技術への問い
n 「技術」と「技術の本性」の差異。(p17-20)
技術の本性(Wesen) … 技術とは「何」であるか、というとき問われているもの
技術のインスツルメント的・人間学的な規定
@ 技術とは、目的のための手段である。
A 技術とは、人間の行為である。
この規定は、正当richtigだが、技術の本性を示していない=真wahrでない。
技術の本性に到達するには、正当なものを通じて真実のものを尋ねることが必要。
⇒ インスツルメント的なものそれ自体は何か?手段・目的とは何か?
⇒
「因果性」の始源的な意味を問うためにギリシャ人の思惟を尋ねる。
n ギリシャ人の四原因(≠因果性)
供物の銀皿で言うと…
質料因:銀の皿の材料
形相因:材料が採っていく形姿
目的因:皿の形や材料がそれによって決められる祭礼
作用因:銀細工師
原因(Ursache独、causa羅)のギリシャ語aition
… 他について責めを負っているところのもの。(なにか結果を引き起こすもの、ではない)
(訳注:aition<aitia: responsibility, mostly in bad sense, guilt, ….)
質料・形相・目的・作用は、供物の器としての銀皿がそこに用意されて在るということについて、責めを負っている。
・責めの四つの負い方 = 何か或るものを明るみのなかへ持ち来たすこと。
・責めを負う ⇒ 現存に導く、解き放ち、完成された到来へ、いざなう。
・つまり、ギリシャ人の因果性の本性 = 誘い出すVer-an-lassen
誘い出しの四つのあり方は、出で-来-たらすher-vor-bringenことのなかで共演する。
・出で来たらす … 未だ事割られざるもの(das Verborgene, 秘匿的なもの)が事割られたるもの(das Unverborgene, 非秘匿的なもの)に到ること
・このように到ることは、発露、露わな発き(Entvergen, 顕現)に属し、ギリシャではaletheiaと言った。
n 技術の本性、立たせること、挑発、Ge-stell(p27-43)
・技術は、露わに発くあり方の一つ。
・ギリシャのテクネーは、詩作的なものであった。
・近代技術のなかで統べている露わな発き … 自然にむかって、エネルギーを供給すべき要求を押し立てる挑発(Herausfordern)
昔の農夫は、耕地を挑発していたのではなく、穀物の繁殖を看守っていた。今の耕作は動力化された食品工業であり、自然を立たせstellen、仕立てるbestellen。
水力発電はラインの流れを、水圧を提供するように立たせ、その水圧はタービンを廻転するように立たせる。
・仕立てられるものは、次の仕立てのために、自分で用意して立っているように、仕立てられる = 役立つものBestand
人間自身も、自然エネルギーを搬出するように挑発されている限り、役立つものである。
・立て-組(Ge-stell):現実を役立つものとして仕立てる在り方において露わに発くように、人間を挑発し立たせるということを纏めていく呼び求め。
Berg(山)を纏めていくものがGe-birg(山脈)であるように、be-stellen(仕立てる)、her-stellen(製造する)、 vor-stellen(表象する)等々を纏めていくのがGe-stell。
(p43-47)
・近代技術の本性は、人間を露わな発きの途上に遣わすschicken。この遣わしが命運Geschickであり、ここからあらゆる歴史Geshichteの本性が規定される。
・Ge-stellも、ギリシャ的なポイエシスも、こうしたGeshickのありかた。
・自由。命運は人間を統べているが、強制しているわけではない。人間は、命運を聴く者として初めて自由になりうる。
自由は根源的には意志とは何ら関係ない。自由とは、明かりを浴びた開濶(かいかつ)の地das Freieを主宰するものである。???難解なので保留。
[注によれば、中世においてder Freieは身方、愛する者を意味したが、そこから束縛されない、護られた、広々としたという意味を持ちはじめ、das Freieは教会の前の広場、城の前庭を意味するようになった。]
・技術の本性を沈思して、Ge-stellを発露の命運として経験するとき、われわれは既に命運のdas Freieに逗留している。[技術に埋没したり技術を断罪するのではなく、技術の本性に耳を澄ますこと!]
(p48-59)
[ここから、技術の「危険」と「救い」について]
・自由にするものは、しかし、常に身を匿している … 秘儀Geheimnis
人間は、次の二つの可能性の間にいる ⇒ 危険Gefahr
(A)露わな発きに帰属していることを自己の本性として経験する
(B)ただ仕立てに没頭し、(A)の可能性を閉ざしてしまう
Ge-stellにおいて、命運は最大の危険を迎える。この危険もまた、技術の本性に属する。
・人間はもはや単に役立つものでしかないのに、地上の主人顔をしている。あたかも人間はいついかなるところでも、自分自身にのみ出会っているかのごとくである。
ところが、人間はGe-stellの挑発の連鎖の中に立っているのであり、人間の本性に出会うことはない。
・「されど危険の存するところ、おのずから/救うものもまた芽生う。」(ヘルダーリン)
Ge-stellは、露わな発きを塞ぎ立てるだけでなく、救うものの芽生えを蔵している。
・「本性Wesen」とは何か。
[ここからハイデッガーは、現在ドイツ語にはなくなった、動詞としてのwesenを用いる。注(17)に詳しい。本訳書では「成存する」という造語を当てているが、別の本では「現成する」という仏教用語を当てている。]
・wesen=währen(存続する)≒gewähren(齎す)。齎されたものだけが、存続するものである。[「齎す」というのは、何だろう?きちんと行論をフォローできないのだが、ともかく「本性」は「齎し」であるとされているのだ。]
・「齎すもの、すなわちしかじかに発露へ遣わすもの」=救うもの
=人間に、自己の本性の最高の尊厳を静観させ、住み家を得させるもの
・人間の面目は、事割りとともに、それに先んじる事割られざるさまを見守ることにある。そうしたとき、Ge-stellのうちに、齎すものへの人間の最も内なる帰属性が姿を現わす。
・「危険」再説。技術の現成の二義性。
(A)救うものの忍びやかな控え目
(B)仕立ての止まるを知らぬ猪突さ
この二義性のうちに、発露の、真理の秘儀がある。
Ge-stellの究極の危険を垣間見ること=救いの芽生えを見止めること
(p60-62)
・「……詩的に住まうかな人はこの地上に。」(ヘルダーリン)
技術の本性は、なんら技術的なことがらではなく、芸術の領域において生起する。
・われわれは次のような可能性に、おののきつつ見入る:いつの日か全面的に技術の狂奔が腰を落ち着け、あらゆる技術的なものを通して徹底的に、技術の本性が真理の出現のうちに現成するにいたるであろう可能性。