大学の学期期間中はウォートレー・ハウスで快適に生活していたけれど、寮の規定で休暇中はすべての荷物と共に部屋から出て行く規定になっていた。そこで、ウォートレー・ハウスのチューターとして、キッチン、リビングルーム、寝室付きの特別室を与えられているフランス人で大学院博士課程の学生、マリーベルを除くすべての住人は学期の最終日には
荷物をまとめて出て行くことになっていた。休暇も近づく頃には、荷物を実家に持って帰るイギリス人寮生達の家族の車が、大学内の道路に列となって止まっていた。留学生の場合、さすがに荷物を実家まで持って帰れとは言われず、貴重品以外は自分の住んでいるそれぞれのブロックにある物置に収納することが許可されていた。しかし、ウォートレー・ハウスにある物置は一階の階段の下に作られた、まさに『物入れ』にすぎず、約60人の定員に対し3分の1は留学生で、よく入れても3人分の荷物でいっぱいになるくらいの大きさで、しかも毎回先に入れたもの勝ちの状態で、物置は実質ないに等しかった。そのため、ウォートレー・ハウスに住んでいる留学生はレントン・ホールの他のブロックにある物置に収納してもいいことになっていた。これらの物置は収納力こそあれ、いずれも階段しかないブロックの最上階、3階にあった。つまり、私のようにウォートレー・ハウスの3階に住んでいると、荷物を一度下に降ろして他のブロックまで持っていき、それをまた3階まで運ぶという大変な作業が待っているのである。


寮には、
寮生の部屋を最低でも週に1回は掃除してくれるパートのおばさん達がおり、ウォートレー・ハウスの場合、部屋にシャワーやトイレが付いていることから週に2回は掃除に来てくれていた。私の場合、自分の部屋はある程度自分できれいにしていたこともあり、私の部屋の清掃担当だったバーバラが休暇期間中、好意で私の階にある彼女達の収納庫にいくつか荷物を預かってくれたこともあった。休暇も近づく頃には、日本に一時帰国する予定のない時など、『休暇の間も、そのまま自分の部屋に住めたら・・・』と思い、また日本で休暇を過ごす予定の時などは、『荷物を、自分の部屋に置いた状態で帰国できたらどれだけ楽か・・・』と思うのは毎回のことだった。そこで、ワーデンの秘書であるジャンに「寮費は払うので、休暇中もそのまま住ませてほしい。」とか、「いくらか払うので、休暇中もそのまま荷物を置いていきたい」と頼んでも、「規則だから、ダメ。」と全く聞き入れてもらえなかった。

実際、夏休みのように長い休暇には、それぞれの
寮は大学で開かれる会議等に参加する人達、もしくは語学研修の学生用の宿泊施設に使われていた。会議等に参加するゲストに対して、寮の食堂では朝・昼・晩の食事がそれぞれ出され、パブの営業はもちろんのこと、寮の各部屋にはポットに飲み物、バスタオルや石鹸、シャンプーといったものまで用意されていた。中でも最新の設備を備え、各部屋にシャワーとトイレがついているウォートレー・ハウスの場合、まさに『大学ホテル』といった感じで、明らかに、大学にとっては学生に貸すよりいいビジネスになりそうだ。そういう訳で、寮に住んでいる以上、休暇前後には膨大な私の荷物の引越し作業が待っていた。幸い、私の引越しにはドイツ人のアンカ、フィンランド人のハッリ、韓国人のテイ、タイ人のラタナ、フミオ君、ノリヒロ君と様々な友人達が手伝ってくれた。『テレビを物置に収納してると、同じ場所に荷物を収納している誰かに盗られたら大変!』と、引越しの手伝いに来てくれていたハッリには、「休暇中、テレビを貸してあげるから。来学期が始まる時にまた返しに来て。」という私に、「持ってくるのが大変だからいらない。」という彼を押し切り、テレビ保管を兼ねて押し付けてしまったこともあった。また、ムナカタ氏には私の荷物を彼の車で積んで帰ってもらい、休暇の間、彼の家にある天井裏の収納庫に荷物を保管してもらったりもした。更には、ワーデンのお屋敷の隣に住んでおられたシマ教授まで私の引越しのお手伝いを頂き、私の荷物を教授宅にて預かってもらったことまであった。テイに至っては、引越しを手伝ってもらったうえ、「引越しをしたばかりじゃ、物も片付いてないし、買い物に行くのも大変。私が何か簡単な夕食を作ってあげるから、私のフラットに来て。」という彼女に甘えて、サラダ菜やレタスに豚ミンチを野菜と一緒に炒めたものとご飯をのせて包んで食べるという引越しだけでなく、その後、韓国手料理をご馳走になったことまであった。私の引越しは、こうして何人もの親切な方の犠牲の上に成り立っていた。

休暇期間中は日本に帰国しなかったことも多く、そんなときはジャンからレントン・ホールのブロック6か、これまたレントン・ホールの別館で古びたお屋敷、レントン・ハーストのいずれかを斡旋されていた。大学の寮のほとんどが会議参加者、もしくは語学研修の学生用の宿泊施設として使われていたものの、特定の寮はその一部が自炊という形で住めるようになり、20室程度あるハーストも自炊のフラットとなっていた。レントン・ハーストは常々、
最上階に幽霊が出ると噂されていた。以前、その最上階に住んでいた女子学生が、一度何か幽霊らしきものを感じ直ちに引っ越したと聞いたことがあった。最上階である3階には部屋が4室ほどあり、この4室の住人が共同で使用するバスルームが同じフロアのかなり奥まったところにあった。この4室とは別に、そのバスルームの前には、普段はほとんど使われることのない小さなゲストルームがあった。一度、休暇中に借りる部屋の予約を入れるのが遅れ、あいにくレントン・ハーストが満室ということで、他の部屋が空くまでの2・3日をこの普段は誰も住まないというこのゲストルームで過ごしたことがあった。また、別の休暇の際には、3階にある4室のうちの1室で過ごしたこともあった。どちらの部屋も窓の位置が高く、どことなく刑務所っぽいところが気に入らなかったものの、屋根裏部屋の特徴である天井の勾配は気に入っていた。ただ、3階にある1室で過ごした際、この部屋からバスルームまで距離があるのに加え、その途中に段差まであるので夜中にトイレへ行こうものならトイレに行き着くまでに完全に目が覚めてしまうので、そういう意味では、バスルームの向かいにあるゲストルームは誰も住んでいないという不気味さは残るものの便利だった。

幽霊が出るという3階にある1室に住んでいた時のこと。ガムテープで留められていた換気孔のところから、
晩になると聞こえてくるへんな音が気になったことがあった。椅子を使っても自分では換気孔まで手が届かないので、下の階に住んでいた背の高いセーシェル人のライアンに来てもらい、ガムテープを剥がして換気孔を開けてもらった。すると、なんと!出てきたのは、外から侵入したものの出られなくなって、もがいていたカブトムシであった。

実際、3階に住んでいたのは幽霊のことを伝え聞く以前で、住んでいた頃、結局私は何も感じなかった。後に幽霊のことを知り、ふと考えた。『私って鈍感なのかしら?』。換気孔でカブトムシを発見する前に幽霊のことを聞いていたら、そこから聞こえてくる怪しい物音にさぞかし動揺していたに違いない。というのも、私は怖がりだからである。幽霊の話を聞いてから後にも、何度か休暇をレントン・ハーストで過ごしたことがあった。しかし、いずれも2階の部屋が空いていたので、3階に住むことはなかった。それにしても、やっとの思いで自分の荷物をウォートレー・ハウスの3階から、一番離れたレントン・ハーストの3階まで運び込み、ようやく落ち着いたと思ったらそこで幽霊に出くわし、再び引越しするようなことになったら、もう最悪としか言いようがない。「3階に幽霊が出る。」と伝え聞いて改めてレントン・ハーストを見てみると、
昔使われていた暖炉が残っている、古びたお屋敷であるレントン・ハースト。2階まで吹き抜けの年季の入った木製の階段に、一部割れたままになっているステンドグラス、加えて観音開きの古い窓のため、どこからともなく隙間風が入り、冬は寒い2階のトイレ・・・。たしかに、幽霊にしてみると比較的居心地のよい住環境である。にもかかわらず、私がレントン・ハーストに住んでいた時には、誰かが実際に幽霊を目撃したというなことは聞かなかった。


「ちょっと、コンロをこんなに汚したのあんたでしょ?!」
レントン・ハーストの共同キッチンでは早朝、調理用コンロが汚れているといつでも、たまたまその場にいる住人が、レントン・ハーストのお掃除を担当していたスペイン人のおばさんの被害者になった。住む期間が短いことから、油等を使う料理など全く作っていなかったミユキちゃんもそんな被害者の一人だった。
「汚したの、私じゃないってば!」
「つべこべ言わずに、これできれいに掃除しときなさい!」
そういって、掃除道具を渡してくるのである。まるで、
キッチンの清掃は運悪く、朝、おばさんに出会ったものが責任を持ってすることになっているかのようだった。実際、こういう仕事はこのおばさんの仕事なのに、ましてや各部屋の掃除どころか、ゴミすら取りに来てくれない有様だった。そこで、私は仕方なくおばさんが収納している掃除機を勝手に使い、自分の部屋をよく掃除していた。たまたま収納庫から掃除機を取り出している現場をレントン・ハーストのチューターに目撃され、「どうして、勝手に掃除機なんて持ち出そうとしているのか。」と、オンボロ掃除機を盗もうとしているように誤解され、説明しなければ反対に叱られそうになったこともあった。

大学の学期期間中とは異なり、休暇中は自炊形式のフラットとなるため、共同キッチンがフル活用されていたレントン・ハースト。だから、キッチンが汚れるのは仕方のないことだった。そこに住んでいた住人達は思っていた。『幽霊はいるのかもしれない。しかし、
幽霊以上にやっかいな存在である、スペイン人のおばさんがいたから気づかなかっただけかもしれない・・・。』と。



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