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1999年3月、思いがけず第51回中日フォトメイツのグランプリになった私は、それから1年間、フォトメイツとして様々な行事に参加する事になったのでした・・・。
”中日フォトメイツ”という名称は私達第51回のメンバーが初めてです。前年度までは“中日ミスカメラ“として長い歴史を刻んできました。第51回からは、“ミス“という名を取り除き、水着審査も無くし、外面・写真映りだけでなく、より考え方・人間性を考慮する事に時間を割くようになったと伺っています。(外面重視、水着審査ありだったら、私は即効帰宅だったでしょう^^;)
任期は1年間。中日新聞社主催の各種撮影会での専属モデルとしての仕事の他、警察・消防・郵便局のPRなどのお手伝いや、主に東海三県各地の行政主催のイベントにボランティア的に参加します。
確かあれは2月の終わり、1ヶ月ほど前に知り合いが出したフォトメイツへの応募が、1次の書類審査を通過したと言う知らせが私の家に来たのでした。その知り合いとは、もうその頃には会えなくなっていたので応募した頃が懐かしくて、2次審査を受けに行くことにしました。(1次審査合格者には参加賞として、ジュースとバ−ムクーヘンが配られる、と書いてあったのが一番の理由と言う話もある・・^^;)
まぁ理由はとにかく、3/5日曜日、選定会場である中日新聞社の控え室に着いた私は、一瞬にして来る場所を間違えたと悟ったのでした。そこには完璧に化粧して、なんとも言えない大人の魅力オーラを発した綺麗なお姉さん達がたくさんいたのです。(ミスコンなんだから当然と言えば当然なんですけど、慣れない私はクラクラしておりました)一方私は・・・。中日新聞本社など来た事も無く、方向音痴の私は当然のように道に迷い、一番近い地下鉄の出口から出たにも関わらず、30分以上歩き回ってきたのです。当然ファンデーションなど残っている訳も無く、限りなくノーメークに近付いていたのでした。
周りに圧倒されつつ、どんな状況も楽しんでしまう私は10分もしないうちに綺麗な人達に囲まれる事が嬉しくなってきました。「バ−ムクーヘンももらえたし、貴重な経験もできたから来てよかったわ〜」とそれだけで満足だったので、自己PRや面接も全然緊張せずにニコニコしてました。人と話すのが大好きなので、普通ならお話できないような審査員の偉い方々に自分の話を聞いていただけるだけで、かなりご機嫌だったのです。(いたって単純です)
それが度胸があると評価されたのかはわかりませんが、2次・3次・4次審査と進み、気付けば真っ赤なふわふわのガウンと王冠に埋もれて、インタビューを受けていたと言うわけです。さすがにグランプリとして自分の名前が呼ばれた時は、一瞬誰の事かわからなくて動けませんでした。明日の中日新聞に写真と記事が載ると言われても。心の準備が・・・!ついでに化粧の準備も〜・・・!!と言う訳で、次の日の中日新聞には、化粧もろくに残っていない、興奮して真っ赤になった私の顔が載ることになったのでした。(友達でさえ写真を見て、一瞬誰か分からなかったと言ってました)
その後、母校の中学校では、朝礼の席で、校長先生が全校生徒に向かい「え〜先日、3年生の木村さん(下の妹)のおねえさんが、中日フォトメイツのグランプリを受賞されました。」と発表され、妹を赤面させました。小学校、中学校でお世話になった校長先生方からも、すぐにお祝いの手紙が届き、いろいろな方からの愛情を感じましたね。感激でした(涙)
こんな風にして、私のフォトメイツとしての1年間は始まったのであります。
(授賞式にて)