池本修悟(いけもとしゅうご) 
 
1978831日大阪府生まれ。
現在、慶応義塾大学大学院政策メディア研究学科修士1年。
大学入学以来、ボランティア、現参議院議員の鈴木寛氏のゼミ活動、NPO設立、デキタンイベント「サイ」、世紀送迎会、XX+I等多くのプロジェクトに関 わる。大学三年時に、「多様な価値観を認め合える社会の創造」を目指し、創造支援工房FACEを立ち上げ、メディアを切り口に「やりたいと思うことをやれる」環境作りを行っている。来年度で大学院卒業を迎えるが、就職はせずにFACENPO化し、新たなメディアの創出を目指す。現在は、FACEの新規プロジェクト「メディアプロデューサーズスクールI-mage」の立ち上げと、NPO法人格取得に向けて準備中。

創造支援工房FACE  http://www.iface.ne.jp/
FACEメディア寺子屋 http://www.iface.ne.jp/media/index.html
メディアプロデューサーズスクール I-mage http://www.iface.ne.jp/i-mage

リーダーに必要なものとは
丸山 では、まず池本さんの大学入学前までのお話を伺いたいと思います。

池本 僕は小中高と学級委員や生徒会をやっていました。その他に、サッカーでキャプテンをやっていて、それは今の自分にも深く関わっています。というのも、それまで僕は基本的に自分の好きなことをやってたし、やっていたい人だったんです。だけど、それじゃキャプテンは務まらないわけです。全体をまとめたり、チームメイトのいい所を見つけたり、上手くコミュニケーションをとったり、練習を工夫するようにしたりと、そういう経験を通して、自分だけでなく他のメンバーのことを考えたり、全体を見られるようになりました。あの時学んだことは、同じように今、団体の代表として活動していくのに生かされていると思います

丸山 SFCを選んだのは何故ですか。
 
池本 SFCにも興味を持ったきっかけというのが、ある予備校の先生が「日本で最先端の学問をしているのはSFCだ」という話をしてくれたことなんです。僕は、新しいことに興味があったので心に引っかかり、SFCを受験しました。



 
ボランティア=自発的におこなうこと


丸山 SFC入学後はどういうことをしていたんですか。

池本 もともと新しいことがしたくてSFCに入ったんですが、SFCが力を入れている語学やITはあんまり得意じゃなかったです。でも、その時もう一つ新しいことがあってそれをやってみたいと思いました。それは何かというと、「福祉」でした。その時言われていたことで、高齢化社会が高齢社会に、情報化社会が情報社会に、「化」という文字が抜けて移行しているという話にピンときて、その両方をやっ
てみたいと思いました。

丸山 具体的には何をやられたんですか。

池本 老人ホームにITを導入しようという活動に関わりました。また、それをきっかけにして、自分でボランティアや福祉の活動をやり始めました。そして、二年の頃には、障害者の国体の運営ボランティアを経験したんですが、その時に自分の中でボランティアというもののイメージが大きく変わりました。どういう風に変わったかというと、それまではボランティアってのは「健常者が障害者に対して何かをしてあげる」みたいなイメージを抱いていたんです。でもそうじゃない、と思うようになりました。ボランティアというのは、「自発的に何かを行う」ということであって、必ずしも健常者が障害者に対して行うものだけではないんです。障害者の方が健常者に何かしてあげる、そういうボランティアもあると思うんです。


自分のやりたいことを実現できない人が多い

丸山 鈴木寛さんのゼミに入った理由を教えてください。

池本 鈴木さんが複雑系という学問分野を扱っていたこと、彼が2002年のワールドカップの組織委員だったこともその理由なんですが、もう一つ、彼が抱く問題意識が自分に引っかかったことも大きな理由でした。どんな問題意識かと言うと、自分もそうなんですが、「自分が面白いと思うこと、やりたいと思うことを実現できない人が多い」というこ とです。例えば、 自分がすごく会いたい人がいたとし
ます。その場合、大抵の人が行動する前に「それって難しいよね」と決め付けてあきらめてしまいます。でも、実はどんな人だって会おうと思えば会えるものなんです。

丸山 鈴木さんのところで学んだ一番のことは何だったんでしょうか?

池本 一番勉強になったのは、SCIXという平尾誠二と鈴木寛でNPOを作るという活動に関わったことでした。スポーツのチームメイキングを企業のチーム作りに、サッカーのコミュニティ作りを企業にと、いろいろと応用することを学びました。何でも大事なのは「見方を変える」ということなんです。例を挙げると、例えば普通の入れ物があったとして、それに鉛筆を立てれば鉛筆立てになり、花をさせば
花瓶になる、水を入れればコップになるんです。あるものをどうやって生かすのか、どうやって見方を変えていくのか、生かす知恵はどこにも転がっているんだ、そういうことを学びました。




新しいメディアを作りたい


丸山 大学三年の時に立ち上げた、創造支援工房FACEについて聞かせてください。

池本 様々な活動やイベントを経て、三年の終わりに創造支援工房FACEを自身で立ち上げました。その時思っていたことは、 自分がやるならずっと続くようなグループを作りたいというのがありました。自分の好きな言葉で「本物は続く、続けば本物になる」っていう言葉があるんですが、最近は物事を続けない人が多いと思います。もっと続ければいいのにもったいないなと思うこともあります。続ければ、初めの一歩の重要性にも気づくんじゃないかと思います。

池本 FACEに話を戻すと、FACEは「多様な価値観を認め合える社会の創造」を目指して立ち上げました。それを達成する手段として、自分はメディアを考えています。具体的には、新しいメディアを作りたいと考えています。現在のメディアは、スポンサーや視聴率といったことに縛られ、偏った情報が伝達されて公共性が失われていると思うんです。そういう既存のメディアを壊し、伝えたいことが伝え
られる新しいメディアを作りたいと考えています。でも、メディアを作るには、文章を書いたり、映像を編集したりという基本的なスキルが必要になってくるし、そもそもメディアとは何かというものを知らなければならないと思うんです。そこで、例えば、FACEでは、メディアプロデューサーズスクールI-mage(http://www.iface.ne.jp/i-mage)でそういったスキルを身に付けたり、メディア寺子屋で現在存在するメディアを知る場を提供したいと思っています。




I-mage

丸山 今春立ち上げる、メディアプロデューサーズスクールI-mageについてお聞かせください。

池本 さっき、FACEは多様な価値観が認め合える社会を目指していると言いました。そうなるためには、多くの人が多様な価値観を知る必要があり、その知る手段としてメディアは大きな役割を果たすと思います。現在、個人が情報を発信するためのツールは既に整っています。しかし、そのツールにコンテンツをのせている人は少ないのです。僕たちはこのI-mageで、自分でコンテンツを作り情報を発信していく人をもっと増やしたいと考えています。

丸山 具体的にはどういったことをやるのでしょうか。

池本 大きく分けて二つのことがあるのですが、それらを同時並行的に行います。一つ目がレクチャー、二つ目が実践プロジェクトです。一つ目のレクチャーでは、メディアの最先端で活躍しておられる方をお招きし、講演やディスカッションを通じて、現在のメディアの実際と新しいメディアの可能性を探ります。二つ目の実践プロジェクトでは、7つのプロジェクト(テレビ、映画、雑誌、新聞、WEB、
ラジオ、広告)がそれぞれ、「新しい時代に要求されるコンテンツは何か」ということを実践的なプロジェクトとして行いながら探っていきます。このI-mageを通して、参加者が各々の感じていることを社会に対して発信できるようにしていきます。




就職はしない

丸山 池本さんは来年で大学院の卒業を迎えるわけですが、今後はどうされるんでしょうか。

池本 就職はせずに、FACEをNPO化し、三年間はメディアをきちんとやりたいと思っています。メディアをきちんとやるというのを具体的に言うと、メディアをツールにどんどんコンテンツを社会に対して発信していき、さらに三年後の2005年に一度集大成的なものを作るというのを考えています。2008年くらいには海外に留学して、世界に自分たちの活動方法や人材を紹介していきたいです。




仏法僧


丸山 今までのお話を伺っていると、池本さんを衝き動かしているもの、行動の動機というのは「新しいこと、変わったこと、社会性のあるもの」ではないかと思ったのですがどうでしょうか。

池本 昨年の春頃に、ふと自分を振り返って、自分の行動指針・行動規範てのは何だろうと考えてみたことがあるんです。その時に、自分の行動指針というものが中高の校訓と同じ事に気づいたんですね。どういう校訓かというと、仏教用語で「仏法僧」というんです。仏は自己尊重、法は真理探究、僧は社会献身という意味です。僕は新しいことや社会的なことを追求してるんですが、その新しいことは「真理探究」、社会的なことは「社会献身」、そして自分がやりたいことをやるという意味で「自己尊重」。こう考えると自分はこの仏法僧にあてはまるなと思ったんです。




夢、発想、ネットワーク


丸山 最後に。何かお願いします。

池本 僕たちっていろいろなものを持ってないけど、夢、発想、ネットワークがあります。これだけあれば大丈夫だと思うんです。夢は意思を、発想は力を、ネットワークは広がりを生んでくれます。夢と発想、ネットワークがあれば、僕たちは生きていけるけど、でも逆に、これがなかったら他の何があってもダメなんじゃないかと思うんです。

 
上田渉(うえだわたる)

1980年7月21日神奈川県横浜市生まれ。
昨年、二浪の末、東京大学文科二類に入学。
小学校時代から現今の学校教育に不満を感じ続けたことに端を発し、教育改革を目指す。その第一歩として、学生から発信する政策・ベンチャービジネスサークルACT University Networkを昨年に立ち上げた。その活動は、各大学にも広まり、今春からは早稲田・慶應にも支部の開設を予定している。また、今までの政策・ベンチャービジネスの勉強会に加え、
囲碁のマーケティングコンサルティングやラジオ番組の企画等、さらに事業を拡大する予定。
 
ACT University Network http://www.act-u.net/
自分の将来を決められない

丸山 大学入学までの話を聞かせてください。

上田 高校時代は、全然勉強せずに、ひたすらクラブ活動や趣味に走っていました。なぜ勉強しなかったかと言うと、自分が勉強する理由と言うのが単純に分からなかったからなんです。僕は、勉強っていうのは自分が自立するための手段だと思っています。だから、自分がどう自立するかというビジョンがなければ、勉強って出来ないものだと思っていて、それで高校三年までずっと勉強せずにいたんです。そして、多くの人が自分のビジョンがないままに大学を選択しなければならない、自分のビジョンを持つことが出来ない日本という国に対して漠然とした怒りを感じてました。しかし、そんな怒りを感じていてもどうすることもできず、高三になった時に、将来への不安というものもあって、何となく勉強をし始めました。僕が尊敬する祖父が東大出身で、その祖父に負けたくないという思いと、日本を変えるには東大が最短になるのではないかという思いがあって、偏差値40から東大を目指し始めました。でも、特にモチベーションが高かったということは無かったですね。趣味に走りながら、ダラダラ勉強してました。




はじめての“社会に触れる”経験


上田 しかし、そんな僕にも転機が訪れました。一浪時のことなんですが、インターネットアドザイザーをしている企業で働く機会というのがあったんですね。その時に、自分は初めて“社会に触れる”という経験をしたわけなんですが、それが非常に面白かったわけです。学校で学ぶことより、全然。(笑)その職場にいた人とも仲良くなって、いろいろな社会人の方を紹介していただいたり、パーティのような場にも連れて行っていただきました。おかげでビジネスに非常に興味が湧きました。と同時に、自分だけでなく同世代の人間も早い段階で社会に触れる機会があれば、自分のビジョンを作る上で非常に良いだろうなと思いました。その時に感じた思いというのが、後になってACTを作る動機になったのですが、なんとか学生が社会に触れられる機会を作りたいと考え、本気で大学を目指し始めました。二浪しても志望校を変えなかったのは、自分が決めたことを曲げたくない、今死んでも後悔しないように自分の人生に対しては絶対妥協したくないという思いが強かったからです。それで何とか二浪の末に合格しました。




ACTの立ち上げ

丸山 大学入学後の話を聞かせてください。

上田 大学入学後は、弁論部とU-TOKYOというビジネスサークルに入り、忙しい毎日を過ごすことになりました。今となってはテニスサークルにも入るべきだったと痛烈に後悔したりもします。(笑)八月には、とある仮想学生ビジネス大会に出場することになりました。その大会自体は、楽しくて良い経験だったのですが、何だかイベントやゲームのようにしか感じられなかったんですね。自分がやるならもっと本格的にやりたい、社会に通じるようなものがしたいと、この時思いました。

丸山 その後、ACT University Networkを立ち上げたわけですね。

上田 そうです。僕がACTを立ち上げた理由は、多くの人が自分の将来を決められないまま大学に行き、就職して社会に出て行かざるを得ないという僕の問題意識から来ています。この問題をどうやって解決したらいいかと考えた時に、僕は自身の経験から、学生が社会に触れる機会をもっと増やせばいいと思ったんですね。学生が社会に触れる機会を作るという目的を達成する手段として、現在の教育制度を変えてしまうという手段があるわけですが、学生の僕がそれをするのはかなり大変です。それよりも、学生の立場からアプローチできる手段というものを模索しました。その手段の一つとして僕はサークルを選び、自身の興味からその切り口を政策とベンチャーにしました。そして10月に、自分の考えに共感してくれる仲間と「学生から発信する政策・ベンチャービジネスサークルACT University Network」を立ち上げました。

丸山 ACTの理念、具体的な活動内容を聞かせてください。

上田 先ほども言ったように、ACTは、学生が社会に触れ自分のビジョンを見出すきっかけを作ることを目指しています。当初は、起業家の方と政治家の方を毎週お呼びして講演をしていただくということをしていたのですが、インプットだけでは満足が得られなかったし、自分の目標にも近づけないと判断しました。それで今後はインプットだけでなく、インプットとアウトプットをバランス良くやっていこうと思っています。インプットとは講演会や勉強会などで、アウトプットとは各種プロジェクトやインターン、コンテスト、メディアによる情
報発信、交流会などです。




ACTの活動を学校の単位に!

丸山 ACTの今後の構想を教えてください。

上田 できるだけ早く、ACTはNPO化したいと考えています。というのも、将来的にACTの活動は、高校や大学での授業の一環として認められるようにしたいんです。そのためには、大学内の一サークルのままでは社会的な信用を得にくいだろうし、金銭的な面でもサークルでは苦しいんです。ですから、できるだけ早くNPO化し、社会に対して価値のある活動をしていきたいです。今の日本は学生も社会人もなんだか冷めている気がします。教育は人間の底ですからそこを変えれば人は変わる、僕はそう信じています。ACTを切り口に教育を変えていき、自分のビジョンを学生のうちに持つ人を増やし、日本をもっと熱い社会にしていきたいです。

丸山 上田さんにとっての「熱い」「幸せ」とはどんなことでしょうか。

上田 自分のことで言えば、僕が「熱い」と思うのは「何か新しいものを創ろうとやる気がみなぎっている時」ですね。そして、僕が幸せな時っていうのも「何か新しいものを創ろうとやる気がみなぎっている時」ですね。そしてあとは他の人が幸せな時も幸せです。たぶん他の人の幸せっていうのも、僕と同じで、何か自分でがんばろうと思っているときなんじゃないかと思います。そういう意味で、僕が熱くなり、同時に他の人も熱くなるような、そんなことをずっとやっていきたいですね。

 
松田卓也(まつだたくや) 「どうせこの世はどっちらけ。ならば平和バカでいこー」

1977年大阪生まれ。関西大学社会学部マスコミ学科4年。
高校時代、漫才を始め、テレビにも出演。大学入学後、芸人を目指し一人コントを梅田等で発表。大学三年終了後、芸能プロダクションを回るため大学を休学して東京に上京。
しかし、プロダクションには入らず、「舞台表現者卓也さん」としてひとりコント&メッセージパフォーマンスを独自に始めた。その後、舞台表現者からは足を洗い、ピースメーカーとして21ZEROを立ち上げた。現在は、北朝鮮の子どもたちのためのチャリティーイベントD−GAMEをワールドカップ直前期に四ヶ所(東京・大阪・名古屋・ソウル)同時に開催することを計画中。
「お笑いの世界で生きていきたい」

丸山 大学入学までの話を聞かせてください。

松田 小学校来の友人と漫才のネタを定期的に作ってて、テレビにも高校生漫才コンビということで出演したりもしててん。テレビ出演をきっかけに、お笑いの世界に関心が湧き、大学に行かんと吉本の養成学校に行って、この世界で生きていきたいなと思っててんやんか。せやけど結局、親の反対もあって、大学は受けることになってんけど、志望校はやはりお笑いに近そうな大学と学部を選んだわ。今いる関西大学の社会学部マスコミ学科というのは、越前屋俵太さんの出身大学、出身学部やねん。ただ、大学に行くことで自分の行きたいお笑いの世界には遠回りになるなという不満はあったなー。

丸山 入学後は?

松田 入学後は、なんか楽しむことばっかり優先のぬるい連中が多いことにショックを受けてもうてん。そんで自分は「サークルには入らん」と決めて、大学外でお笑いを始めたんやわ。どんなことをやってたかと言うと、大阪の50人くらい入るホールを借りて、ひとりコントを発表していました。僕としては卒業してひとりコントで食っていくつもりやったので、必死にチラシを撒いたり、友達に電話をかけまくったりしてたわ。せやけど、なかなかうまいこといかへんかって、自分や周りに対して焦りや怒りを感じてた。




「やったもん勝ちや」(笑)

松田 そんな時に、母親の紹介で、自己開発プログラムというのに参加しました。自分がやりたいことをどうしたら実現できるのか、ということを理屈と体験で学んだのですが、そこで一つのことを学びました。それは何かと言うと、「やったもん勝ち」ということなんです。(笑)どういうことかと言うと、自分はこれまで何かをやろうとした時に不安を感じてブレーキをかけてしまうことが多かったんやんか。気持ちは行きとうても、体が知らん内にブレーキかけとってん。それはアカンなー思て、自分の気持ちに正直に猛進したろー思た。これは
後に、大学を休学して上京したことにもつながってんねんけどな。




「あん時のピースメークとの出会いが転機やった」

松田 その自己開発プログラム後、今までの自分と違うことがしたい思て、子どもと遊ぶコミュニティに参加してん。自分は別に子どもが好きなわけでもないねんけど、やってみても体が拒絶反応を起こし、なんかきしょくわるーてなんべんも「やめます」と言うてた。そのたびに、「もうちょい続けてみ」なんて言われている内に、いつのまにか副部長になってたわ。(笑)そのコミュニティで、僕にとって転機となった出会いがありました。どんな出会いかと言うたら、そのコミュニティの先輩で、環境問題や途上国の飢餓の問題について活動をしてはる人がおってんやん。その人の勉強会に出たりしてる内に、一緒にバングラディシュへ行くことになってん。どういう目的で行ったかというたら、途上国の農村の自立支援をしてはるNGOとかを見学が目的やった。そういう経験を経て、ピースメークへの関心が高まり、お笑いとピースメークが自分の中に同居するような状態になりよったわ。




「休学して東京へ」

松田 大学三年を終えてから、大学を一時休学して、東京に上京した。なんでか言うたら、そろそろ本格的にプロダクションを回り、コントで生きていくという夢を実現させようと思てたから。東京に上京してきたのはええねんけど、結局僕はプロダクションを回れへんかったわ。なんでかというたら、プロダクションに入ってからの自分を考えた時に、もし成功して人以上の金がもらえてもその先がないっちゅう気がしてん。もし入っても自分のやりたいことをやらせてもらえるか分からへんっちゅうこともあったし。それなら自分でライブをアート
したろ思て、自分一人でやっていくことにしてん。実際、その後新宿で、ひとりコント&メッセージパフォーマンスということを始めた。ひとりコントでは笑いをひたすら追求し、メッセージパフォーマンスでは平和を訴えるアクションをするという奇妙な二本立てを売りに公演を開き、毎回70人近いお客さんに来てもろてました。せやけど、そんな活動を続けていくうちに、自分の中にある違和感を感じるようになってきたんやんか。どういうことか言うたら、「パフォーマンスで平和を訴えても、なかなか平和に向かう実際のアクションには
結びつかへん」ていうことに気づき始めてん。自分の表現はステージやなくてもええんや、そう思うようになってった。振り返っておもろいなー思うんは、お笑い表現と平和表現はステージで共存関係やってんけど、いつのまにか平和の方が独立した目的に転化していきよったことやなー。たぶん自分の中で活動を続けていくうちに、平和への活動の方に関心が向いてきたんやと思います。自分はそれまで本当にコントにこだわってきたのに、それ以来スッパリ切れて、平和活動に走り始めたわ。




「現実として動かなあかん」

松田 平和活動として自分が一番初めにやったのが、青年ボランティア世界会議の実行委員を務めたことやった。そのイベントは大規模で、世界100ヶ国くらいと相当の予算をかけてやってはりました。自分としては、青年が主体となって、世界規模でボランティアのことを考えるということで、非常に理想的なイベントのように感じていたのですが、実際やってみると参加者は楽しみに来ている、ちょっとボランティアをつまみに来ているという印象を受け、がっかりしました。これではアカンと、現実として平和のために動きたいと思い、まずは自分一人から始めてみたろういうことになってん。




「ボランティアって皆が思てるもんと違う」

松田 そこで今年の一月、21ZERO(two one zero)というNGOを立ち上げ、自分で本格的に始めることにしてん。21ZEROというのは、日韓のユースボランティアリズムの促進を目的にしています。今のボランティアっていうのは、堅いとか暗い、きつい、おもんなさそう、偽善者みたいなイメージがまだつきまとっているやないですか。せやけど、ボランティアって決してそんなもんやないと思うねん。僕はボランティアは世界平和の力となると思ってるんで、ボランティアはマイノリティであったらアカンと思てる。せやから、音楽やファッション、スポーツもボランティアになり得るんやということを示して、今の若者のボランティアに対するイメージをいっしょに変えて行きたい思てる。またそのパートナーとして韓国を選んだんは、自分が北朝鮮の子どもたちの支援に興味があり、韓国の人たちがそれに強い関心を示してくれてるということと、また世界平和は一国では成し得ないという認識があったからやねん。




「自分が好きなことをやっていてもボランティアになんねん」

松田 21ZEROの一つ目のプロジェクトとして、ワールドカップ直前期に北朝鮮の子どもたちのためのチャリティーイベント「D−GAME"quartet"」の四ヶ所同時開催(東京・大阪・名古屋・ソウル)を考えています。具体的には、ライブがメ
インになると思てんねんけど、各地域で別々のことをやってもええと思てる。各地域の若者が別々にイベントをアートし、こういう風に自分が好きなことをやっていてもボランティアになるんやなということをまずは実感し合いたいと思てんねん。




「僕は自分の「?」を拭い去るため、世界平和を目指してんねん」

松田 僕は自分の「?」を拭い去るために、世界平和を目指してんねん。ていうのは、人っちゅうのは生まれながらにして生きる選択肢いうのを持っているべきやと思うんねん。生きる選択肢というんは、生きる義務ではなくて、「あなたは生きることが出来ます、でも自分の意志で命を絶つこともできます、どちらも選択できますよ」というもんやと思うんねん。こういう選択肢を持てずに死んでいく人が世の中にいっぱいいる。これが自分にとって「?」なんです。手段をきちんと考えれば、世界の皆が選択肢を持てる状況にできるはずや、自分から何とかしたいという思いがあるんやわ。




「卒業後、また上京します。初めは野宿する勢いで。(笑)」

松田 今年で僕は卒業やけど、就職せんと、卒業後また東京に上京します。本格的に動こうと思ったら、やっぱり東京の方が何かと動きやすいし、人も多いというのが理由でやなー。金も宿泊場所もないので、はじめは野宿してもいいぐらいの勢いです。(笑)21ZEROとして、しばらくは北朝鮮の子どもの支援とユースボランティアリズムの向上を目指して続けていきますわ。今は実績も何もなく、人も金も本当に乏しいのですが、一つ一つ実績と信頼を積み重ねることで、お金も自然と回るようになるし、結果的にNPOにすることも可能だと思うねん。「学生で金もコネもなくても、思いがあればNPO作れるんだなあ」と一緒にやっていく中で若い人に刺激を与えて、そしてその人たちが21ZERO以上のものを作っていくような、そんな「説教くさくない青年育成」ができる組織にもしていきたいと思とりま。




「のんびりした日々、挑戦の日々かな」

丸山 松田さんにとっての「幸せ」「熱い」とは何ですか?

松田 僕は散歩したり、山登りしたり、彼女といたり、そういうのんびりした毎日に「幸せ」を感じるわ。そんな日々を送れたらえーなーって思う一方、世界の「?」が気になり、21ZEROで活動をしているような気がしてる。自分の活動っていうのは、「幸せ」というものではないけど、エキサイティング、「熱い」とは思っています。「幸せ」と「熱い」は自分の中では別のもののように感じていて、自分にとって「幸せ」というのはのんびりと人間らしく時間を過ごしている時で、「熱い」というのは、自分ができるかなあと思いながらも大きな
夢に挑戦している時なんやないかと思とりま。最後に、「熱い」と言えば、自分の好きな言葉でこういう言葉があるので紹介します。

「夢中になれるものがいつか君をすげえやつにするんだ」(ドラゴンボールZ「WE GOTTA POWER」より)

「いろいろ偉い人とかいるけど、肩書きとかね、そういうこと騙されないで、中身でね、勝負して生きていきましょう!」

「さらに、自分で頑張ってその肩書きをゲットした奴は、それを利用しておもいっきり、這い上がれ!」(アルバム「ラッパ我リヤ伝説」より)




松田卓也から読者へのメッセージ


21ZERO featuring HANK net-JAPAN「D-GAME"quartet"」をいっしょに作り上げてみたいという方は、
どしどしtensaitakuyasan@mail.goo.ne.jp(たくや)までご連絡ください。

ぜひいちどのウェブサイトたちをご紹介しておきます。

http://www.peace2001.org

「OPEN JAPAN」の"Spark Project"に僕の自己紹介とアホ写真があります。

http://www8.plala.or.jp/iavej/
「IAVE日本」の"YOUTHのページ"に若者手作り交流会"WaWaWaのWA"
毎回、有意義でおもろい体験ばっかばっかばかばっか!みんな来てねーん。

http://www.asc-net.or.jp/hanknet-japan/
「HANKnet-JAPAN(北朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン)」
D−GAME"quartet"の募金先をこちらの「粉ミルク緊急支援キャンペーン」にさせていただくことになっています。
また、データや資料、写真が豊富なサイトなので、北朝鮮について知りたい人は必見!




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