1971年(昭和46年)生まれの私がこれまで生きてきた34年で感じてきたことを、振り返ってみることにする。時系列的など、組織的に整理されたものにするつもりは無い。たぶん無理だろうから。


 まず、幼稚園の頃のメディア環境について思い出すところを点描してみよう。

 テレビ、まんがが圧倒的な比重を占める。新聞はテレビ欄しか見なかった。

 わたしの実家は古本屋だった。まんがが沢山あり、当時の小学生にとってはかなりうらやましく思われる環境だったと思う。

 1971年3月生まれの私が幼稚園に在籍していたのは、1975年4月〜1977年3月である。ほぼ4歳から5歳までの2年保育であった。童子山幼稚園、という。

 ふと思い出したので記しておくが、園児にとって先生(保育士)というのは親代わりという側面があるだろう。私が5歳のあやめ組だったとき、先生が産休のためだったと思うのだが、3人入れ替わったように記憶している。不正確かもしれない。このとき、たいせつな人というのは、あっけなくいなくなってしまうものだ、ということを学習したような気がする。

 本題に戻る。幼稚園の頃は、テレビの「戦隊もの」と言われる子ども向けの特撮ヒーローものの走りである「ゴレンジャー」が人気であった。「えんばんせんそうバンキッド」という番組を好んでいたことも覚えている。内容はまったく覚えていない。


 園でメジャーだった歌は、「むすんでひらいて」(ジャン・ジャック・ルソーである!)。「これっくらいの おべんとばこに おにぎり おにぎり ちょいとつめて」という歌。「せんろはつづくよ どこまでも」。また、フォーククルセダーズの「おらはしんじまっただ」が園では大人気。

 卒園式のために練習した「おもいでのアルバム」では泣いた。人生を振り返って俯瞰するまなざしを学んだ。「いつになっても わすれない」「もうすぐみんなは いちねんせい」これらのフレーズは、この地上に生まれてきたことを永久に記念するフレーズである。

 愛唱歌があるコミュニティって、いいなあ。そういう時期が、幼稚園、小学校の高学年、高校のコーラス部の3回あった。いま、こう書いてみて、私が愛して止まない良い思い出の時期とピタリと一致することに驚いた。


 この頃、マンガを読んだ記憶はあまりない。

 アニメでは、「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「ザンボットスリー」「ゴワッパーファイブゴーレム」などの巨大ロボットアニメを見ていた。幼稚園か、小学校低学年か、判然としない。それから仮面ライダーストロンガー。

 「ひみつのアッコちゃん」という有名なアニメがある。赤塚不二夫原作。幼稚園のころ、日曜の朝に放映していたと記憶している。わたしはこの番組を好きだったのだが、女の子が見る番組であって自分は見ていけない、と強く意識していた。両親の目が覚める前に、見つからないようにボリュームを小さくして、いつでもスイッチを切る心がまえをして見ていた。


 衣服というメディアについて。幼稚園の服のことを語ろう。通園には水色のスモック。園に着くと、ハンガーに掛けられた、通園服よりも濃色のスモックに着替えたように思う。黄色い、ゴムの匂いのする帽子、通園かばん。たしか、女の子も同じ格好をしていた。

 教室というのか園の部屋には、絵などいろんな貼りものがしてあった。色紙で輪を作ってつないだことを覚えている。

 折り紙、というのは園生活におけるメジャーな文化だった。フレーベルがつくったのではなかろう。日本の誰か幼児教育にたずさわる人が幼稚園に導入したのだろう。私はひじょうに不器用で、「このおりがみができない人は、せんせいのところに来てください」と言われて、いつも先生のデスクに並んでいた。


 次は、まんが以外の本について。園でメジャーな絵本は「ぐりとぐら」。先生が絵入りの年賀状を送ってくれた。私がもっとも熱心に読み込んだ絵本は「きかんしゃやえもん」。さすがにストーリーは覚えている。「ちゃんちゃん かたかた けっとん」というオノマトペも覚えている。ずっと後に母に教えられたのだが、私はこの本を1冊、文字通り「読み潰し」、ぼろぼろになったので2冊目を買ってもらったらしい。確かに家には2冊のぼろぼろになった「きかんしゃやえもん」があった。この本の価値観には、ほとんど身体レベルで大きな影響を受けているだろうと今でも思う。マータイさんに教えたい。

 園のバースデーパーティで親友から「もりのへなそうる」という絵本をもらって、大切に読んだ。内容は覚えていないが、奇妙な印象だけが残っている。

 「ねびえ」という絵本を、園でヒマな時間に偶然読んだ。お陰で寝冷えというのは大変に恐ろしいものだという感覚が長く残った。自分の身体が、複雑で少々気味の悪いものだという印象も持った。