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立ち読み版Web小説
牙を持った羊
作・不破 天斗
初夏の午後。
駅前の繁華街は、賑やかな喧騒に包まれていた。買い物途中の主婦の方々、お勤め帰りのサラリーマンであるお父さん方、そして仕事をサボって駅前のベンチに
凭
もた
れ掛かる不良神父――
皆、この何気無い日常、やがて思い出すコトも無くなるであろう、しかし一生に一度しか巡ってこないこの時間を過ごしている。
ベンチに
凭
もた
れ掛かりながら、ふとそう思った。
すると僕は、いつも奇妙な――
但
ただ
し決して不快ではない――感覚に囚われ、軽く首を
擡
もた
げる。
これでは、まるで――
ぐう。
まるで僕の心の呟きを打ち消すかのように、腹の悲鳴が聞こえた。無論僕のものではない。僕は首を巡らせて、ベンチ――しかも
選
よ
りに選って僕の右隣だ――の背に
凭
もた
れ掛かっている少女を発見した。
「………」
僕は後に振り返り、この時何故にこの少女が自分のすぐ
傍
そば
に近寄ってくるまで気が付かなかったのかと不思議な気持ちになる。
しかし、それはまだ先のコトだ。
「………」
その瞬間、先程とは別の――言うなれば
眩暈
めまい
に近い――奇妙な感覚に襲われた。そしていつの間にか、少女に眼を奪われる。
年齢は十代半ば頃であろうか。しかし少女の放つ幼い雰囲気と、キャップにパーカー、そして膝丈のジーンズといった、まるで少年のような出で立ちが少女を実年齢より幼く見える。しかし女性の年齢というもの分からないもので、時によっては大きく読み間違えるコトがある。だから案外見掛けにはよらないのだ。
多分。
しかし中学生位でだろうか?それとも………
まあどちらにしろ、同年代には見えない。
「おにーさん………」
「ん?」
少女は僕の眼を真っ直ぐ見据え、怖い位
生真面目
きまじめ
で神妙な口調で口を開き、
「あのね………」
「………」
無言の僕に、少女はやはり無言で、哀しげに、しかし妙にキラキラした瞳で何かを訴えかけてくる。そして時間が経てば経つほど、少女の顔が泣き出しそうに歪んでゆく。
一方僕はといえば、少女の責めの視線を受けながら、居心地悪そうにやり場の無い視線を
彷徨
さまよ
わせていた。
何れにしろ、何かを言わなくてはなるまい。
何の根拠も無くそう思った僕は――これも又後に振り返ってみて、何故に自分がそのような大それたコトを言ってしまったのか、と思わず赤面してしまう――とんでもない行動に出た。
「ナンパ、してもイイかな?」
「………え?」
少女は思わず絶句して、口を開けたまま数秒間固まった。どうやらこういう展開は予想の
範
はん
疇
ちゆう
には無かったようだ。
「………」
そして、僕も固まった。
但
ただ
し、
聖職者
神父
である自分が、ナンパを試みるという行為に背徳感を覚えたからではない。神父だって人間だ。気に入った女がいれば、当然ナンパ位する。
但
ただ
、まさか自分がそういうコトをするとは、我ながら思いもしなかったからである。
「この先に旨い飯を食わせてくれる喫茶店があるんだ。あんさんさえ
差
さ
し
支
つか
え無ければ、お付き合いして欲しい。――勿論、
奢
おご
るからサ」
生まれて初めてのナンパにどぎまぎして、思わず口早に言った。後半なんか半ば
吃
ども
っていた。
「駄目?」
未練がましく言った。
すると少女は我に返り、やがてくすっと笑った。
「面白い人」
「そうかな?」
「うん♪」
不意に僕等は顔を見合わせ、思わず口元を弛ませる。やがて少女は口の
端
はし
に笑みを残したまま、
徐
おもむろ
に立ち上がった。
それから少女が一体何と言うのか、少女の口から一体どういう
台詞
セリフ
が出てくるのか、楽しみに待った。
「――オムレツ(当店自慢のタバスコ入りのケチャップがお勧め)でございまーす」
「うわ!」
「――パスタ(ベーコンと
南瓜
カボチャ
、そしてチーズを絡めたのがお勧め)でございまーす」
「わお!」
「――ブイヤベース(魚貝類満載でサフランと
大蒜
ニンニク
の風味が特徴)でございまーす」
「うあーい!」
店員がテーブルに注文した料理を運ぶ度に、店内にいちいち喜悦の声があがる。しかしそのトーンは、感心と言うよりは感激に近く、更に
僅
わず
かながら
畏怖
・・
の念が込められていたりする。
ここの料理は
上等
ジヨ―ト―
で、好評を博している。しかし空腹という名のスパイスを持っている女は、それとは
殆
ほとん
ど無関係に
旺盛
おうせい
な食欲を見せ、眼の前にある料理を片っ端から平らげている。
まあ聞くトコによれば、何でも彼女はここ数日、
碌
ろく
に物を食べていなかったらしく、夢中になるのも
頷
うなず
ける。
ここは、駅前の繁華街の大通りを抜けた、路地裏に存在する
喫茶店
カフエ
《ユグドラシル》。この風変わりな店名を
掲
かか
げるここは、知る人ぞ知るといった目立たない店であり、かなり特殊なトコだ。
業務内容に
於
お
いても、その店員に於いても――
………にしても、どーして僕は、こんなトコにいるのだろう?
「何だかな………」
僕は
呟
つぶ
き、すっかり氷の
溶
と
けた
微温
ぬる
い水を
喉
のど
に流し込んだ。
「ねェ!」
突如、元気一杯な声が
耳朶
じだ
を打った。
「ひゃ!」
思わず、少しばかり
仰
の
け
反
ぞ
ってしまった。
「あ、あによ………!?」
内心
焦
あせ
りながら聞くと、向かいに座っている少女は、
然
さ
も
美味
おい
しそうにパスタを
頬
ほお
張
ば
りながら何か言ってきた。
「ほほほへは、ほひーはんほほははへっへはひ?」
言うまでも無く、何を言っているのかさっぱり判らない。
「悪い。口の中の物を飲み込んでから話してくれ。何を言っているのかさっぱりだ」
すると少女は、ごっくんと
碌
ろく
に
噛
か
まずに飲み込んだ。
「――よく
噛
か
んでから食えよ」
思わずぶっきらぼうに言った。
「ところでサ、今更こんなコトを
訊
き
くのもあれなんだケドサ………」
「ん?」
「おにーさん、お名前何てゆうんだっけ?」
「あれ?言ってなかったっけ?」
「うん。ゆってたらわざわざ
訊
き
いたりなんかしないよ。………まあ名前なんてあってもないようなモノだケドね」
少女は聞きようによっては
随分
ずいぶん
意味深なコトを言った。その表情には何処か達観したようなトコが――無くも無い。
「まあ無理にとは言わないケド、何だったらおにーさんがボクに呼ばれたい名前でもイイから――」
少女は、一点の
曇
くも
りも無い
澄
す
んだ瞳で、
伊達
だて
眼鏡
めがね
越しの僕の
隻眼
せきがん
を真っ向から
見詰
みつ
めてきた。
何と言うか、全てを
見透
みす
かされそうで、正直居心地が悪い。
だが――
「――
御
み
巫
かなぎ
」
僕は内心、少しばかり
辟易
へきえき
としながらも、彼女の純粋な好奇心に誘われるように、名乗っていた。
「
御
み
巫
かなぎ
・セバスチャン・
狛彦
こまひこ
――見ての通り、神父だ」
「セバスちゃん?それに神父?」
少女は、まるで今気付いたかのように
呟
つぶや
いた。僕は思わず口元が
弛
ゆる
み、胸元の十字架のペンダントを取り出して見せた。
「セバスチャンは、洗礼名だ。ウチの教会の信者は、洗礼を受けると、新しい名前を付けてもらうんだ。そんでもって、俺はそこで神父をやってる。
尤
もつと
も神父は神父でも、あまりにも不真面目で雑な性格が災いしてね。ウチの堅物
女司祭
マザ―
には、どうもそれが乱暴に見えるらしく、影では《
不良神父
デイアボリツシユ・プリ―スタ―
》なんてぼやかれてるケドね」
そう言って、手元のナプキンにペンを走らせ、少女に手渡す。そこには、横書きで名前が書かれ、その下には我ながら流麗な筆記体で読みを加えてある。
「………ヘェ………変わったお名前だね」
「確かに。親がこれ又とんでもない変わり者でね。一応
狼
・
っていう意味合いが込められている。お袋が自分の名前を削って付けてくれた」
しかし名前だけでなく、まさか生命まで削っていたとは、当時の僕には知る
由
よし
も無かった。
「ヘェ………オオカミかぁ………」
少女はその響きが気に入ったのか、口の中で何度も僕の名前を
反芻
はんすう
し、満面の笑みを浮かべた。
「ああ。それでもし、あんさんさえ
差
さ
し
支
つか
え無ければ、コマと呼んでくれ。みんなはそう呼んでいる。何なら俺の特徴を踏まえた上での呼び名でも構わないケドな」
言い終えると、不意に少女は、「神父か………」と呟き、急にまじめな顔になった。大きな瞳が細められ、何らかの意思が
昏
くら
く光る。それが何なのかは判らず、感覚を研ぎ澄ましてその正体を探ろうとした瞬間、
「奇遇だね」
「奇遇?」
少女の微笑と共に、それは消え失せた。
「実はボクも、神父さんを捜している可愛らしい迷える仔羊なんだ♥」
「………」
「………なーんちゃって。あは♪」
妙に
芝
しば
居
い
が掛かった口調でそう言うと、少女は吹き出した。そのまま
暫
しばら
く笑い続けている。猫のように細くなった眼を半ば
憮
ぶ
然
ぜん
と見下ろし、僕は「笑ってろ」と小さく舌打ちした。
「
因
ちな
みにそーゆーあんさんはどーなんだ?」
「ボクは一人暮らしだよ。これでも自立してるんだ。おねーさんって呼んでイイよ」
「いや、そーじゃなくて、名前」
「え、ボク?ボクの名前は………」
当然のように
訊
き
くと、
途
と
端
たん
少女の顔が引き
攣
つ
った。
何故、そこで引き
攣
つ
る。
「えっと………なぎさ、とかでイイかな?」
「え、いやその
とかでイイかな?
って?もしかして偽名なんじゃあ………」
訝
いぶか
しがるボクになぎさ(自称、偽名の可能性あり)は
慌
あわ
てて
誤魔化
ごまか
した。
「ん、いや大丈夫!ノープロブレム!ボクはなぎさ。ホントこれにけってェ~い!!」
「いやその
これにけってェ~い!!
って?やっぱり偽――」
「ホント大丈夫。気にしないで。ね?」
有無
うむ
を言わせず言う、少女――なぎさ。
そんな
科
しな
作られても困るっつうの。
「で、
姓
せい
は?」
「せ、せい?」
「
苗
みよう
字
じ
のコト」
「ああ、姓、苗字ね。今は………」
「
今は
?」
やっぱり偽名らしい。
「ま、イイや」
本当は全然良くないのだが、どうせ答える気が無いのだろう。だからといって、
態々
わざわざ
詮
せん
索
さく
するほど僕は
無
ぶ
粋
すい
じゃない。
「じゃあ、コマちゃんって呼ぶね。ボクはなぎさだから、なぎって呼んでね」
「………」
「ダメ?」
「お好きなように」
そう返すと、僕と彼女――なぎは同時に吹き出した。
「あはは………」
「ははは………」
それから僕達は延々とだべっていた。時折追加注文をしながら、ここのメニューの
薀蓄
うんちく
、趣味、最近の出来事、
故郷
クニ
のコト等、何てコトの無い話をしていた。道端で出逢った見ず知らずの女性とこうやって
差
さ
しで話すのは、
随分
ずいぶん
と久し振りのコトだが、案外楽しいものだった。
そんなこんなで時間は
刻々
こつこく
と過ぎ去ってゆき、遂に閉店の時間となってしまった。
「あ、もうこんな時間だ。そろそろ
おいとま
・・・・
しなくちゃ」
「ああ」
すっかり冷めた
珈琲
コ―ヒー
を
喉
のど
に流し込むと、僕達は立ち上がり、レジへと向かった。
「今日はすっかりごっちになっちゃって、ホントにありがとう」
「いやいや、俺も中々
暇
ひま
を持て余している身でね。こちらこそ、付き合ってくれてどうもありがとう」
そう言って
踵
きびす
を返そうとすると、彼女は僕を見て何かを言い掛ける。
気の
所為
せい
かも知れないが。
だがその顔には、何と言うか、切実な光が見えたような気が、しなくもない。
「ん?」
「うぅん、何でもないよ、何でも………あはは………ばいばい」
「応………」
僕との別れを
惜
お
しむというよりは、ただ単純に
淋
さみ
しいように見られる。お節介かも知れないが、僕は彼女に連絡先を
控
ひか
えたメモを
握
にぎ
らせ、今度こそ
踵
きびす
を返した。
「じゃな。可愛らしい迷える
仔
こ
羊
ひつじ
になるコトがあったら、ここに連絡しな、なぎ」
「うん。ありがと。ばいばい」
「ああ。
貴女
あなた
にも主の
御加護
ごかご
がありますように。エイメン」
そう言って、胸の前で小さく十字を切った。
背後から「また誘ってね」と言う声が聞こえたが、僕は特に振り返らずに、背中越しに手を振った。
そして、夜。
誰も家にいないコトをいいコトに、以前
戦友
ダチ
から
廻
まわ
してもらった超極レアお子様禁止なビデオ『マグロ天国①~これが噂の名門!聖愛女学園~(限定版)』を鑑賞しようとしていた、その時だ。
何の
前
まえ
触
ぶ
れも無く、いきなり
携帯
ケ―タイ
の着メロが鳴り響いた。
僕は思わず時計を見た。
午前二時過ぎ――良い子なら、
疾
と
うの昔に寝ている
筈
はず
だ。
こんな時間に突然電話を寄越してくるのは一体どういう
輩
やから
だ?出張に出ている
義母
はは
上様か?姉貴か?バイト先の
所長
ね―ちゃん
か?昔の女か?それともたる――
駄目だ、心当たりがあり過ぎて、一体誰なのか見当もつかない。
やがて意を決した僕は、恐る恐るボタンを押した。
「もしもし」
そこから聞こえてきたのは、聞き覚えのある女の声だった。
但
ただ
し、何故か何処か弱々しい、そんな気配があった。
『あ、コマちゃん?良かった。ちゃんと
繋
つな
がった』
「どうした?こんな時間に」
『
逢
あ
えないかな?』
それが全てであり、それで充分だった。だから僕は、不安そうな声の主にこう
囁
ささや
いた。
「奇遇だな。俺も丁度今、可愛らしい迷える
仔
こ
羊
ひつじ
を待っていたトコだ」
それから僕は、彼女の現在地を待ち合わせ場所に指定し、二三打ち合わせをすると、
即
そつ
行
こう
で
戸
と
締
じま
りを確認して、家を飛び出した。
『コマちゃん、ボクを、助けて』
(牙を持った羊 第一章より)
初めに一言、物申す
ここは、我輩――
宿
スク
禰
ネ
が立ち上げた、
『牙を持った羊』
の支援サイトであり、同時に
『彼等』
について語る場である。
故
ゆえ
に、皆が
諍
いさか
いを起こすコト無く、仲良くして頂きたい。
まかり間違っても、
荒らし
などは
厳禁
である。
かと言って、
あーんなコト
や
こーんなコト
についてばかり語られても困るが・・・
西暦2003年12月7日