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(ほとん ど旅行)についての日記です。実際に現地で書いていた日記を元にほとんどそのまま載せました。 そのため乱文等が見られますがそこらへんはご了承下さいませ。 |
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まあ、日本出る時のあの暗い雨もようからして、うわ〜やな予感…とか思ってたのが的中した。 まずダラス→NYの便でラガーディア空港に着くのが本来なら10:00の予定なのに11:30になった。なんかよくわかんないんだけど風が強いためフィラデルフィアかカナダの空港に寄港するだとかどうとかいってただろうな。かなり苦しかった。 そして私は窓際の席で、NY及びその周辺のすばらしき夜景が上からのアングルで見られたのはいいのだが、隣にいかつい米国男性が2人も居座っててトイレ1回しか行けんかった。ちなみに食後、隣の男の人のジーンズのはちきれんばかりのジーンズの膝上部分に紅茶パック(使用済)をぶっかけてしもうた。ごめんなさい!と謝ると、"That's ok! I've got 24 cloths"等と明るく対応してくれた辺り、ああさすがアメリカ人と思わずにいられなかった。そう!その明るさよ!!また、飛行機が約1時間半にも及ぶ上空旋回の末に ようやくラガーディア空港に着陸した時は、乗客皆が拍手喝采で、おお、これぞアメリカ(Part 2)!という感じであった。 ラガーディア空港に着いてからもクソ大変で、まず既に予定到着時刻よりも90分が軽く経過しており、空港にて私をピックアップしてくれる出迎えドライヴァーが見つからなくて30分ぐらいはその人を探し歩いて空港内をさまよっていた。ISS(留学を申し込んだ斡旋会社)の緊急連絡先にもTELかけたりしたし。ヨウコちゃん一行には誠に迷惑をかけてしもうた。で、ようやくドライバーを見つけたのが夜12時前!そこでヨウコちゃん達とはバイバイした。 出迎えに現れたのはしごく不可解な出で立ちの、黒人?のようでもあり、中近東チックでもある怪し気満載のいかにも安アパートに住んでいそうな男性であった。そして可哀想なことなのかもしれないが、彼の顔面にはとても目立つ大きな傷があり、私は即座に彼をアインシュタインと名付けた。このアイーン(愛称?)の登場にはかのヨウコグループも少なからず恐れおののいていたようだった。たりめーだよっ! そしてすごーく不安になりながらも彼と2人でガレージの方へ行き車を置いてある場所まで。車は思ったよりマシだったので安心したのも束の間、この後事態は思わぬ展開に!! |
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2001年08月18日 13時58分41秒
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出発前前日は色々忙しかったなあ…土曜日もデジタルイメージ(コンピュータの授業)の後急いで支度して、京都帰ったら結局寝たのなんて夜中の3時か4時だし。 フラフラ状態のまま、実家からお馴染みのMKタクシーの乗り合いリムジンに乗って、関西空港まで行く途中、隣に座ってた香港に行くと云うサラリーマン(26)がカナリフレンドリーに話し掛けてきて、しかもやたら仕事で香港に行ってる人(月1回〜2回以上?)で、さらにその他絶対年1回は他の国に行くという人で結構話が合ったネエ。 弟は留学してるらしいし(ワシントンD.C.)いとこはNYでイタリー(系米国?)人とケッコンして写真系の仕事を営んでいるというクオー何とも花形な人材を持っていらっしゃる。その人の親族(家族?)がみんな外国ズキらしくて。うらやましい。ていうかそのサラリー自体もいかにも外国好きです、ってカオしてるしい!!LAとかSFに住んでる日系人とかにいそうな出で立ちであった。 しかしなんか向上心のある人で、経営の勉強も仕事と同時にこなしてるみたいだしすごいよなあ。 んでその後ひたすら一人で関空にて時間をつぶしたワケよ。何とまあ国際カップルが多いこと!!なんで皆さんそんなに外人と知り合えるの? 飛行機に乗ると、まん中のはじっこの席で、隣はALL JAPANESE(一瞬CHINESEかと思ったが)だった。試しに隣のコに話してみました。年上なのか年下なのか年令不詳だったけどそのコは16才で高2でしかも美大(しかも京芸 東芸 金沢芸大のどれか!!!)目指してる美山町(府)出身。何考えてんのアンタ!?でも、先は長いし受かるといいよねー。その”ヨウコちゃん”の隣は二人のイトコ(24、22)姉妹が存在し22の人は特に友達に似ていて親近感がわいた。そしてその一行はNYに一週間、フロリダに2週間という何とも贅沢な旅路の途中ということであった。ヨウコちゃんのお姉さんがNYに留学してて現地で合流するらしい。NYで宿とれたのね!いいな。 でヨウコちゃんとずっと話し込み、ちゃっかりその一行に同行し(同じ便でダラスで乗り換えだった!)最後の最後まで一緒だったわーん。ダラスで調子にのって『ヨーグルトでできてるなんて信じられない!』(うそくさ)という文句のアイスクリームを買って食ったら量多しでその後のダラス→ニューヨークの間しばし腹痛に見舞われたのであったとさ☆国内線はやっぱりU.S.CITIZENSが大半を占めてるっぽくて皆様の視線を感じずにいれんかった。くオオーアジア人だっててめえらの国にわんさかいるじゃあないかア! そしてその後例による(?)悲劇が私を襲ったのであった。 |
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2001年08月18日 03時27分04秒
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