
アメリカのプロ野球チームが日本で初めて試合をしてから94年がたちます。 初めて米国のプロチームが日本を訪れたのは、1908(明治41)年。米国のリーチというスポーツ品店が販売拡大を目的としてチームを編成し、日本の大学などと17試合を戦いました。
22年に三田(慶大連合)が大リーグ選抜相手に第7戦で白星をあげ、日本の米プロ相手に歴史的な初勝利をあげました。
34(昭和9)年には、ベーブ・ルース(ヤンキース)が大リーグ選抜チームのメンバーとして来日し、大人気になりました。静岡・草薙球場で当時京都商の沢村栄治が9三振を奪う快投を見せ、ルース驚かせました。
プロ同士の日米野球は、49(昭和24)年、サンフランシスコ・シールズの来日で幕を開け、第2戦で金田正一(国鉄)はミッキー・マントルを3打席3三振に打ち取りました。
62年のデトロイト・タイガース相手に村山実(阪神)は日本人投手初の完封勝ちを収めました。
70年のサンフランシスコ・ジャイアンツは3勝6敗と負け越しましたが、春のキャンプ中であり、気温差なんと20度で、風邪などで体調を崩した選手が続出したのが原因でした。
90年日本はセ、パの新人王を獲得した野茂英雄(近鉄)、与田剛(中日)ら新世代のエースが登場し、いきなり4連勝。大リーグは最終戦で2投手の継投で“ノーヒット・ノーラン”に封じるなど意地を見せたが、対戦成績は全日本の4勝3敗1分け。選抜チーム同士の対決では史上初の勝ち越しを決めました。
94年ドジャースのユニホームをまとった大リーガー、野茂英雄のがい旋ですさまじい盛り上がりを見せました。野茂は5万5000人が入った東京ドームでの第2戦に先発。僚友のマイク・ピアザとのバッテリーで3回を2安打無失点に抑えました。
98年 サミー・ソーサ(カブス)が来日。最後までマグワイア(カージナルス)と本塁打王争いを演じた余韻もそのまま、第6、7戦の2戦連発本塁打で、シリーズ最優秀選手に選ばれました。
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(毎日新聞2000年9月12日東京朝刊、他から)