ノッティンガム大学在学中、最も楽しんだことのひとつが、様々な国からの留学生である友人達と知り合えたこと、そしてまた彼らと共に食事を楽しみ、それぞれの国で食べられている
家庭料理を味わうことができたことである。



『家庭料理を味わう』といっても、中には一度も料理を作ったことがないという箱入り娘達もいた。それがタイ人のワナとラタナである。ふたりとも自分の意志で大学所有の自炊のフラットに住み始めたものの、当初は毎日自分で食事を用意しなければならないことに多大なストレスを感じていた。しかし、だからといって外食、持ち帰り、ファーストフード、スーパーの冷凍食品では満足できず、結局自分で作ることに。それが月日も経つと料理を作ることに楽しみを見い出し、それと共に彼女達の料理の腕もグングン上がっていった。

ワナの場合、彼女がフラットメイトや友人達から新しい料理を習うといつも私を食事に招待し、習った料理を披露してくれた。彼女のお得意料理は、スペイン人のフラットメイトから習った
『チョリソー(スペインのソーセージ)入りのトマトソース・パスタ』と、中国人の友人から習ったという『鶏肉の生姜味炒めもの』で、これらの料理に関しては何度食べたかわからないくらいよく作ってくれたこともあって、回を重ねるごとに上達しているのがよくわかった。大学院の授業も始まると、さすがに彼女も忙しく、CELEで一緒に英語を勉強していた頃に比べると食事を楽しむ機会が減ってしまった。しかし、エッセー等の提出物が一段落したり、試験が終了したりすると必ず電話で知らせてくれ、彼女のフラットでの食事に招待してくれた。また、電話ではいつも私にどんなものが食べたいか事前に聞いてくれるのでだった。その頃、私はレントン・ホールのウォートレー・ハウスに住んでおり、心のこもった美味しい食事に飢えていた。彼女はそのことを良く知っていたのである。『寮の食事にもそろそろ飽きているはず・・・』そんな彼女の思いやりから、私を食事に招待してくれているようだった。お得意料理のチョリソーのパスタを彼女にリクエストしたとしても、行ってみるとただそれだけでなく、いつも他にも新たに習得したという2、3品を用意してくれていた。天ぷらや日本のカレーが出された時もあり、これにはさすがに驚いた。日本のカレーというのが、中国食材店で売られていた『ゴールデンカレー』の辛口で、箱の裏の説明を見ながら、試行錯誤の上で作ったという。
「私、タイの辛いカレーも好きだけど、日本のこのカレーも好きなの。ほら、純子も
日本のカレー食べたいんじゃないかなって思って。」
タイの水のようにサラっとしたカレーに馴染んでいるからか、彼女が作ってくれた『日本のカレー』は、
『日本のカレー』にしては若干水っぽい感じがしないではなかったものの、それよりも彼女の優しさに目頭がジーンと熱くなった。

天ぷらはというと、カオルちゃんから習ったという。カオルちゃんとは、春には大学からは道路を隔てて隣接する
ウォラトン・パークで蕨を摘み、それで煮物を作ったするくらい料理が得意な女性で、その彼女からはなんとマグカップで作る『茶碗蒸し』まで習ったという。
「『茶碗蒸し』って簡単で、美味しいから大好き。よく一人で作ったりしてるの。見て、これが
『だしの素』。今度、純子にも作ってあげるね。」
自分で購入したという
『シマヤ・だしの素』を見せられ、言葉が出なかった私。果たして私を含め、いったい何人の日本人がイギリスで茶碗蒸しを作っているだろう。イギリスでわざわざ『だしの素』まで購入し、日本料理を振舞ってくれるタイ人がいる事を考えると、可笑しくて思わず吹き出しそうになった。

ラタナもワナと同様に料理の経験が全くなく、嫌々ながらも料理を毎日作っているうちに好きになり、どんどん上手になっていったというパターンだった。自炊も長くなると、タイから料理の本を数冊送ってもらい、それらを見ながら料理を作ったりするようにもなっていた。彼女もまた、私をよく食事に招待してくれた。料理経験も長くなると、タイ料理店で出されるものに匹敵するぐらい美味しい料理を出してもらえるようになった。

彼女と一緒に市内にあるタイ料理店で昼食をとることが時々あった。食パンの上に鶏のミンチ肉をのせて油で揚げたものが前菜として出され、これがなかなか美味しかった。
「これ、美味しいよね。」
「これ、作るのはすごく簡単。今度作ってあげる。」
数日後、彼女から食事に招待された私。そこには
私が「美味しい」といった例の料理が、お皿に山のように積まれてあった。そればかりでなく、私の大好きなシーフード入りのトム・ヤム・クン(タイの激辛スープ)はもちろんのこと、鶏肉と野菜をスパイシーに味付けしたもの、切り干し『人参』の入った卵焼き、グリーン・カレーとテーブルの上には料理が所狭しと並べられていた。たいていの場合、彼女の食事に招待されていたのは私を含めて2、3人といった人数にも関わらず、毎回4・5品は出され、1品自体の量もかるく3・4人分はあった。そんな彼女の作る料理には、クルジェットをくりぬき、中に鶏のひき肉を詰めたものが白菜、干ししいたけと共に入ったスープ、炊き込み御飯(鶏肉、きくらげ、たけのこ等が入ったもの)、ゆで卵を揚げて甘酢ソースをかけたもの、チキンサテといったものがあった。また、例えば彼女が自分のクラスメート達を食事に招待し、私を招待できなかった時などはいつも、「純子、今日の晩御飯は作らなくてもいいから。出来たらそっちに持って行くから。」という事前の電話と共に、作った料理を私の部屋までわざわざ出前までしてくれるのだった。

ワナとラタナ、それぞれノッティンガムにいた年代は前後するのだけれど、日本料理に強い関心を示し、私が彼女達を食事に招待し、巻きすしを作る予定だなんて言ったときの反応は同じだった。
「純子、作り方が知りたいから早めに行ってもいい?」
キッチンでは私の隣に立ち、作り方を観察しているのは2人とも同じだった。習うとすぐに作ってみるという点も共通していて、しばらくすると、まきす、寿司酢、焼き海苔のみならず、お米はタイ米で代用するなんていう妥協はせず、日本米まで購入し、教えた通りの方法で作っては他の国からの友人達に振舞っていた。そう、彼女達はイギリスにおいて、まさに
世界を対象にした庶民レベルでの『日本料理振興』に一役買ってくれていたのである。

家事全般に関して、将来のお姑さんも文句のつけようがないだろうと思われるくらい完璧主義の韓国人のテイ。潔癖症で、彼女の部屋では髪の毛一本見当たらないくらい、いつもきれいに掃除されていた。また、洗濯にしても「イギリスの洗濯機は二槽式洗濯機でないから、きれいに洗った気がしない」と、
韓国から持参した洗濯板を使って手洗いしていた。発展途上国から来た留学生なら、手洗いで洗濯しているんじゃないかと思われるかもしれない。しかし、そのような国を出てノッティンガム大学で勉強している留学生達は、家ではお手伝いさんがいるような大金持ちの令嬢・ご子息か、国でエリート教育を受け、奨学金をもらって留学している秀才だったので、大学広しといえども洗濯物をすべて自分で手洗いしていたのは、テイぐらいだった。

彼女は、3年間を共にノッティンガム大学で過ごしたクラスメートで、そして最も数多く、とても美味しい料理で私の胃袋を満たしてくれた親友だった。料理にしてみても、
様々な炒め物から韓国風のお好み焼き、韓国風冷麺、キムチ入りチャーハン、酢の物、ちらし寿司、春巻き、韓国の実家でお正月に搗かれたというお餅も入った水餃子入りのスープ、皮から手作りの餃子、コロッケ、天ぷら・・・挙げるときりがないくらい様々な料理でもてなしてくれた。友人から『わたり蟹』をもらったからと、わたり蟹の入った味噌汁まで出されたこともあった。また、大学所有の自炊の共同フラットにてクリスマス用にと鶏肉を丸ごと焼いたり、クリスマスケーキを作ったりしてくれた。大学広しといえども、共同キッチンでそんな手の込んだ料理を作っていた学生は、きっと彼女ぐらいだったはずである。彼女も以前、寮に住んでいたこともあり、寮の食事がどういうものかよく知っていた。だからか、本当によく私を食事に招待してくれた。招待されているのが私一人の時でさえ、いつもテーブルいっぱいの料理の数々が、とても二人では食べきれないくらいの量と共に用意されているのである。そうなると当然余ってしまう訳で、帰る際にはいつも「残った料理は温めて、次の日のお昼に食べたらいいから」とタッパーに詰めて持ち帰らせてくれるのだった。そんな彼女は私より年下だったにも関わらず、私にとって母親のような存在だった。

クリスマス休暇中のある日、私とラタナはたまたま同じ日に、それぞれ日本とスコットランドのエジンバラでクリスマスを過ごすために出発することになっていた。出発前日の夜は私もラタナも出発準備で忙しいに違いないということで、テイが私達を夕食に招待してくれた。ちょうど時期も重なって、その日は3人でのクリスマス・ディナーということになった。時間があった私は、デザートとしてテイが気に入ってくれている私の得意なティラミスを作って持っていくことにした。招待された時間にテイのフラットに行くと、テーブルにはすでに、お昼から作り始めたという
韓国風の巻き寿司が2種類、酢豚、イカの唐揚げ、春雨を豚肉と野菜と共に炒めたもの、テイの自家製キムチといつも以上に多い料理の数々が・・・。その上クリスマスということで、3人では到底食べきれない鶏の丸焼きまであった。もちろん3人では食べきれず、鶏の丸焼きなどは全く手がつけられていなかった。そこでテイは、私もラタナも次の日は朝早く出発するにもかかわらず、「残った鶏肉を使って朝粥を作るから、自分のフラットに朝食べに来るように」と誘ってくれた。


その頃、私達3人はフラットこそ違うものの、同じ大学所有の自炊のフラット、アルビオン・ハウスに住んでいた。また、私のフラットはテイのフラットと同じ建物の同じ階にあり、中央にある階段を挟んで隣どおしだった。翌朝早く、テイと約束した時間にラタナが私の部屋を訪ねてきた。
「純子、テイのフラット、まだ電気が消えたままよ。」
「ほら、テイ、昨日張り切りすぎちゃって疲れてまだ寝てるのよ、きっと。起こしちゃ可哀想だからそのままにしといてあげよう。」
そんな話をしている頃、テイがやって来た。
「何してるの?もう、朝ご飯はちゃんと用意できてるのよ。」
「フラットの廊下の電気が消えてたから、まだ寝てるんだと思ってたんだ・・・。」
「ああ、それはほら朝早いじゃない?フラットメイトもまだ寝てるみたいだし、起こすと悪いから。」
彼女のキッチンのテーブルには、
キムチが大量に盛り付けられたお皿が中央にドンと置かれ、火にかけられたお粥の鍋からは、早朝でも食欲をそそるいい匂いがしていた。
「はい、どうぞ。おかわりもたくさんあるから、どんどん食べて。」
お粥の中には、昨晩のディナーで残った鶏肉の丸焼きが細かく裂かれたものだけでなく、
ニンニクの欠片がまるごと、しかもいっぱい入っていた。テイによると、こういったお粥は典型的な韓国の朝食だという。キムチにもニンニクの刻んだのがいっぱい使われているので、まさに朝一番からニンニクパワー全開である。タイ料理にもニンニクが使われてるとはいえ、さすがにラタナも私と同様、朝から『ニンニクの欠片がまるごと』にはたじろいでいる様子だった。『日本までの長旅、たしかにエネルギーはもらえそうだけど、これじゃあ機内で私の隣に座った人には迷惑かけそうだなぁ・・・』

テイやラタナと知り合うまで、私は韓国料理やタイ料理といった激辛料理に全く馴染みがなかったし、辛いものはあまり食べられなかった。彼女達の料理によって、私の
辛さに対する許容量もどんどん鍛えられていったといっても過言ではない。テイはまた、『旅の途中でお腹が空くかもしれないから』ということで、私とラタナそれぞれに手作りのバナナクッキーを持たせてくれた。

テイ、ラタナ、私の3人はなんだかんだいっては、しばしば食事会を開いていた。
10月半ばのある日、いつものように3人で食事会をしながら喋っていると、バーベキューの話題になった。なんだか急にバーベキューがしたくなった私達。「もう、この機会を逃すとできないかもしれない」ということで、3人でバーベキューをすることになった。私達が住んでいるアルビオン・ハウスの駐車場の脇が芝生になっており、そこには木製の大きなテーブルとベンチが置かれていた。こうして場所はすぐに決まり、役割分担についてはテイがお肉、ラタナがそれ以外の食料、私がバーベキューセットを用意することとなった。

ちなみにお肉であるが、イギリスでは
薄切り肉など売られていない冷しゃぶが作りたかった私は、スーパー内にある食肉カウンターで、グラム単位で購入できる豚肉の塊を薄くスライスしてもらえばいいと、スライスする機械を使って『very very thin』に切って欲しいと頼んだことがあった。にもかかわらず、スライスされたものはまさに網焼き用牛肉の厚さであった。日本と同じように、薄切り肉がよく使われるという韓国。そのため韓国人も日本人と同じく、イギリスでのこうした『肉』に対する不満を抱えているようだった。そこで、テイによると韓国人学生達の強い要望によって実現したという、店員に頼むとお肉を特別に薄く『スライス』してくれる肉屋が、地元ビーストンに一軒だけあるという。狂牛病を気にして牛肉を食べていなかったラタナと私のために、彼女がそのお店で豚肉を購入し、秘伝の味付けしてくれるのである。まさに、本場韓国焼肉がノッティンガムで味わえるというわけである。

私のバーベキューセット調達については、夏にはどこのスーパーでも売られていた使い捨ての小さなバーベキューセットを探すことにした。『夏はもうとっくに過ぎてしまったけれど、まだ多少売れ残ったのが置いてあるはず』なんてタカをくくっていた。しかし、時期既に遅く、大手DIYショップの倉庫からもすべて撤収されてしまった状態だった。
「まずここには置いてないだろうなぁ・・・。だめだったら、バーベキューは諦めて、焼肉パーティーにしたらいいよね。」
ラタナと2人、半ば諦めの思いで入った地元ビーストンにある小さなアウトドアショップ。
「ちょっと時期はずれだからね・・・。でも、たしか売れ残りが一つあったはず。」
店員が奥から探して出して来てくれた小さなバーベキューコンロを見たとき、2人で手を取り合って喜んだ。
「やったね!」
しかも、「売れ残り品だから」と割引までしてくれた。ただ、使い捨てタイプではないので石炭がついておらず、
コンロよりも大きな袋に入った大量の石炭まで買うハメになった。

バーベキュー当日、駐車場脇の芝生に設置されている木製テーブルの上には、バーベキューだけではもの足りないかもしれないということで、ラタナが
トム・ヤム・クンを、私がおにぎりを作って持ち寄り、飲み物から焼肉用に味付けされた豚肉、下ごしらえしている『焼き野菜』用の野菜類焼肉を包むためのサラダ菜も並べられ、あとは炭に火を起こすだけとなった。この時点になって初めて、私達3人はある重要なものを買い忘れたことに気が付いた。そう、石炭に火をつけるものを買っていなかったのである。何度も石炭に直接火を付けようと挑戦し、石炭そのものには火がつけられないとわかると、今度は石炭を新聞紙に包んでその新聞を燃やしてみたり、更には石炭にサラダ油をかけて燃やそうと試みたりすること約1時間。日も沈み、辺りは暗くなりはじめていた。もう諦めて私のフラットで焼肉にでもしようかというその時、いくつかの石炭にほんのかすかな火が付いているのが見えた。
「これ、上から絶えず火を加えたりしたら、きっと火が付くんだろうけど・・・。」
私のこの何気ない一言に、テイが閃いた。
「この石炭、キッチンにある
オーブンで焼いてみたら火が付くかも!」
そこで、誰のフラットのキッチンでこの試みを試すかということになった。距離からして、すぐ側の建物に住んでいるテイか、その隣の私のフラットしかない。テイのフラットのキッチンではフラットメイト達が調理や食事の最中で、窓から私達に向かって、
「どう?火は付きそう?」
「まだダメ。なんか、いい方法知らない?」
なんて声を掛け合っていた。
「純子のフラット、「今日は誰もいない」って言ってたわよね。だったらちょうどいいわ。私とラタナでこの石炭をオーブンで焼いてみるから、純子はここでテーブルと材料を見張ってて。」
不安の隠せない私などいざ知らず、テイはラタナを連れて私のフラットのキッチンへと石炭の入ったバーベキューコンロを運んでいった。食料を前にお腹をグーグー言わせながらひとりベンチに腰掛けていると、しばらくしてふたりが戻ってきた。
「ついたわよ!ついたわよ!さぁ、ようやくバーベキューができるわよ!」
満面の笑顔のふたり。
「それで、すぐにうまくいったの?」
私の問いに少し動揺の隠せないラタナ。
「それがね・・・、純子。オーブンに入れて石炭焼いてたら、
オーブンから煙がものすごく出ちゃって・・・。一応、換気扇も付けたし、窓も全開したんだけど・・・。あまりに煙臭いからかスティーヴが部屋から出てきて、「よくもまぁ、この状態で火災警報装置が鳴らないもんだ!」って嫌味言われちゃった。とにかく、煙だけはテイとふたりでなんとか外に出したから、大丈夫。純子、安心して。」
呆気に取られている私にかまわず、バーベキューコンロにお肉や野菜を乗せ、焼き始めるふたり。『なんか、嫌な予感はしてたんだな・・・。』

辺りはすでにもう真っ暗だった。適度に洩れている建物の明かりを頼りにバーベキューをすることに。この建物から洩れている明かりというのが、アルビオンの住人それぞれの部屋やキッチンから洩れているもので、明かりが付いている、つまり人がいることを示していた。外からのなじみの無い、それでいてなんとも食欲をそそる、『バーベキュー』というよりはまさに
『焼肉』の香りに、外でいったい何が起っているのか窓から顔を出して見る住人達も増え、私達3人のバーベキューはますます注目を集めていた
「余りそうだったら呼んでくれよなー。いつでも行くからさ。」
「俺達も呼んでくれよ!」
こんな男子生徒達の熱い注目を背に、目立たないとばかり思っていたのが、実際にはとても目立つところでバーベキューをしていることが恥ずかしくなってきた私に対し、こういった声はいざ知らず、マイペースで
『鍋奉行』ならぬ『焼肉奉行』にいそしんでいるテイ。
「残念だけど、あげるほどないわー。」
そんなこと掛け合いをしながら、ひたすら肉を焼いているテイ。ラタナも傍観者達とのやり取りを楽しんでいた。
「ほらほら、こっちの方は焼けたからね。そのまま食べてもいいけど、こうしてサラダ菜の上に少しお肉をのせて、こうやってクルクルって包んで食べるの。」
そういいながら、テイはラタナと私のお皿それぞれに焼肉をサラダ菜で包んだものをのせてくれた。

10月半ばにもなるとさすがに肌寒く、焼肉も終わりに近づく頃には、石炭の火が付いたままになっているのでかろうじて暖はとれるものの、外にいるのが耐えられなくなり、食べ終わるとすぐに引き上げた。

翌朝、私のフラットメイトであるベルギー人、スタインが同じくフラットメイトのドイツ人、イヴォンヌと話をしているのが聞こえた。
「この時期にもなって、外でバーベキューをしてたのがいたらしい。」
また、石炭に火を付けるために使われた我がフラットのオーブンであるが、
その後しばらく石炭の匂いが取れず困ったことは付け加えておかねばならない。

料理を作るのが好きという自炊学生は何人もいるとしても、近くの大手スーパー、セインズベリーで手に入るものをわざわざ手作りする者は、
勉強以上に料理に情熱を注ぎ、暇を見つけてはケーキ、クッキー、パンを焼き、中国食材店で手頃な値段で購入できる餃子の皮まで手作りしていたテイを除くとさすがに誰もいなかった。ノルウェー人のフラットメイト、キャリアンナとシルヤはノッティンガムに来てからしばらく、セインズベリーで売られているブラウン・ブレッドを購入していた。しかし、ついにはその品質に我慢できなくなった。
「こんなまずいの、探せって言われたってノルウェーじゃ、まず見つからないくらいの代物よ!」
そういう訳で、彼女達は自分達の授業のない月曜日の午後、ふたりで
パンを焼き始めた。これがとても素人とは思えない出来栄えで、パンそのものに歯ごたえと自然な甘みがあるので、薄切りにしたハムとチーズを挟んで食べるというノルウェー風サンドイッチにしなくても、そのままでも充分美味しいのである。いつの間にか、毎週月曜日の午後のキッチンはパン屋さんの厨房となり、彼女達が一週間分のパン焼いていた。夕方、私が大学から戻る頃には、キッチンはパンの焼きあがったいい匂いで満たされていた。

シルヤとキャリアンナが焼いていたブラウン・ブレッドは、「イギリスに来て初めて、自分達だけで作ってみた」というものの、ノルウェーでは親のパンづくりをよく手伝ったということもあり、
イギリスの市販のブラウン・ブレッドでは味わえない風味や食感のある、まさに『ノルウェーのパン』だった。セーシェル人のライアンが自分で作ったという瓶に入った『バナナのジャム』も、バナナだけはイギリスでも日本でもジャムとして売られているのを見かけたことがない。しかし、セーシェルでは一般的だというまさにその国ならではのものだった。『バナナのジャム』の見た目はイチゴやオレンジの鮮やかな色に比べると、なんとも言えない汚い感じが否めなかった。『うーん、美味しいのかな・・・』不安ながらも蓋を開けると、バナナのなんとも言えない甘い香りが漂ってきた。試食のつもりでほんのひとくち口に含むと、バナナのもつ柔らかな甘さが口いっぱいに広がった。『おいしい!』というのは正直、意外な驚きだった。『バナナのジャム』はパンによく合うだけでなく、アイスクリームにもピッタリなとても美味しいジャムであった。

料理が得意なライアンと出会ったのは、レントン・ハーストに住んでいたときだった。私は、JYA(Junior Year Abroad)の留学生としてCELEにて勉強中で、彼は大学の夏季休暇期間中セーシェルに一時帰国しなかったことからここに住んでいた。レントン・ハーストには大きな共同キッチンがあるものの、学期中はダイニングルームで3食出されるので、ほとんど使われることもなく広すぎるぐらいであるけれど、休暇中のようにここで自炊をするとなると大きなキッチンとはいえ、電熱コンロ4口に中型冷蔵庫2台しかないこともあり、自炊する住人も増えてくると、
冷蔵庫は開けると雪崩を起こしそうなくらい食品類で溢れ返り、コンロを使って調理する住人も多いので、キッチンはまさに下町の小汚い中国料理店の厨房がごとく雑然としていた。冷凍ピザを温めているような自炊住人も多い中、キッチンで見かけるライアンはいつも手際よく料理を作っていた。

よく同じ時間帯にキッチンをシェアしていたこともあって彼と親しくなり、何度か手料理をご馳走になった。魚の豊富な南の島からということで、魚を使った料理が得意だという彼。日本と同じ島国であるにもかかわらず、なぜか魚を口にしない人も多いイギリス。そんなイギリスでもちょうど中心部、『イギリスのおへそ』に位置するノッティンガムでは手に入る魚は限られていた。そんな状況下でライアンが作ってくれた、セーシェルではよく出されるという
『セーシェル風 鯖のスパイシー・トマト煮込み』はなかなかの一品であった。鯖といっても大きさは鯵程度しかなく、脂ものっていないので焼き魚にするような代物ではなかった。それが切り目を入れた鯖に生の唐辛子を千切りにしたもの、しょうがのスライス、ねぎ、薄切りにした完熟トマト、中国醤油等の調味料を加え、一部蒸し焼きにしたりして調理すると、これがなんともスパイシーでご飯に合う一品なのである。自分でも作ってみたいからとライアンからレシピももらい、実際に彼が作るところを最初から観察したのだけれど、いざ1人で作ってみると彼の作るものとはどこか一味違っていた。私が使ったキッコーマン醤油と、彼が使っていた中国醤油から来る違いが一番大きいかもしれない。しかし、やはりそれだけでなく普段からその味に慣れ親しんでいるその国の人だからこそ、その料理に関しては特別な味覚があり、一番美味しく仕上がることができるのかもしれない。

イギリスとドイツ、距離にすると日本からとは比べるものにならないくらい近いので、イギリスだとドイツのソーセージなんて簡単に買えそうで、しかも輸送コストもそれほどかからないだろうから、日本で売られているものに比べると安いような気がした。しかし、実際には日本の大手スーパーよりもはるかに広い売り場面積を持つスーパーでさえ、本場ドイツのソーセージは売られていないのである。ソーセージ売り場には、
イギリスの太くて柔らかいソーセージばかりが並べられ、イギリスで作られた『ドイツ風』のソーセージは多少は歯ごたえがあるものの、それでもパリッとした食感からはほど遠いのである。そう、日本でいうところの『シャウエンセン』はないのだ。
「何かドイツのもので食べたいものある?」
ブロードゲート・パークという大学所有の自炊のフラットに住んでいたとき、ドイツに一時帰国するフラットメイトのアネットとアンカが聞いてきた。私にとって、ドイツというとソーセージとビールぐらいしか思いつかなかった。もちろん、ソーセージを頼んだのはいうまでもない。
「パリっとしたのね!」
お土産は本場ドイツのパリッとした食感のソーセージだけではなく、ザワークラフトも一緒だった。


ソーセージで思い出すのが、
『中国ソーセージ』なるものを賞味する機会にも恵まれた。レントン・ホール別館、ウォートレー・ハウスの同じフロアに住んでいた、マレーシア人のチャッティングが『中国ソーセージ』と様々な中国調味料を使い、炊き込み御飯に似たものを作った時、少し私におすそ分けしてくれたのである。このソーセージだけれど、豚肉等の肉味強いものではなく、『これって、ソーセージって言われないとそうだと思わないだろうな・・・。』と考えてしまう、なんとも不思議な味だった。

アネットとアンカが買ってきてくれたソーセージ。こちらはやはりソーセージの本場からということで歯ごたえがある、太いものだった。
「うーん、こういうのが、食べたかったの!」
幸せを感じずにはいられなかった。ソーセージとザワークラフトだけでなく、
『ライス・プディング』も作ってくれることになった。私はライスプディングなど食べたことがなく、直訳して『お米で作ったプリン?』などと考えていた。そして『ドイツ人って保守的に見えるけど、結構奇抜なお菓子食べるねー?!』と感心していた。彼女達からライス・プディングが好きかどうか聞かれ、甘いもの好きな私はどんなものか知らないにもかかわらず、「もちろん好き」と答えておいた。
「できたわよ!いっぱい作ったからおかわりして。」
私のお皿には、
見た目おいしそうな『お粥』が一番多く盛られていた。『なんだ、お粥だったの!』。どう見ても『お粥』なライス・プディング。ひとくち口に入れ、その瞬間思わず仰け反りそうになった。ミルク味で『甘く』、しかも冷たいのだ。
「純子、ほらあなたよく食べるでしょ。だから一番多く入れてあげたから。ちょっと作りすぎたから、どんどんおかわりして。」
「砂糖と塩、間違えた・・・?」
「間違えるわけないじゃない。ちょっと甘さが足りなかった?」
なんのことはない、
ライス・プディングとは『甘い』、デザート的な冷たい『お粥』だったのである。『お粥』=『塩辛い』ことはあったとしても、私の脳には『甘い』という情報はなかった。また、『すぐには食べられないくらい熱い』ことはあっても、間違っても『冷たくはない』という定義がこびり付いていた。そんな私にとって、このライス・プディングはあまりにもセンセーショナルすぎて多くはいただけないものだった。山のように盛られたライスプディングを前に身構える私。『知らなかったとはいえ、好きなんて言ったからには、このお皿にあるだけは食べないとダメよね・・・』。大食いの自分と、知ったかぶりをしたこと後悔せずにはいられなかった。

ライス・プディングのように甘くはないものの、同じような
『お粥状のお米』を作ることから始まる食べ物が、フィンランド人のヤンネが作ってくれたカレリア地方に伝わる『カルヤラン・ピーラッカ』である。フィンランドでは主に朝食や軽食としてよく食べられるものにもかかわらず、残念ながらまだ日本では知られていない。『パイ』と聞くと想像するサクサクした生地ではなく、ライ麦で作られた固めの薄い『クレープ』といった生地で、この生地を舟形に型成したベースの上に『お粥状のお米』をのせて焼き、焼きあがった後、細かく刻んだゆで卵とバターをトッピングとしてのせ、もう一度温めて食べるのである。この『お粥状のお米』がまた塩味が少しきいていて、ゆで卵と一緒に食べるととてもよく合い、シンプルながらも実に美味しいものだった。

名物料理ではないものの、ブルネイ人学生達がラマダン(イスラムの断食月)が無事終了したのをお祝いする目的で開いたパーティーはとても興味深いものだった。ブルネイの人達によると、独自に生み出され、長年にわたって伝えられてきたその国の
名物料理などブルネイには存在せず、料理は主に中国料理かインド料理にアレンジを加えたものだという。たしかにビュッフェ・スタイルで出された様々な料理からは、『ブルネイ』という国の特色を示すようなオリジナリティーは見受けられなかった。しかし、なんといっても出された料理で特筆すべき点は、肉類が全く使われていないのはもちろんのこと、料理に使用された油類がすべて植物油だという点である。イスラム教を信仰する留学生達は、商品を購入する際には必ず使用されている材料をチェックしていた。例えば、クッキーやビスケットといったお菓子には必ずといっていいほどバターかマーガリンが使われ、おまけに香り付けとして洋酒が使われていたりするので、まず食べられないと聞いていた。そのため、ビュッフェにクッキーが並べられていたのは意外だった。実はこのクッキーはブルネイからわざわざ送られてきたもので、バターといった動物性油脂の代わりに、植物油が使われていた。そのため普通のクッキーに比べるととてももろく、ボロボロになり易いものの、そのもろさが噛むと口の中で消えてなくなってしまうような普通のクッキーにはない食感で、風味もあっさりとした後味の良いものだった。気をつけないと置いてあるだけ、ほおばってしまいそうになった。

他にも様々な国からやって来た友人達の好意により、その国の料理に触れる機会に恵まれた。しかし、どの機会においても、旅行者としてその国を訪れ、レストランでその国の料理を食べたのとは違い、
ノッティンガムという『Ingredients(食材)』とその友人達の真心がこもったものであった。




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