森ぴーのボツげん
陰悩録(筒井康隆に同名の小説あり)
―「痛い、痛い」と「アカン、アカン」の日々―

 それは、広陵が春の選抜高校野球で優勝した翌日の夕、突然、襲ってまいりました。左の脇腹の下方に、しくしくと疼痛が現れたのであります。最初は、放っておけば治るだろうという程度のものでしたが、盲腸の数倍はあろうかという激痛に成長するのに、さほどの時間は要しませんでした。そのスピードたるや、甲子園大会における広陵の西村投手の投球術の上達ぶりに、勝るとも劣らない早さでありました。

 痛みに耐えかね、宝塚市立病院に行ったのは、症状が出て4日目の朝でした。陰嚢が痛むような気もしましたが、それ以上に腹痛がひどかったのも事実で、最初は内科を訪れました。男は自らのシンボルにダメージを受けると、精神的なショックは甚大であります。「信じたくない」という意識が、かなり働いておりました。首をひねりながら医師は、「腸炎」と診断しました。薬をもらって帰って飲み、ぼろ社宅でおとなしく寝ていましたが、痛みはまるっきり引きませんでした。

 翌日は支社に出勤しましたが、これは堪えました。健康時には何気なく歩いている道程が果てしない距離と化し、特に梅田で阪急と地下鉄を乗り換える間の数百メートルがやたらと長い。龠歳代かに思われる老婦人と競争しても、かつてマラソンの瀬古がラストの百メートルでイカンガーを引き離したほどのスピード差があるのですから(かなり古い例えですが…)、無理もありません。這うようにして宝塚に戻ると、折り悪しく豪雨。雨合羽を着込み、単車で宝塚市立病院に向かいました。

 内科で「歩くのもきつい」と訴えると、レントゲンとCTを撮られました。それを見た上での診断も腸炎。ここでようやく、「金玉も痛いようなんですが…」と打ち明けると、「明日は必ず、泌尿器科へ行くように」と言われました。もらった薬を飲み、社宅の部屋に敷きっ放しの布団に倒れこみましたが、痛みは増すばかりでした。

 さらに翌日。泌尿器科では「左副睾丸炎」「前立腺炎」との診断が、すみやかに下りました。やはり、痛い部分は隠さずにおくのが肝心なようです。色白の小倉久寛みたいな風貌で、看護士さんにはドラえもんとあだ名される荻野敏弘医師は「とりあえず、5日間入院や」と上方の噺家のような口調で言いました。「痛い、痛い」と「アカン、アカン」の日々が始まりました。

 「水分を多く採り、尿をたくさん出さんとアカン」と言われましたが、便所まで歩いて行くだけでつらいのです。1日に3度行くのがやっと。なるべく水を飲まないようにして、我慢を重ねました。悪循環です。大嫌いな注射も合計・数回ありました。点滴用、採血用、造影剤の注入用…。両腕は穴だらけに。極め付けに痛いのが朝夕の筋肉注射です。これがあると聞いた瞬間、「痛いのに弱い上、尖端恐怖症なんです」とドラえもんに訴えましたが、「いーや、筋肉注射や」とあっさり却下されました。虚偽申告と見破られたようです。筋肉注射を受けた両肩はその後、1カ月以上も痛みました。腹の方はというと、最初の1週間は痛み止めの座薬が手放せない状態でした。「強いので、なるべく使わないように」と言われたため薬の使用は控えようと努力しましたが、8時間ごとにきっちり効果が切れます。使って1時間、微動だにせず転がっていて、ようやく痛みが薄れます。病気により、大阪における重要任務の1つ、三水会(毎月第3水曜日にあるK社主催の勉強会)も欠席してしまいました。「ここで他社と交流し、わが社のブランドイメージを高めんといかんのに、金玉腫らして入院とは…」と、情なさに涙で枕をぬらしたのでありました。

 「アカン」ことも山ほどありました。ドラえもんは「安静にせんとアカン。用もないのに院内をうろついてはアカン。食べ物はアルコールと刺激物がアカン。勝手に食堂の方へ行き、カレーうどんを食うようなのが一番アカン。バイ菌の活性化を防ぐため、陰嚢に氷嚢を当て続けんとアカン」などと指示しましたが、守るのが最も難しかったのは「金玉をぶらぶらさせてはアカン」というお達し。ぶらぶらさせると菌が活発化するそうなのですが、そんなことを言われても、彼の場合は、たんたんたぬきの歌にもあるように風もないのに揺れるのです。「便所に行ってもぶらぶらしますが」と尋ねたところ、ネコ型ロボットは「そこまで厳密じゃなくていい」と苦笑しました。

 入院・日目まで痛みが残り、結局・日間の入院となりました。午後・時消灯、午前6時起床の生活は野人のような日常を送っていた身にとっては、かなりの苦行でした。病の原因は、「用便時に汚い手で陰茎を触ったことにより、先端からバイ菌が入ったため」で、「男なら、だれでもかかる可能性がある」とのことでした。入院の報告を本社にした際、N上司は「また変な所へでも行ったんじゃろう」と邪推しましたが、それは事実無根も甚だしいです。少し前に、ややユニークな場所に確かに行きはしましたが、見ていただけなので無実なのであります。

 汚いものを触ったといえば甲子園の土ぐらいでした。しかし、それが原因ならば、甲子園球児はみんな金玉を腫らさないとなりません。「要はいつも清潔にしておくことよ」と複数の看護士さんに言われましたが、まったくもって、そういうことのようです。肝に銘じます。まったく関係のない話ですが、退院直後に宝塚市立病院の皮膚科の医師が、抗精神薬を横流ししていた事実が発覚したのにもたまげました。夏の高校野球の予選が始まったころになっても薬の服用が義務付けられ、陰嚢には悩まされ続けたのでありました。ともあれ、関係各方面には多大なご迷惑をおかけいたしました。おわびを申し上げます。