先生からゼミ生へ
「己が了見を持つ」
「己が了見を持つ」と書くことが多いのは自分自身の課題と考えているからだと思います。
『日本国語大辞典』によると了見にはいろいろな漢字表記があるようで、了見のほかに「料簡、了簡、量見」などがあるようです。
しかも、その意味になると「推しはかり考えて、より分けること」とか「考えをめぐらして判断すること」などがあって、さらに「思慮。考え。分別。思案。また、考え方」など結構ニュアンスの違いがあります。
でも、例文として『徒然草』からの引用で「料簡の至り、誠に興あり」などというのを読むと、「さすが兼好さん!いいことを仰る」と思います。
「己が了見を持つ」つまり「自分の考えを持つ」を実践するとなるとなかなか大変です。かの福沢諭吉先生は「我が了見を出してはいけない」とまで言われているそうです。
曰く「我心を以て他人の身を制す可からず。人たる者は理非に拘らず他人の心に従て事を為すものなり。我了簡を出すは宜しからず」〔『学問のすゝめ』〕と。
諭吉先生らしく、なにごともものごとには必ず限度があるということなのでしょうか。
心したいと思います。