牛部屋玄関へ戻る
牛の課題ノートへ戻る
アールゾイド「メトロポリス」上映コンサートについて
1926年ドイツ表現主義の映画監督フリッツ・ラングによって、
破格の製作費と当時では最高の特殊技術を駆使して制作されたサイ
レント・ムービー「メトロポリス」
1969年にフランスで結成され、室内楽をプログレッシブに発展
させたチェンバーロックを代表しアバンギャルド・ロック界の頂点
に君臨し続けているバンド、「アールゾイド」
この二つのコラボレーションを山口でふれることができた。
市民会館大ホールのステージをちょうど3分割したかんじで、真ん
中に映像のスクリーン、その両脇に階段状のステージが用意されて
おり、そこにアールゾイドのメンバー達が演奏していた。
メンバー達には照明が当てられていたのだが、私はそれが少し気に
なった。バレエやオペラのオーケストラを考えてみると、舞台の手
前、一段低くなった位置、つまり観客側から目立たない位置で演奏
は行われている。その為、観客は自然と舞台の上の演技者(バレリ
ーナや歌手)や話に集中でき、ほとんどの舞台芸術で音楽は従の存
在といえよう。
しかし、今回の場合、真ん中のスクリーンに注目していても、その
両サイドの演奏者達の動きが視界に入り、たびたび映像への集中が
途切れてしまった。サウンド自体は生演奏だったので良かったと思
うが、映像と演奏者が同等の位置付けであった為、その音は映像と
調和されてなく、良いコラボレーションとは言えなかったように思
われた。照明が無ければ目立たなければ、スクリーンがもっと大き
ければ、演奏者がもっと舞台の奥に配置されていれば、違和感無く
鑑賞できたのではないだろうか。
もともと「メトロポリス」は、音が無くても強烈な印象を与える映
像作品なので、そういう作品に改めて音を加えるというのは実に難
し作業だろうし、アールゾイドがそれに挑んだというのはとてもす
ばらしいことだと思う。
今回のサウンドが蛇足であったとまでは思わないが、舞台の演出の
仕方によっては、それぞれの表現がうまくかみ合わず、一つの舞台
としてはバランスの悪い状況をつくる場合があるというのは確かだ
といえよう。
今回の私の見方というのは、映像が主であり、音楽が従であった。
後にポスターをよく見ると、”アールゾイド「メトロポリス」上映
コンサート”とあり、この書き方から音楽が主体のものであるとい
えよう。そうするとあの演出はあれで良かったのかもしれない。で
も、それなら映像を全部流す必要は無いかもしれない。
無声映画と生演奏のそれぞれの良さを引き出す演出とはどういうも
のか考えさせる一日だった。