レントン・ホールのそれも同じウォートレー・ハウス、しかも同じ階に住んでいるものの共に忙しく、以前のように時々お互いの部屋を行き来することもなくなり、今では会った時に立ち話をするくらいの関係となったケヴィン。そんな彼とウォートリー・ハウスの階段でバッタリ出合った。「ジャーン!見てくれよ、このバッジ。今回の生徒会(Nottingham Student Bureau)選挙で『書記(General Secretary)』に立候補したんだ。後で純子にもこのバッジを渡すから、
『ケヴィン陣営』の一員としてちゃんと服につけて、君のクラスメートにも僕に投票するように言ってくれよ。親友だからもちろん手伝ってくれるだろ。」
彼が誇らしげに付けているバッジを見ると、
『Vote Kevin(ケヴィンに投票を)』と書かれている。
「ちょっと、そんなの付けたら恥ずかしくて表歩けないわよ。」
20歳も過ぎて今だ
将来は『イギリス首相』になるといってはばからない男ではあったが、レントン・ホールの秘書をやった後、生徒会にまで立候補するとは夢にも思っていなかった。
「俺達どのくらい付き合いか長いか知ってるか?手伝うのは当然だろ。」
普通、付き合いが長くなればなるほど親しみを感じるものである。しかしケヴィンの場合、
親しくなればなるほど嫌気がさしきて、今では会った時に立ち話するぐらいの距離感を心地よく感じていた。大体、人に物事を頼んでも人のために何かしてあげようという気持ちがこれっぽっちもないのが彼だった。

エッセーの文法チェックを初めて彼に頼んだ時のこと。私のエッセーを読みながら顔をしかめ、「なんていうひどい文章だ…。筋がめちゃくちゃじゃないか。しかも文法に至っては間違いだらけだ。例えばこの文章、どこが間違っていると思う?」
「えっ、その文のどこがおかしいの?大体、間違いが自分で解ってたら間違うことなんてないじゃない。」
私の尤もな答えに頭を抱えるケヴィン。ため息をつきながら、「ここはこうだろ。ああ、もう…。これは?」
「全然わからないんだけど・・・。」
口には出さないものの
『お前は馬鹿か?』とでも言いたげな顔をしている。口達者な彼から私の間違いを責め立てられ、自分自身に自信を失くした。『あぁ・・・、こんなことでここで勉強していけるんだろうか・・・』

しかし、あまりにも執拗に責めてくる彼に感謝の気持ちもどこへやら、教えを受けている立場として表面上、彼に対して低姿勢であったものの心の中では、
『あんたも男なんだから、ちょっとは間違ってる所を黙って直してあげるとか、間違ってる所をやさしく説明するとかしてくれてもいいじゃない』とかなり頭にきていた。

全部終わるとまるで1日仕事を終えたかのように伸びをする彼を見て、『ちょっとは俺に感謝しろよな』などと考えていることは読めた。
「ごめんね。ほんとに助かった。ありがとう!」
彼に微笑みながらも私は固く心に誓うのだった。
『この男には二度と頼まない!』

それ以降もケヴィンが「物を貸してくれ」だとか、「テレビを見せてくれ」と言う時はいつも快く応じていた。また、文法チェックのほうはというと、幸いケヴィンと違って快く引き受けてくれる友人達にも恵まれ、彼に頼む必要はなくなった。もちろん、彼も「エッセーのチェックが必要だったら、また見てあげるから」なんて気のきいたことを言ってくれることはまずなかった。



エッセーが仕上がったのが、提出期限日の前日の夜になってしまった時のこと。『一番近くに住んでるんだし、まぁ、
仮面とはいえ友達じゃない。前に彼に見せたものに比べると私の英語力も伸びてることだし、前ほど文句は言わないでしょ』と、また懲りもせずにケヴィンを頼ってしまったことがあった。私のエッセーの文法チェックと聞くと、露骨に嫌そうな顔をしたものの、他に頼る人がいないということでしぶしぶ引き受けてもらえた。
「ほら、ここの文章。自分でもおかしいと思わないか?」
また嫌な予感がした。『ちょっと、これって前と一緒じゃない?!』
「ううん…。どこかおかしい所ある?意味は分かってもらえると思うんだけど…。」
「言いたいことは分かるけど、間違ってる所がどこか分からないのか?!そしたら、この文は飛ばそう。」
彼のこの一言に唖然となった私。
「ちょっと待ってよ!そしたら、あんたに頼んだ意味ないじゃないの。間違ってる個所はちゃんと直してよ。」
「このエッセーは僕のじゃなくて、君のじゃないか。だから僕が勝手に、君が『おかしい』って思わない所を、『ここはおかしい』って訂正できないだろ。そんなことをしたら、君のクラスメート達を騙すことになるじゃないか。それに、
『外国人』の君がイギリス人並みの文章を書いていたら、教授だっておかしいって疑うじゃないか?」
屁理屈を並べる彼は、まるで私達が同じクラスで成績を競い合っているような感じである。仮にそうだったとしたら、彼が私の文章をきちんと訂正したがらないことはわからなくもない。しかし、彼は都市計画学部とは全く関係のない、物理学部の学生だ。
「みんな快く私の文法チェックしてくれてるっていうのに、あんただけよこんな事言うの。だいたい
考え方がケチくさいわ。少しは人助けをしてあげようとか思ったりしないわけ?」
怒りを超え、彼にはほとほと愛想がついた。

この件以降、文法チェックを頼まないどころか、
『もういつ縁が切れてもいいわ』とどうでもいい存在にまで成り下がってしまっているケヴィン。
「ハイ、純子!元気か?」
しかし、私に会うといつでもこうして声を掛けてくるのでむげに無視できず、また相変わらず私の所に厚かましく物を借りに来ては私も同情して貸してあげたりと、ズルズルと
『仮面友人』を続けていた。
「純子、食堂で使ってるお皿の枚数がだんだんなくなってきて、キッチンスタッフ達が困ってるって知ってるか?それでさ俺、「
海外からの留学生が、きっとお土産として持って帰ってるに違いない。」ってスタッフに言ったんだ。」
『開いた口が塞がらない』とは、まさにこのことだ。
「そんな
大量生産の安物のお皿、しかも使い古されてるものをいったいどこの留学生がわざわざ飛行機に積んで持って帰ろうっていうのよ。1枚だけでも結構重いっていうのに。ウェッジウッドとかの高級品なんかだったら、考えられなくもないけど。それを言うなら、イギリス人学生が自宅に持ち帰って使ってるって考えるほうがよっぽど筋が通るんじゃない?休暇前の引越しの時には、親が車で来て荷物運ぶの手伝ってるわけだし。それか、寮を出てフラットに移る学生達が自炊に必要だからって持ってったってとこね。」
「こんなお皿、イギリス人の家庭だったら何枚もあるんだよ。お皿の裏をひっくり返してみろよ。『メイド・イン・イングランド』って、ちゃんと入ってあるだろ。だから、絶対、留学生がお土産として盗んでるんだよ!」
レントン・ホールに住んでいる留学生はというと、ほとんどがマレーシア、タイといった南アジアからで、欧米からの留学生は数えるほどである。だから、彼が
『留学生』=『アジア人の仕業』と考えているのは明らかで、同じアジア人として彼の偏見に満ちた考え方が許せなかった。
「ちょっと、あんたバカじゃない?ここに来てるタイとか、マレーシアの子達って私達の家庭なんて足元にも及ばないくらい
大金持の子息令嬢が多いっていうこと知ってて言ってるわけ?ローレックスとかタグホイヤーをカジュアルに身につけてる子達よ。オードリーなんか、パパがわざわざマレーシアからやって来て、彼女のために新車の三菱RVを買ってあげたの知らないの?インドネシア人のリタだって、『国の経済崩壊でインドネシア通貨が大暴落したから、きっと大変だろうな・・・』なんて同情してたら、つい最近、中古とはいえマツダのMX5買ったりしてるっていうのに。そんな子達が、使い古しの安物のお皿を食堂から失敬してるのは、『家のお手伝いさんのお土産にしよう』と思ってるとでも言いたいわけ?言わせてもらうけど、イギリスの大学は高い学費払ってくれる海外からの留学生達がいるおかげで成り立ってるっていうこと、知らないなんて言わせないから。だいたいイギリス人から感謝されても、そういう偏見の目で見られるなんて言語道断よ!」
ネイティブである彼には、いつも早口でやり込められ悔しい思いをしていた私。今回は、いつものように口は挟むものの、決定打となるような反撃ができない彼を見て、私は最高の喜びを感じていた。

アジア人を小馬鹿にするところがあるケヴィン。そんな彼も、「ラジャンは僕の親友だ」なんて言っていたので、ラジャン本人に実際に彼のことをどう思っているのか聞いてみた。
「ラジャン、ケヴィンがあなたのことを『親友』だって言ってるんだけど、そうなの?」
ラジャンは遠くからでも彼だと判別できる巨体と、陽気なところがまさに『小錦』をほうふつとさせるシンガポール人で、また会員数1000人以上とノッティンガム大学でも最大規模の会員数を誇る、マレーシア・シンガポール人会の会長でもあった。裏表のない人柄から、国籍を問わず誰からも好かれる人気者である。
「ケヴィンが『親友』だって?とんでもない。彼とはただの『友達』だよ。だいたい、自分を利用しているようなやつと『親友』だなんてこっちからお断りだよ。」

そういう訳で、彼の選挙のお手伝いをするどころか彼に投票する気もしなかった。しかし、会いたくない時に限ってよく会うもので、選挙期間中には毎日のように私達が住んでいたウォートレー・ハウスの階段で鉢合わせした。
「純子、投票したか?」
「ごめーん。忙しくって、なかなか投票しに行く暇がなくて・・・。」
「ちゃんと投票してくれよ!」
別の機会にまた同じ事を聞かれ、私のたった一票にまだこだわっているとは夢にも思わなかったので、口から出任せで、
みんなきっとあなたに投票するから大丈夫、私の一票が無くったって当選するから。とにかく残念だけど私、最近忙しくって投票しに行く時間がないのよ。」
「純子、きみのその1票で当確が決ったりする選挙もあるんだ。忙しい学生のために、図書館でも投票できるようになってるだろ!」
ケヴィンには、『私がもし「絶対に投票するように」って言われたら、あなたに入れるつもりはないから、私が投票に行かない分だけ相手に入る得票が入ってないってことで、むしろ私が投票に行かない事を評価して欲しいもんだわ』なんていう心の呟きはもちろん推測不可能だろう。もちろん、
『彼を当選させないために他の候補者に投票しよう』なんて、そこまで彼の選挙を妨害する気もなかった。かりにも、彼とは『一つ釜の飯を食った仲』ではないとしても、長い間『同じ寮で出されたご飯を食べた仲』である。

『ひょっとしたら、彼の選挙を間接的に妨害したかも・・・』と思うことが1つある。それはケヴィンの選挙ポスターを大学内の売店で見つけた時の事。笑顔で微笑む彼のポスターを見て思わず吹き出してしまった私に、テイが聞いてきた。
「彼、純子の友達?」
どっちかっていうと悪友。いや、腐れ縁ってとこかな。」
どうしてそういう関係なのか気になるらしく、彼女に今まであった事をすべて話した。
「なんていう男!「お皿は留学生が持って帰った」だって!そんなこと考えてるなんて信じられない!純子、私、フラットメイトとか友達に
「彼には絶対投票しないように」って言うわ!」

一方、ケヴィンはというとレントン・ホールで選挙活動にいそしんでいた。同じ大学から来ているということもあり、いつも10人もの大所帯で行動しているタイからの男子留学生達のことを、日頃から見下しているケヴィンであったが、彼らからの一票獲得のため、それぞれの部屋を訪ねては彼への投票を頼んでいた。

「図書館や大学校舎にある
女子トイレのトイレットペーパー・ホルダーに、ケヴィンの顔写真付きの小さい紙が貼り付けられてるのよ。『Vote Kevin(ケヴィンに投票を)』だって。純子、知ってた?私、もうびっくりしちゃった。あんなの貼られちゃうとなんか彼に見られてるみたいで、落ち着つけなかったわ。一体、何を考えてるんだか。」
と呆れ返っているラタナ。彼がここまでするとは・・・。選挙当選という目的達成には辱も外聞もないようだ。

全くケヴィンに選挙協力する気の起こらない私。会いたくない時ほど会ってしまうもので、また彼にバッタリ出会ってしまった。あいかわらずしつこく自分に投票したか聞いてくる彼に、
「ううん、ううん。」
と彼には分からない日本語で生返事した。
「したのか、しなかったのか?」
真剣な眼差しで見つめてくる彼。嘘はいけないと思い、話しをそらした。
「それより、なんで女子トイレに自分のステッカー貼ったりするの?
「あんたに見られてる感じがする」って、嫌がっている人が実際にいるんだから。私、そこらじゅうにベタベタ貼られてるあなたのポスターで充分驚かされたんだけど、まさかトイレまで貼ってたなんて信じられない。」
「女性の場合、
トイレが一番じっくり見てもらえるところだからね。もちろん、クラスメートの女の子達に頼んで貼ってもらったんけどさ。」
恥ずかしがるどころか、むしろ自分のステッカーに気づいてくれた事を喜んでいる様子。しかも選挙ポスターに使われている彼の笑顔の写真、その撮影秘話を自慢げに語り始めた。その写真1枚撮るのに7時という早朝にカメラマンとなる友人を呼び出し、まだ誰も来ていない大学校舎を背景に撮影したという。こんな雑用をさせられるた友人が気の毒でならない。

結果、こうした努力も空しく落選してしまったケヴィン。彼の選挙期間中にはテイを始め友人達に、彼に嫌悪感を抱かせるような感情を植え付けてしまったという一抹の罪悪感を感じ、彼を励ますことにした。
「いやぁ
僅差で負けたからね、ほんと残念だったよ。やっぱり(相手候補者だった)彼女の選挙ポスター、あの彼女の笑顔が良かったからなー。」
『ケヴィン、得票が
1000票台の約200票差を『僅差』とは言わないし、投票するのにポスターの笑顔なんて関係ないわよ』と今にもこう言い出しそうなのをぐっと抑え、ケヴィンに言った。
「そうそう、たかだか生徒会選挙。首相になるにはまず、地方議員選挙を目指さないとね。」
ケヴィンの総理大臣への道は果てしなく遠そうだ。



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