ーホームステイとポスト構造主義的考察ー
イギリスに初めて来たときの滞在様式はホームステイだった。学校からオファー(入学許可)をもらった時期は早かったのだが、所謂手付金を払ってなかったので、寮を確保することが出来なかったのだ。それでもまぁ初めてのイギリス、巷で騒がれている(ような気がする)ホームステイでもいいんでない?ということで決めた。
ステイ先の紹介は学校がしてくれた。週115ポンド(食事代、光熱費、洗濯代など全てが含まれている)。場所はZONE4と少々遠かったが、最寄り駅が地下鉄ではなくBR(国鉄)だったため、20分ぐらいでロンドンの中心に出ることが出来た(しかも家から学校までは徒歩10分)。
ホストファミリーはアイリッシュ系の家族。水周りのメンテナンスをしているホストファザー、専業主婦のホストマザー、子供4人[男(16歳)、女(15歳)、女(13歳)、男(9歳)]の子沢山核家族。それに犬猫各一匹ずつ。朝から晩まで兎に角喧しい家だった(一人っ子の僕には「オモシロ現象てんこもり」で楽しかったけど)。
前半は家族と過ごすことも多かったが、後半は学校の課題で忙しくなったり、新しく出来た友達の家に泊まったりと、家族と過ごす時間を自分から減少させたという感じである。ホストマザーは、「もういっぱしの年齢なので、何時に帰ってこようが外泊しようががあなたの好きにしていいわよ」と言っていた。基本的に自由に過ごさせてもらったのだが、彼女としては果たして僕が満足したのか、気になっていたようだった。ある日学校から、「我々が紹介した留学生は、お宅で上手くやっていますか?」という電話がいったらしく、ホストマザーは「何か満足してないことでも学校に言ったの?」と聞いてきた。僕は「学校には何も話していない」と答えた。実際に話してないし、学校側としては事務的に電話しただけであろう(それでも誤解を招くようなことはして欲しくない)。
ホストマザーは出来る限り僕との交流をはかってくれた。自分としても彼女と話をするのは楽しかったので、よく夜中まで話したのを覚えている。一方子供達とはあまりあわなかった。殊に女の子たちの印象は悪い…。色々と経緯はあるのだが、まぁ難しい年頃だしなー。ホストマザー、ホストファザーに激しく反抗しているこの時期に、「日本から来た留学生ですがな」と片言の英語で言っても、「誰やねん」となるのも分かる気がする(そりゃ一般化は出来ないが)。僕のキャラクターにも問題があるのでは?という見方も出来るか…。
ホームステイする側、それを提供する側のスタンスは非常に難しい。よく「私のホストファミリー最悪なんです。話し掛けても反応薄いし、食事も別々だなんて…。なんだかホームステイしてる意味がない…」という発言に対し、「一般化は出来ないんじゃないですか。私のホストファミリーはとてもいい人達ですよ。忙しいにも関わらず積極的に交流をはかってくれるし。あなたの場合あなた自身に問題があるんじゃないんですか?」のような論争をネット上で見かけることがある。…うーん…、「悪い、問題のある人間、或いはホストファミリーなんてそんないるもんじゃないんじゃないかな…」というのが僕の考えるところです。そもそも「悪い」「問題」って何だろう…?
僕はこのような議論に対し、問題の原因を、両者の「間」に存在するもの、と考えるべきではないかと思う。つまり、ステイ側、ホスト側のどちらに原因が存在するのだろうか、と考えるのではなく、両者の「間」に作られる「ホームステイ観」或いは「ホームステイに対するエクスペクテーション(期待)」の差異に注目するべきだと思うのである。ホストにどこまでしてもらいたいのか、してもらいたくないのか、或いはヴィジターにどこまでしてあげたいのか、したくないのか、このレベルでのギャップは、どちらかに、或いは双方の「不満」を感じさせると考えられる。例えば「イギリス人のお宅で彼らと親しく交流したい」とか、「出来る限り一緒に過ごして、英語力をアップさせたい」など、こちらの期待が、ビジネス志向で小金を稼ぎたいと思っているホストファミリーのぞれに対して大きすぎると、留学生は彼らに幻滅するだろうし、逆に、学校の拘束時間が長かったり、課題が極端に多かったりするコースに属していると、「出来る限り留学生にイギリスらしさを」と、積極的に交流をはかろうとするホストファミリーに残念な思いをさせるかも知れないし、ステイ側は拘束されているように感じるかも知れない。
両者の期待がパーフェクトに(或いはほぼパーフェクト)にマッチしている場合、このような根本的なレベルでの問題は避けられると思われる。けどまぁそんなにうまく行かないわいな…。じゃあどうしたらいいのか。…分かりません…。しかしながら、問題の所在をどちらかに求めるのではなく、それを両者の「間」にシフトさせることにより、「あの人たち(或いはあの人)サイテー」と、相手を絶対的悪に表象し、問題を解決できない領域まで押し込んでしまうことを回避できるのではないだろうか。問題は「相手」ではなく(若しくは「こちら側」でもなく)、自他間のエクスペクテーションの違いである。このエクスペクテーションの差異を「ネゴシエート」するのか、或いはフーコーの言っているように、「力」(相手側の要求)に対して、「対抗的力」(こちらの要求)で力関係を決定的にしてしまうのではなく、相手の力に対し、別ベクトルの「力」をつくり、その関係自体を変えることが望ましいのか…。「関係性」を重要視するポスト構造主義を「実践」を試みてみるのもいいかも知れない(或いはフラット借りちゃうとかね)。