはじめてだったらしい)。2人であわせて100球くらい打って8ドル。多分日本に比べたら安いだろう。
今日の練習で分かったことは、2人とも打球が右に反れること。2人ともまっすぐボールが打てるようになったら、いよいよコースデビューすることになっている。しかし、1番ウッドで、150ヤードくらいしか飛ばなかったけど、普通の成人男性は200以上は飛ぶんじゃなかったっけ?とこれから課題山積だ(研究どころではなくなったりして)。
しかし、こちらに来てから20ポンド(約9キロ)太ったというほど、アメリカへの適応ぶりを示した師匠、ゴルフの上達も初めてにしては凄かったが、ゴルフスイングしている姿がどう見ても前日本首相のスイングとダブって見えるのは気のせいか(今度から、プチ森とでも呼ぼうか?)
○ 2002年3月26日(火)
なんか、日記の更新パターンが、ソフトボールかゴルフをした後になりそう(遊んでおいて更新をしないと感じる罪悪感からか?)。というわけで今日も夜の10時から試合だったが、我がチーム49ersはまたもぼろくそ負け。
あす、私の大学にブッシュがくるらしい(何でかしら無いけど)。で、アメリカ人の友人に、「ブッシュ好きなの?」と、ネガティブな返事を期待して尋ねたら、「クリントンより全然好き」という答えが返ってきて、改めてアメリカにいるんだなと実感。
話は飛んで、実は4/7(月)のグループミーティングで発表をしなければいけないんだけど、今現在何もネタが無いので、この2週間で何が結果として発表できるかを考え中。なんせ、最終的には毒ガスを発生させなければいけないので、軽い気持ちでやって事故起こすと大変だし、特に明日の厳戒警備の中で毒ガスもらしたら、大目玉食らいそうだ。
あと、関係ないけど日本に帰国した時に読んだ本で、
「ニッポンのバイオ研究者海外ラボを行く」 浅原 孝之 羊土社 3200円
内容の割には(おっと失礼)3200円と言う高さにビックリするが、数時間で気楽に読めるので悩んだ末に買ってしまった(立ち読みでも良かったんだが、渡米直前だったので時間が無くて)。特にバイオ関係の人でなくても、ポスドクで海外を考えている理系の人には役立つのではないでしょうか?
○ 2002年3月28日(木)
以前の日記でTAが終了したと書いた。しかし、実はこの間スタッフに、「ちょっとだけだったらTA手伝いますよ」と言っておいた。というのも、他の友人達は働いているわけだし(私は今学期は最初から半分だけ働けばよい事になってたから、罪悪感を感じることは無いのだが)、学生実験とはいえ実験を経験しておけばいつかは自分の役に立つし、KIDSと話をしていれば英語の勉強にもなるから。
そしたら、猫の手も借りたい忙しさ、早速今週は2時間だけ頼まれた。まあ、これは良し。しかし、来週のスケジュールが問題。スタッフ曰く、「来週のISAOのTA、火曜から金曜まで毎日スケジュール入れておいたから」。
「あれ、俺”ちょっとだけ”と言ったよな?火から金まで働いたら以前と変わらないじゃん」と、内心思ったが、お人よしの日本人の私は断れず、微妙な笑みを浮かべて「OK〜」。日本の感覚での口約束は怖い(”ちょっとだけ”ではなく、はっきり週1回だけとか言わないといけないんだろうな)。何事も人生経験とおもってがんばるか。