古代を偲ぶ会

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古代を偲ぶ会2001年10月例会-2

タイトル  前方後円墳の成立 (三)                   
講師   奈良女子大学教授  広瀬和雄  2001年 10月 6日 土曜  北市民教養ルーム
講義ノート  
 例会の講義をノートしたもので出来る限り正確を期していますが、 あくまで担当者の筆記した講義ノートにより概要を再構成したもので、講師が記述した著作物ではありませんので、研究資料として引用等の使用はできません。  
研究で参考や引用される場合は、直接講師にお問い合わせください。 (古代を偲ぶ会では講師への照会等はしておりません)
文中の2C 3CのC は世紀の略です。

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前方後円墳の階層性 200m以上の前方後円墳は全国で35基あるが内32基は畿内である。
       残り 岡山-- 造山 作山  関東---天神山
地方の3C後半から4C中頃の古墳で、古墳の外表3点セットと言われる段築 葺石 埴輪 が揃っている古墳はほとんどない。     畿内では一般的
墳丘構成 や副葬品すべてに階層性がある。
前方後円墳は画一的古墳である。
前方後円墳は階層的であり畿内(大和 河内)が中心である。

現代の地方の時代の風潮を反映し、考古学でも地方の力を大きく評価しようとする風潮があるが誤りである。

複数系譜型古墳群
   一つの首長系譜が同一墓域で数代にわたり古墳を造っている場合があるが、大和の古墳群
   はこれに該当しない。   200m級の古墳が多くある。

前方後円墳は、大和の首長層により造られ階層性を持っており、政治秩序を形成している。
   それを目に見える形で表現している。
   鉄や腕輪の配布も同じ意味を持っている。

 

前方後円墳の形成過程 最近地方で王墓や首長墓が発掘されているがその形態はばらばらである。
  前方後円墳は大和の墳墓が最も近似しているが、
    9月の講義で示したとおり地方の各要素を取り込んでいる。 
    8月の講義で説明したとおり中国の思想がなければこの形態は成立しない。

その成立経過を推定する。
 2C後半
    首長の死=共同体の死という意識の共同幻想が成立し、再生イデオロギーが必要となった。       
      そこにはそれぞれの地域政権が存在した。
 3Cの中頃
    大和の首長層がそれらの政治的まとまりのトップに立った。
    大和の首長層がトップになるために
      前方後円墳に、弥生時代の諸要素を取り込み、中国思想を取り込んだ。 
      そして鉄や塩を配布した。
    即ち大和政権の政治的正当性を示すために前方後円墳を造った。
 3C中〜4C後半
    当時 大和政権(中央政権)  地方政権  が存在したであろう。
    武力で首長層を未だ統一できていないが、地域政権を取り込むことに成功したと思われる。
 4C末
    大和政権が地域政権を解体した。
 5C中頃
    大和政権主導で地域政権再編を行う。

    

後期古墳 4C後半朝鮮半島南部に出兵したと考えられる。   倭と高句麗の戦い
これを契機に地方支配の方式が変化したと思われる。
    韓国南部に前方後円墳が発見されている。
横穴式石室 資料17に横穴式石室の諸例を掲載しているが、横穴式石室は霊肉分離の観念の現れである。

5Cに百済・伽耶から渡来人が大量に渡来している。
5Cになると伽耶型墳墓や伽耶の遺物が多く出土している。
5C後半には百済からの新しい観念としての横穴式石室の導入が定着する。

横穴石室という新しい観念が入ったきっかけは、倭の朝鮮出兵である。
 

横穴石室の観念
      霊肉分離
横穴石室は遺体に対し一定の空間を与えている。------遺骸主義の終焉(粘土槨etc)
(遺骸主義=遺骸の密閉保護を目的としたものであり、そこには霊魂が肉体と一緒に閉じこもっている観念--8月講義参照)
横穴石室の祭祀構造と観念の変化 横穴石室に現れる須恵器の副葬や追葬は死んだ人に(意図して)余分な空間を与え食物を
与えている。    (明らかに遺骸主義の閉じ込めることから)観念が変化している。
   そこには肉体と違ったものを意識しており、霊肉分離が確立した。
 
海上他界観について 海上他界観は抽象的である。  
  即ちそこには死んだ人の霊は海の向こうに運ばれる。  そこは皆平等の彼岸である。
    こうした考えは沖縄のニライカナイからきている。
しかし霊肉分離の観念は5C後半まで遡る。       海上他界説は民俗学的考え
海上他界説の矛盾 海の向こうへ運ばれるのになぜ副葬品や立派な石室が必要なのか。
これらは在外的論理である。
他界の場所 資料12の珍敷塚などに描かれた壁画は(死者の魂を載せた)船が石棺に到着したことを示している。     (9月例会講義参照)
副葬品に表れるの直弧文や鉄 は壁邪の現れである。
   4C中頃〜5Cの畿内や北九州は同一の流れで動いていた。
      直弧文  楯   船
   壁邪される対象は広くなる----石棺から石室にまで移動
   6Cになると玄室すべてに描かれる。

5Cに霊肉分離の観念はまず畿内に入りその後北部九州に移る。
霊肉分離はするが、海上他界ではなく
それぞれの首長のテリトリー、即ち横穴石室を他界の場所としている。

   

火葬  仏教が他界の場所の解答を与えた。

   
   

今回のノート担当者は三宅忠夫でした

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