『っぽい!』(やまざき貴子)は,白泉社<花とゆめCOMICS>より1〜19巻まで発売中.
中学三年.それは,僕の経験したことのない重圧.高校受験という名のそれは, もちろん受験生を1点刻み,偏差値1刻みで分別し,そして将来への道を狭めていく ひとつの過酷なステップには違いない.中学受験は,本人よりも親の頑張りである と言われる.一方大学受験は,もはや当人の自己責任でもあるし,また同時に, 将来を考えた上での先を見据えた試練.しかし,思春期という名の真っ青な時期に 圧しかかるこの試練は,おそらく他の2つとは全く別の過酷さを持っているのかも しれない.何のために勉強するのかなんて考える歳でもないし,自分の将来を見据えて 何かをするという歳でもない.長い目で見ればまだ可能性に満ちているにも関わらず, 受験という名の試練は,ひたすら選別されることを要求してくる.
そうした受験という名の試練に立ち向かう彼ら/彼女たちの中には, 微妙な精神的均衡を崩してしまう人もいる.思春期という微妙な時期 だからこそ,その精神的均衡の何と微妙なことか.18〜19巻にかけて 特にそういう子も描かれている.熱病にかかったかのような,激情を秘めた想い を押しとどめ,走り続ける彼ら/彼女たち.
いつでも逃げられる状況が用意されている時,逃げずに進むことは難しいことだと 思う.それは人としての強さかもしれない.けれど,彼ら/彼女らはどうだろう? 彼ら/彼女たちは確かに経験のない子どもに過ぎない.が,彼ら/彼女らを 取り巻く社会がある意味すさんでいることを知っているだろう. 自分の置かれた境遇よりもずっと強い逆境の中で生きていかなければならない 人がいることも知っているだろう.だが,彼ら/彼女たちは, 逃げることの意味さえ知らないかもしれない.逃げることなど 許されてはいないのだけれども. ただ,ひたすら追い立てられていくしかないのだ. 無限の可能性を秘めていると説かれながら,その実,決められたコースを 逃れることを許されないまま追い立てられてゆくしかないのだ. それが真っ青な彼ら/彼女たちをとりまく過酷な現実なのだろう.
にも関わらず,彼ら/彼女たちのなんとピュアなことか.逃げることはおろか, 自分を取り巻く様々な現実に「なぜ」と問い掛けることさえ許されないまま, 定められた道を,自らの想いを抑えることで,追い立てられていく彼ら/彼女たち のなんとピュアなことだろう.回りの世界,そして自分たちが,どこかすさんでいて, どこか狂気めいたものに支配されているのではないかと感じながら,それでいてなお 穢れることのない彼ら/彼女たちのなんと眩しいことだろう.
マンガ論として言えば,穢れなきピュアな人たちを描くことは簡単なことだ. そのためには,穢れたものを一切描かなければいい.あるいは,穢れし者が 救われればいい.われわれは,自分たちの日常の世界が,いかにすさんでいるかを 肌身を通して知っている.そしてそれがおそらくこの時代の特徴なのだということも. 穢れたものを一切描かないことで,物語の中のピュアさは,一層増幅されるかにみえる. われわれは,身の回りのピュアでない出来事を知っているからこそ,一見,そうした 穢れのないピュアな世界にあこがれる.穢れたものがかならず浄化され, 救われる世界にあこがれる.そうした対岸の世界としてピュアな世界を描くことは, 誰にでもできる.いわゆる恋愛ものの少女マンガでさえ,この例外ではない. 誰かに恋し,それ故に苦悩する女の子あるいは男の子は,決して穢れている わけではない.すさんでいるわけではない. そうした世界では, すさんだ現実とか,受験という名の鎖で縛られた日常などは, ひとつのプロットとして消えてしまうし,それでいいのだ. しかし,こうした世界があくまでも「対岸の世界」であることを忘れてはいけない. 「対岸の世界」の中で描かれるピュアさなど,所詮は,ひとつの作り物に過ぎない のだ.それは,誰かが作り上げた文字どおりのフィクションでしかない [脚注1]. (もちろん,その世界に浸って楽しむことが出来ればそれでいい.娯楽作品というのは そういうものだ.)
ここで描かれている「ピュアな彼ら/彼女たち」とは,そうした作られた世界(穢れなき世界) に住んでいるのではない.彼ら/彼女たちは,自分たちのまわりの世界が,穢れすさんでいる ことを知っているのだ.そして,自分たちが,受験という名の道をひたすら走り続けることで, 結局は,そうした穢れたものへと突き進んでいくことを知っているのだ.狂気にも似た現実を 生き,精神の微妙な均衡を保つことで,大人たちの仲間入りをしていくことを知っているのだ. だが,だからこそ,というべきなのだろうか,彼ら/彼女たちは,「対岸の世界の住人」よりも よっぽどピュアで,眩しく輝いていている.壊れるか壊れないかのぎりぎりのところにいるから こそ,彼ら/彼女たちはより一層輝きを増している.おそらく,それは,中学生という時期独特 のものなのだろう.
とうに忘れてしまったのではなく,私にはもともとなかった,この輝きを持つ彼ら/彼女たちの 将来に幸あれと,私は願って止まない.
2002.4.28.記
[脚注1]:こんなことを書くと,私の友人たちは,また暴走しているなんて言うかもしれないけれど, セーラームーンというアニメは,まさにこの「対岸の世界」的ピュアさでしかないのだ. かのアニメの登場人物たちは皆,どこかしらピュアな雰囲気を持っている.主人公月野 うさぎはまさにそうなのだ.それはこのアニメの魅力であり,多くの人々を捉えた.しかも, この「ピュアさ」は,人間が実演するミュージカルなどでは決して再現できるようなものではない. だが,それはあくまでも,「穢れ」を取り除くことによって作られる「見せかけの世界」の中での ピュアさでしかない.