自民党の太田誠一議員が、公開討論会において「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」と発言したことが大きく報道されました。司会の田原総一朗の言葉を受けて軽いノリで言ってしまったという文脈を差し引いて考えなければなりませんが、政治家としては不注意なことを言ってしまったものです。
しかし私は、この発言を大きく報道することに違和感を覚えています。私は、ある意味で「明らかな問題発言は、問題ではない」と思います。
どういう意味かと言うと、誰が聞いても明らかに良くない発言というのは、対処が簡単だからです。その本人を非難すればよい。道徳的にも、政治的にも、メディアの都合においても、太田議員を責めればよい。それで終わりです。
われわれが真剣に頭を使うべき社会問題の多くは、こんなにはっきりと見えません。有事法制は、政治的な関心がない人にとっては、どれほど問題なのか分からない。大組織が起こす不祥事は、大抵の場合、特定の個人を非難すれば済むことでなく、組織の構造的問題まで踏み込む必要がある。ある種の犯罪が増えているならば、地域社会のあり方などその背景が探求されるべきでしょう。こうした、重大さに比べて見えにくい問題に、私たちは目を向け、頭をつかうべきです。
では、太田議員の発言は控え目に報道すべきか。私はそう言いたいわけではありません。私は、大衆メディアと高級メディアがはっきり役割分担していない事が問題だと考えています。
大衆メディアとは、感覚に訴えかけるニュースを中心に報道するメディアのことを指します。多くの人が感覚的に興味を抱く事柄は、市場価値を持ちますし、私たちの知りたい欲求を満たしてくれます。それに、私たちの道徳観念に近い。
高級メディアとは、頭を必要とし、抽象的な理解力を用いてニュースの重要性を決めるメディアのことを指します(※)。
太田議員の発言が大きく報道されるのは当然ですが、それは大衆メディアの役割です。高級メディアは、発言の事実関係と、それに対する大衆メディアの報道とを簡潔に報道すればよい。限られた時間を大きく割くような問題ではないと思います。
誤解の無いように指摘しておきますが、大衆メディアは程度が低く、高級メディアが優れているというわけではありません。両者は、期待される役割が異なっているのです。現在の私たちが住んでいるような複雑な社会では、こうしたメディアの役割分担は必然的に要請されるように思うのですが、いかがでしょうか。
(※)デュルケムの『社会分業論』を読まれた方なら、大衆メディアが「機械的連帯」に、高級メディアが「有機的連帯」に親和的であることに気づかれるでしょう。両者の関係は、その社会の社会的連帯のあり方に応じて考えることが可能だろうと思います。
(2003/6/29)