甲 子 園 特 集


 現在1年生部員は30人。そのうち甲子園経験者は13人と、明治野球部は甲子園経験者が豊富だ。高校球児にとって夢であり、すべてである聖地・甲子園。その甲子園の土を踏んできた男達にとってそれは、今にどう生きているのだろうか・・・・。

 今回は、昨年甲子園を経験したばかりの1年生にスポットを当ててみた。

第1回 大久保 寛之 浦和学院高出
第2回 田中 曜平 智弁学園高出
第3回 赤土 義尚 福井商高出
第4回 河野 靖史 浦和学院高出

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夢舞台で培われた大きな自信

河野靖史(商1) 浦和学院高出


 浦和学院高在学時3度の甲子園を経験し、そのうち3年春・夏にレギュラーとして5試合に出場した河野靖史(商1)。

 1年の夏はスタンドから試合の行方を見つめていた。「甲子園のグランドってボコボコしていて、実はたいして良くないんですけどね」。グランドの状態は関係ない。そこが「甲子園」である、そのことが重要なのだ。「グランドに立つと、フェンスが低い関係で同じ目線に人がいて、球場全体に包まれているような感じなんです。やっぱり他の球場とはぜんぜん違いました」。その姿は河野の心に強く焼き付けられていた。高校球児の夢・甲子園。1年前、河野は確かにその場所に立っていた。

 夏の2回戦対川之江、自身にとってもっとも印象深い試合。相手は川之江のエース・鎌倉。189センチの長身から繰り出されるサイドからの140キロ。「他の選手とは比べ物になりませんでした」。だがなんとしても打ちたい。「監督にチャンスで打てないってずっと言われていたんです。それがすごく悔しくて・・・」。見返したい!!その気持ちが河野を突き動かした。

 1対1で迎えた7回、思いは最高潮へ達する。初球スライダーを芯で捉え、打球はレフと方向へ。それが勝ち越しのタイムリーとなり、その1本を皮切りに浦和学院のバットから次々と快音が響き、その回一挙4得点。7回まで5−1とリードを守る。ところが8回、連打を浴び一気に同点。

 そして迎えた9回、1死3塁の場面。打球は三遊間を抜け、浦和学院まさかのサヨナラ負け。好投手・鎌倉の前に全国制覇の夢が途絶えた。実感の湧かぬ間に試合の幕は閉じた。悔しさで胸が熱くなった。すぐには涙さえ出さなかった。しかし負けはしたものの「攻守にわたり一番できた試合だったと思います」。

 自分の力を存分に発揮し、心から楽しんだ甲子園。選ばれた者だけが戦うことを許される夢舞台で繰り広げられた5試合。堂々とプレーする河野の姿は本当に輝いていた。

 甲子園を去り、次の舞台として大学進学を決意。質の高さ、偉大な先輩の存在から迷わず明治を選んだ。セレクションには名門校のユニフォームに袖を通した90名にも上る受験者。その光景に一瞬ひるむも「お前も浦学の看板を背負っているんだから」。監督のその言葉を胸に河野は自分自身を見つめなおした。「自分にも今までやってきたことがある。自信を持とう」。培われた実力で見事セレクションに合格を果たす。「浦和学院・河野」は「明治大学・河野」へと姿を変えた。

 今の目標は「一日も早くメンバー入りすること」。春は同期の松下(法1)、今浪(商1)の2名が早くも名を連ね、その実力を存分に発揮。当然そんな同期の活躍が刺激にならぬはずがない。実力のある甲子園経験者が多数いることも同じである。自らも経験しているだけに「競争心があります」。

 甲子園での経験を生かし、培った自信と実力を糧に、河野が神宮で活躍する日を楽しみにしている。【本紙硬式野球部担当・前島慶子】

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赤土の野球道

赤土義尚(政経1) 福井商高出


 1試合に7打点。これは桑田真澄(現読売巨人ジャイアンツ)と松井秀喜(現ニューヨークヤンキース)の2人が持っていた記録だ。だが、’02年春甲子園の2回戦で彼らと肩を並べる男が出現し、後に明治に入学することになった。今回紹介するのは、そんな注目の1年生赤土義尚(政経1)だ。

 高校時代、出身校である福井商業が甲子園に出場したのは、高1の夏から連続して3年の春までの計4回。赤土がベンチ入りしたのは2年の夏から。誰もが憧れる甲子園での試合に対して「プレッシャーを感じていたというより、ワクワクしていた」。その思いが花を咲かせたのは3年の春。赤土にとって2度目の甲子園だった。  そして津田学園との2回戦、1階裏に左翼越え満塁打を放つ。さらに8回にはとどめの1発ソロホームラン。福井商4番としての役割を全うした。

 では、なぜこれほどの記録を残すことができたのか・・・。それは、赤土の練習量の多さに由来する。赤土が1日にバットを振る回数は「バッティングを含めて1000回」。1日でも練習をサボると「振れてない。スイングが遅れる」。普段のこの感覚こそ、バッティングという技を極めた証だ。練習中に打球が学校近くのパン屋を直撃したこともあるという。

 そして、その練習に直接付き添った監督とコーチの存在も大きい。学校での練習を終えた後も、1人残ってバッティング指導をしてもらった。「2人もいるからなかなか帰れない」。もちろんやめたいと思うときもあった。だが諦めなかった。甲子園1回戦で松江北を相手にノーヒットだった時は「さすがにへこんだ」が、そんな苦境も2人の指導者が支えてくれたからこそ乗り越えてきた。

 赤土はどんな境遇であってもマイペースで練習を続けてきた。日々の練習が、1試合7打点という大記録を生み出したのだ。

 これから赤土は明治でどんなどのような成長振りを見せてくれるのだろうか。今後の赤土の頑張りに期待したい。  【本紙硬式野球部担当・橋本浩司】

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今も忘れぬあの1球・・・

田中曜平(文1) 智弁学園高出


 ’02年夏、舞台は甲子園。マウンドには智弁学園の絶対的エース・田中曜平が立っていた。骨折のため、出場できない主将の松山も熱い声援を送る。「アイツ(松山)に甲子園の土を踏ませるまで絶対負けない!!」。この試合に勝てば松山も試合に出れる・・・。そんな思いを胸に迎えた強豪・智弁和歌山高戦。これまで2試合連続完封など見事に投げぬいた田中だが、この日はどこか冴えず、苦しい投球が続いていた。そして三回、ついに智弁和歌山打線につかまった。二死満塁、カウントは2−3として、バッターは岡崎。田中は幾度となくピンチを切り抜けてきたスライダーを決め球に選んだ。アウトコースいっぱいに投げ込み、岡崎は体制を崩す。

 (決まった!!)・・・・・・。

だが岡崎は体制を崩しながらも、何とかバットに当てる。「空振りと思ったらバットが伸びてきた」。そしてボールはレフト線へ。「ファールになれっー」。無常にもボールはフェアゾーンへと転がった・・・。

 「あの一球ですべてが狂った。もう目の前が真っ白やった・・・」。結局この回4失点。ペースを握られたまま試合は進み、さらに3点を追加された。だが、田中の気持ちに変化がおきる。

(オレは何やっとるんや、このままじゃ終われん。もっとみんなと野球楽しまな・・)。

「しまっていこう!!」

 今までいつも一匹狼だった田中には考えられない光景だった。一球一球投げるたびに周りに声をかける。変化球でかわすピッチングから、真っすぐでどんどん押し、攻めのスタイルに変わった。大量失点の後は完璧に打線を封じ込めたのである。「こういうピッチングもあるんや・・・」。結局、試合には負けたが田中にとって大きな意味を持つ一戦となった。

「松山には申し訳なかったけど、あの一球があったから今の僕があるんです」。そして田中は明治、岡崎は慶應へ入学。舞台を甲子園から神宮へと移した。 田中は今日もマウンドに登る。再び雌雄を決する日を思い描きながら・・・・・。【本紙硬式野球部担当 石渡太嗣】

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果たせなかった夢の続きを・・・

大久保寛之(法1) 浦和学院高出

 今年も球児達の熱い夏が始まった。高校野球の聖地甲子園で、また多くの激闘が繰り広げられることだろう。1年前、大久保(法1)も甲子園を湧かせた球児達の一人だった。

 大久保は小学校から野球を始め、当初はピッチャーだった。シニアチームに入り、その頃から抱き始めた甲子園への憧れ。夢を実現するべく、迷わず県下常連校の浦和学院に進学した。

 高校ではもともと良かった打撃を生かすため野手に転向。高校時代、二つの「大切なこと」を学んだ。一つは当たり前だが「基本をきっちりやる」こと。ボールをとる形や、スイングの軌道一つ一つの積み重ねが「自信になった」。そしてもう一つは、毎日欠かさず日誌を書いたこと。野球に対して真剣に考えることが大きな力となっていった。

 そして、憧れは3年目に春の選抜出場という形で現実となる。「予選とは雰囲気が違った」自身初の甲子園。1回戦の平安高戦では初ヒットがタイムリーとなり「うれしかった」。チームも7−1で快勝。続く2回戦の延岡工高戦では、死球を受けて交代したがチームは勝利し駒を進める。しかし、準々決勝で優勝候補の報徳学園が立ちはだかった。浦学が初回に3点を先制すると、その裏報徳が4点を返す。逆転に次ぐ逆転熱戦。だが結局「守備のミスが出て相手に流れがいった」ことで後一歩及ばず7−5で惜敗。「負けたら終わりなんだと思った・・・」。

 春の反省を生かし、夏に向け守備面の強化に取り組んだ。打倒報徳を果たしての全国制覇に向けて一丸となったチーム。夏の地方予選では5試合にコールド勝ちし、自身も打率.462を記録するなど圧倒的な強さで甲子園出場を決めた。だが、組み合わせ抽選会で引いた初戦の相手は「決勝で当たりたい」と思っていた報徳だった。

 「いずれ当たる相手」と気持ちを切り替えて臨んだ報徳戦。初回先頭の大久保は二塁打を放ち、後続打者の1ゴロの間に先制のホームを踏んだ。勢いに乗ったチームは春に敗れた報徳エース大谷(現早大)をその後も打ち込み、センバツ優勝校相手に7−3で勝利。見事に春の雪辱を果たしたのだった。

 高校卒業後、「六大学で強いイメージがあった」明治に入学。「プレーの正確さやスイングの速さ」など、高校野球との違いに戸惑いつつも「三拍子そろったショート」を目指し、そして一軍入りへ向けて頑張っている。

 甲子園という大舞台を全力で目指し、二度にわたって出場したことは良い思いでとなっている。舞台を甲子園から神宮に移し、新たな目標に向け、大久保の挑戦は今日も続く・・・。【本紙硬式野球部担当 林直史】

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