第14章 バランス・オブ・パワーの評価
1組9番 荻島 真悟
T 序文
バランス・オブ・パワーとは国際社会において幾つかの国の間にほぼ均等に力が配分さ れている情勢、また、ある特定の情勢を作ろうとする政策を指す。この形態は、多数の自律的な力から成り立つ一つのシステムの安定を維持しようとする。外部の力によってその均衡が崩されても、本来の、あるいは新たな均衡を再建しようとする傾向を示す。そこで現代世界における平和と安全の保持のためにバランス・オブ・パワーの将来の有用性を評価する必要があるだろう。歴史上、確かにバランス・オブ・パワーの政策はいかなる国も普遍的支配を遂げないようにするという目的は果たしてきた。しかし、それは戦争およびポーランドなどの小国の排除政策をともなって安定をもたらしていた。逆に言えば、戦争無しでは国際システムに対してバランスオブ・パワーは機能を果たすことが出来ないということであり、欠陥があるということを示す。その弱点とは、その不確実性、非現実性、およびその不十分性である。
U 本論
@不確実性
多数の国家の内の一国が他国の独立を脅かすほど強くならないようにするため、多数国間でバランスを保つという着想は機械学の分野から得られた暗示で、16、17、および18世紀に特有の思考様式である。この思考様式では、社会のメカニズムのなかで、またそれを構成しているより小さなメカニズムのなかで、各部分の相互関係は機械学的な計算によって正確に決められており、それらの作用および反作用は正確に予測されると信じられていた。
バランス・オブ・パワーを一つの天秤と考えてみた場合、機械学的には、多数の国家の相対的な力を測定および比較できる量的基準が必要である。なぜなら、本物の天秤のポンドなどに匹敵できるような基準によって初めて、ある国が他の国よりも有力になりそうであるとか、あるいはこれらの国家が互いにバランス・オブ・パワーを維持しようとしている、などといったことをある程度の確信を持って述べることが出来るからである。そして、実際には、我々は領土、人口、および軍備のなかにこのような基準を発見し、適用してきた。しかし現実は、例えば領土という分野において、スペインとトルコはヨーロッパのどの主要国家よりも大きな領土を持っていたが、国際政治に積極的に関与していた諸国のうちで最も弱い国家のうちに数えられていた。領土は確かに国力の創出に通じる要素であるが、それは他の諸要素の一つでしかない。それは軍備などに対しても当てはまる。しかし、依然として国の力を構成するすべての諸要素よりも少ない要素しか取り扱わなかったのである。とくに対外事象の処理における国民性、政府の質は、国力の構成要素のうちで最も重要ではあるが、最もとらえ難いものでもある。これらの要素が各国に対してなすであろう相対的な寄与も、正確に評価することは出来ず、さらにこれらの特質は絶えず変化している。しかもこの変化はそれが生じる時点では目立たず、危機と戦争によって初めて明らかになる。それぞれの国の相対的な力の計算は、バランス・オブ・パワーに活力を与える根幹だが、その推測の正確さは後日振り返って初めて確かめられるのである。
この力の計算の不確実性はバランス・オブ・パワーの最も単純なパターン、つまり一国が他の一国に対抗するときにさえ生じる。しかも、いずれか一つ、あるいは両方の秤皿における勢力が同盟からなるときには、この不確実性は限りなく増大する。そして、諸同盟から成るあらゆるバランス・オブ・パワー・システムの不確実性のなかに、事実、第一次世界大戦を阻止できなかった理由があると言えるだろう。
A非現実性
全ての力の算定がこのように不確実であるということは、バランス・オブ・パワーの実際的適用を不可能にするのみでなく、事実上バランス・オブ・パワーの否定そのものを導く。いかなる国も、力の配分の算定が正確であるとは確信できないので、誤った計算をすることをある程度前提において、なおバランス・オブ・パワーを維持しうる安全性の余地を持とうとしなければならない。すなわち、均衡した状態ではなく、自国の力の優位を実際上目指さなければならなくなる。そして、誤った計算の誤差がどれほど大きくなるかは予測できないので、全ての国家は究極的にはその環境下で獲得可能な力の最大量を求めなければならなくなる。力の最大量を得ようとすることは普遍的なものなので、全ての国は絶えず他国の力の増大によって自国が劣勢に立つことを恐れ、避けようとする。したがって、対抗国に対して明白な優位を得た国家は全て、その優位を強化しようとし、永久に彼らの利益になるように力の配分を変えるためにこの優位を利用する傾向がある。
バランス・オブ・パワーの状況下において、一個の現状維持国ないしそれらの同盟と、一個の帝国主義国ないしそれらの集団との間の対抗は非常に戦争を起こしやすい。明らかに平和の追求に貢献し、現在もっているもののみを保持したい現状維持国は、帝国主義国特有の力のダイナミックかつ敏速な増強に肩を並べていくことはほとんど出来ない。軍備競争において、現状維持国は確実に負けてしまうし、彼らの相対的地位はその競争が長く続けば続くほど加速度的に低下せざるを得ない。時間は帝国主義側に味方し、時間の進行とともに帝国主義国の秤皿はますます下がり、現状維持国がこのバランスを矯正することはますます困難になる。そして、帝国主義の地位は難攻不落のものになる一方で、現状維持国のバランス矯正の機会は取り返しのつかないほどに失われる。このような状況においては、予想し難い可能性をもつ戦争は帝国主義の勢力圏に組み入れられないための唯一の選択肢であるように思われる。戦争は、少なくともバランス・オブ・パワーを矯正する機会を現状維持国に有利な形で与える唯一の政策として立ちあらわれるのである。しかし、バランスを矯正する行動そのものは、それ自体のなかにバランスを阻害する要素を伴う。昨日の現状擁護者は、勝利によって今日の帝国主義者に転化し、これに対抗して、昨日の敗北者が明日には復讐の機会を捜し求める。したがって、バランスをとる過程はしばしば、バランスを阻害して一つの有力な力を別の力と取り替える結果をもたらした。ハプスブルク家の野望はフランスに阻まれたがルイ14世に継承され、ナポレオンのフランスによる世界支配の企てはオーストリアとロシアの領導下にあった神聖同盟に引き継がれた。神聖同盟の失敗はヨーロッパにおけるドイツの支配をもたらした。第一次世界大戦での敗北から20年経って、ドイツは再びヨーロッパにおける有力国となり、他方アジアでは日本が同じような地位に上昇した。バランス・オブ・パワーにおいてこの両国が排除されると、一方におけるアメリカと、他方におけるソ連および中国との間の力の抗争が形をなしてきたのである。
本来、バランス・オブ・パワーは国家の自衛のための装置であり、その目的のために利用すべきものである。しかし、現実には、諸国家の権力衝動を合理化し正当化するために利用され、イデオロギーに転化されてきた。帝国主義国は自国が望むのは均衡であると主張し、現状維持国は現状の変化をバランス・オブ・パワーに対する攻撃に見せかけようとした。例えば、1756年にイギリスとフランスが交戦したとき、イギリスはヨーロッパのバランス・オブ・パワーの必要性という立場から自国の政策を正当化し、フランスは通商のバランスを回復するために海上および北アメリカにおけるイギリスの優位に対抗せざるをえないと主張した。諸国家の力の相対的地位を正確に評価することが難しいため、バランス・オブ・パワーという言葉を使用することは国際政治の有利なイデオロギーの一つになってしまった。したがってその言葉が非常にあいまいに、そして不正確に使われるようになった。ある国が国際舞台に対して行った行為を正当化しようとするとき、その国はバランス・オブ・パワーの維持、回復のためであると主張する。他国による政策に対しては、ある国はその他国の政策をバランス・オブ・パワーを脅かすもの、阻害するものとして非難する。現状維持国にとっては、均衡、現状の維持がバランス・オブ・パワーの本来の傾向であるとし、現存する力の配分のいかなる変化も、バランス・オブ・パワーを阻害するものとして反対される。このように、バランス・オブ・パワーはイデオロギーとして利用されてきたが、これは偶然ではない。バランスを求めるみせかけの欲求と、実際に優位を狙うこととの差異は、バランス・オブ・パワーの本質そのものであり、本音を初めからイデオロギーたらしめているのである。
B不十分性
17、18、19世紀において、バランス・オブ・パワーは近代国際システムの安定と国家の独立の保持に貢献してきた。しかし、この功績はそれのみによってもたらされたのではない。その時代を通じて他の要素も働き、これらの成果を挙げたのであろう。
ギボンが述べるには、「ヨーロッパはいろいろな種類の住民がほとんど同じレベルに洗練され、教養を獲得した、一つの巨大な共和国とみなされる。バランス・オブ・パワーは変動し続けるが、全体的な幸福状態、つまり技芸、法、生活様式のシステムを本質的に傷つけることはない。暴政は相互の畏怖と羞恥の感化によって抑制され、共和国は秩序と安定を獲得する。」とある。その時代の政治著述家たちは、バランス・オブ・パワーが以上のような知的、道義的まとまりを基盤とし、このまとまりがバランス・オブ・パワーの有益な働きを可能にするとしていた。また、ヴァッテルによれば次の通りである。「ヨーロッパは一つの政治システムを形成している。昔は断片であるそれぞれの国は、自身は他国の運命とほとんど関わりがないと考えていたし、また直接自己と関係のない事態をほとんど配慮しなかった。しかし、今はそれぞれ独立してはいるが、秩序と自由を維持するために共通利益の絆を通じて一体になる。そういう理由で、政治的均衡あるいはバランス・オブ・パワーという周知の機構が生まれたのである。いかなる国も他国を支配したり、他国に規制を押し付けたりすることが絶対出来ないような、そういう傾向は、これによって理解されるわけである。」
これらの近代国際システムの安定に対する信頼は、バランス・オブ・パワーによってもたらされるのではなくて、バランス・オブ・パワーおよび近代国際システムの双方が拠って立つ現実の知的、道義的な多くの要素によってもたらされるのである。周知のように、あらゆる帝国主義の力への無限の欲求を抑制し、その欲求が政治的現実となるのを阻止したのは、まさに諸国間の道義的コンセンサスである。このようなコンセンサスが存在しない、または弱体化してしまった場合には、バランス・オブ・パワーは国際的な安定と国家の独立のためにその機能を果たすことが出来なくなる。第二次世界大戦後、どのような種類のコンセンサスが世界の諸国家をまとめているか、それによってバランス・オブ・パワーが今日でも有用であるかを確認できるだろう。
V 本論2
@『世界システム 田中明彦』P66〜72
力の分布と関連して、戦争と平和の議論になると、しばしばバランス・オブ・パワーの仕組みが言及される。まず第一に指摘すべきはバランス・オブ・パワーという概念のあいまいさである。バランス・オブ・パワーは「勢力均衡」と訳されるが、バランスは必ずしも均衡つまり天秤の両側が等しいことのみを意味するわけではない。したがって、力の均等な分布を意味することもあれば、自らに有利な力の分布状態、またそれらの状態を目指す政策という意味もある。このようにさまざまな意味で使われるが、基本的には力の均等という意味が存在している。しかし、力の均等ということを厳密に定義するのは困難である。仮に力が正確に測定できたとしても、世界システムに複数の国が存在した場合、何と何を比べて均等というのか明確ではない。全ての国が同じ力を持つということは、近代世界システムの特徴からして非現実的である。力の均等とは、成立する可能性のある敵対する同盟と同盟の組み合わせを考えてみて、そのどの組み合わせにおいても、ある一方が優位に立たない状況と考えるしかないだろう。
近代世界システムには支配的大国が存在する場合がある。支配的大国とは、全ての敵対国の組み合わせに対しても戦争を企画できる国のことである。バランス・オブ・パワーの法則においては、支配的大国がさらに強大になって、全ての組み合わせの敵対国に確実に勝利することができるようにはならない。そのような事態においては、各国はバランス・オブ・パワーの政策をとる。つまり、ある支配的大国が強大化しつつある時、十分な数の国家がその時の政治的現実の枠組みを変えてでもそれに対抗できる同盟を形成する。例としては、ナポレオンに対しての大同盟、ヒトラーの台頭に対するアメリカの連合国側への参加などである。
近代世界システムが、これまでのところ世界帝国になっていないという現実からみると、これまでのところバランス・オブ・パワーの法則は正しかったといえるだろう。しかし、バランス・オブ・パワーの法則が仮に正しかったとしても、それは平和をもたらすものではない。この法則には平和をもたらすという要素は含まれていないからである。この法則は世界帝国の成立の防止であって、世界平和の達成ではないからである。そして世界帝国の防止のためには、各国は当然戦争をすると前提しているのである。しかし、確かに本当の意味での世界平和は達成することは不可能ではあるだろうが、少なからず平和をもたらしているとは言えるかもしれない。多くの国家がバランス・オブ・パワーの政策をとることによって、大国が容易に戦争を起こすことを防止しているということは十分に考えられるからである。
A『国際関係 鈴木基史』P24〜28
第二次世界大戦の勃発は、ヴェルサイユ体制で試みられた国際法や国際機関による戦争の非合法化と国際秩序形成という理想主義的なアプローチが失敗に終わったことを決定づけ、国際関係におけるパワーの重要性を再度知らしめることになった。
モーゲンソーは国々の相互作用の帰結として勢力均衡が必然的に導出されると推測し、主権国家体系をもたらしたウェストファリア平和以降が国際体系の自発的制御装置として存在してきた史実を強調した。勢力均衡は近代国際体系に不確かな安定を作り出し、諸国家の自律性を保証するという二つの重要な役割を演じてきた。しかし、ナポレオン戦争や二つの世界大戦のように一国による覇権的支配を阻止するためには大戦争を必要としたり、ポーランドの分割・併合に見られるように体系の構成員の自律性を維持できなかったというような、勢力均衡本来の機能が実際に働かなかった事態はしばしば起こった。勢力均衡は本質的に不安定で動的な特性を持つのであるが、これはモーゲンソーによれば、不確実性、非現実性、不十分性という三つの問題点があって、それを完全に実現するのが非常に困難であるからである。勢力均衡自体は国際体系の常態でないにもかかわらず、近代の国際関係には一貫して勢力均衡が働き、国際体制の安定と維持に貢献してきたとするモーゲンソーの主張には明らかな矛盾がある。こうした矛盾は、モーゲンソーの理論の中には勢力均衡を確立させる必要十分条件が明示されていないからである。諸国家が権力最大化の行動をとれば、どのような状況においても勢力均衡という帰結が生じるのか、またどのような状況で生じないのか。モーゲンソーの理論では権力最大化という行為目的と均衡との因果関係が十分に論証されてないために、これらの問いに答えることは出来ない。この欠落を補填することが、モーゲンソー後のリアリストの重要課題となっていった。
B『戦争と国際システム 山本吉宣・田中明彦』P173〜207
バランス・オブ・パワーというのは、各国が自己保存を図るために利己的な行動をとっていたとしても、各国のそのような相互作用の結果として最終的にはシステム全体が保存されるという考え方である。最も極端には、どの国もシステム全体について考慮する必要はなく、自らが攻撃されそうになれば、それにバランスをとるような行動をとっていけばシステムは崩壊しないというものもある。もちろん、それだけでは駄目で、バランスが崩れそうになったらバランサーとしてどちらかに肩入れをする必要があるという考え方、また、バランサーだけでは不十分で、いくつかの国がグレート・パワーとしてシステム全体を維持しようとすることが必要だとする考え方もある。
そこで、コンピューターシミュレーションによる、勢力均衡論の前提にしたがって国際システムの勢力均衡モデルを作り、勢力均衡論の理論実験を行った。また、前提として、システム内にシステム全体の均衡や安定を考慮して行動する主体およびシステム・レベルの要因は存在せず、国家は自己の利益にのみ従って行動し、勝利する確立の高い戦争は躊躇しない、ターゲットの同盟のパワー増大に対しては対抗するという勢力均衡の政策をとると仮定する。このシミュレーションも結果、いくつかのことが明らかになった。
第一に、今回のシステムでは、究極的安定を保証しない。システムが永遠に帝国化しないという保障は得られなかった。第二に、安定度を高める要因としては、国家による他国のパワー評価が一貫していること、慎重な意思決定を行うこと、全ての国に対して同様な評価傾向を持つこと、システム初期のパワー分布が均等であること、個々の国家間にはパワー評価の傾向にばらつきがあること、などが重要であることがわかった。第三に、国家の属性、傾向の違いによって、システムの均衡に影響があることもわかった。複数回の実験によると、均衡する傾向のあるタイプと不均衡なタイプに分かれ、不均衡なタイプのなかには防御側が優勢になるタイプと攻撃側が優勢になるタイプがあることがわかった。防御側優勢の不均衡が最も安定的であり、均衡がそれに次ぎ、攻撃側優勢の不均衡が最も不安定であることが確認された。
W 結論
果たして、現在バランス・オブ・パワーは適切に働いているのだろうか。第二次世界大戦以後、大きな世界規模の戦争は起きていない。また、ヨーロッパなどの先進諸国が積極的に戦争を行うことも無くなってきた。それは平和という意味では、以前よりも良い状態といえるかもしれない。しかし、世界全体の平等、つまりある国が他の国より優位に立つことがないような状況とは言い難い。たしかに参考文献『戦争と国際システム』の実験結果にあるように、防御側、つまり現状維持国側優勢の不均衡が最も安定的であり、現在のアメリカなどが優勢である状況はこれに当てはまるかもしれない。しかし、今の状態のままでは世界の平等が訪れることは決して無いだろう。なぜならば、まず、他国よりも有利な位置に自国がある場合に、その他国を自分の位置にまで押し上げるような政策をとることは無いということである。これは、自国の国益を考えた上でも当然のことであり、そしてバランス・オブ・パワーの前提条件としても挙げられていることでもある。すなわち、第二次世界大戦以後、世界の勢力地図を書き換えるような戦争が起きてないことから考えると、第二次世界大戦の戦勝国として世界の勝ち組としての地位に登りつめた国が世界の負け組を自分たちの利益を奪うほど発展させることは無いということである。なので、負け組と称される国々は自国のみで這い上がらなければならない。もともとの国力(領土、軍事力、経済力、技術力など)を持つ国は出来るかもしれないが無い国はそうもいかない。また、経済援助、経済制裁を受けている国々はなおさらのことである。発展をとげようとしても、援助している側の国々は自国の地位は脅かすことの無いように調整をする可能性が考えられるからである。そうなってくると、そのような状況を覆すのは難しくなってくる。モーゲンソーは、差がつきすぎてしまい、バランスを矯正するのが難しい場合は、予想し難い可能性を持つ戦争が唯一の選択肢であると述べている。しかし、現在の世界規模の道義として、侵略戦争は禁止されており、国際機関および諸国家によって鎮圧される。つまり、事実上、発展途上国が先進諸国と同等な地位にまで登りつめることは不可能に近いと言えるだろう。このことは世界の全国家の平等が不可能であることを意味する。よって、現体制、現時点では世界の平和と平等は両立しないのである。また、これらに関してはバランス・オブ・パワーに通ずるものもある。現在、アメリカ合衆国が経済力、軍事力、影響力が世界でトップであるということに異論は無いであろう。そして、当然のことながら、その地位を揺ぎ無いものにするために国家としての行為をしているはずである。では、これに対抗しうる国家、または同盟はあるのであろうか。以前はその位置にロシアがいた。しかし、今は経済力、軍事力においても遠く及ばない。一つの国家であると称されるヨーロッパも対抗できるとは思えない。アジア、アフリカは話にもならないだろう。事実上、アメリカに対抗できる同盟は無いのである。アメリカが帝国主義を掲げていないため世界帝国自体は実現していないものの、これではバランス・オブ・パワーは有効に働いていると言えるのであろうか。もちろん、アメリカが帝国主義をとり、侵略戦争を始めれば、バランス・オブ・パワーの法則が働き、ヨーロッパとアジア、アフリカとロシアなど、現在では考えられない組み合わせの同盟が生まれ、アメリカは鎮圧され、世界の勢力地図は変わるであろう。しかし、アメリカ、および世界の勝ち組であると思われる国々は現状がベストであるとわかっているのである。したがって私の意見としては、バランス・オブ・パワーは、現在においては、戦争というキーワードが構成要素として含む場合のみ有効に働くが、戦争の無い状態においては、大国を抑制することはできるが世界の力の均衡にはあまり役に立たない理論であると結論付けることにする。
モーゲンソーはバランス・オブ・パワーに三つの欠陥、つまり不確実性、非現実性、不十分性があると述べた。力の算定か不確実であるために、相手国の国力に対してとるべき行為を誤ってしまう可能性があるという「不確実性」に関しては私自身も賛同するし、否定の余地も無い。しかし、他の二つに関してはそうはいかない。
モーゲンソーは力の算定の不確実性はバランス・オブ・パワーの実際的適用を不可能にするばかりでなく、バランス・オブ・パワーの否定そのものを導くと述べている。彼が述べるには、各国は誤った計算をすることを前提として、なおもバランス・オブ・パワーを維持しうる安全性を持つため、均衡ではなく、その環境の下で獲得可能な力の最大量を求めようとする、とある。果たして、このことがバランス・オブ・パワーの適用にどのような問題があるというのだろうか。そもそも、バランス・オブ・パワーはそれぞれの主権国家が自国の利益を求める行為のみを行っても、世界帝国は実現しないだろうという考え方であったはずである。仮に、各国が今のバランス・オブ・パワー、つまり自国の優位な状況を維持するのではなく、最終的に世界帝国を目指す政策をとっていたとする。そして、実際の国力は実際に戦争が起きなければ測ることはできないとあった。ならばバランス・オブ・パワーは実現するはずである。例えばA国が表向きは現状維持、中身は帝国主義をとっており、潜在的には世界を征服しうる力を持っていたとする。A国の力を測りきれていないB国がA国に対して戦争をする。もちろん戦争はA国の勝利に終わる。その結果に対して、潜在的には帝国主義をとっているC国、D国、E国はこの戦争によってA国の国力を知り、脅威を感じる。そのためにC国は国力を強める政策に出る、また、D国とE国はA国に対抗すべく同盟を組む。そしてC国とD・E同盟はA国に匹敵できる力を持つ。つまり、国力が、戦争が起きるまでわからなくても、各国が潜在的な帝国主義政策をとっていたとしても、バランス・オブ・パワーは働きうるということである。もちろん、この考え方は、戦争という行為があって初めて効果を発揮するものではあるが、私自身の認識ではバランス・オブ・パワーと戦争は切って離せないものであるからである。
また、モーゲンソーはバランス・オブ・パワーはその全盛期の時代をつうじて他の要素も働き、近代国際システムの安定とそのメンバーの独立の保持に貢献してきたと述べた。そしてそれについては賛同できる。彼はその要素として知的、道義的な意見の一致が重要であり、そのコンセンサス無くしてはバランス・オブ・パワーによる安定は無いと述べた。その中身は、共通の洗練と教養、共通の技芸、法、および生活様式であり、相互の畏怖と羞恥によって野心と節度を強いた。彼は引き合いにヨーロッパを出した。しかし、それでは、全世界規模ではバランス・オブ・パワーは通用しないことになってしまうだろう。世界は何も「似たもの同士である」ヨーロッパしか国家が無いわけではない。確かに強国がヨーロッパに多いのは事実であろうが、アジア、アフリカ、およびアメリカ大陸などはヨーロッパとはその性質を異にしている。彼の理論では、日本などが力をつけて、第二次世界大戦で粛清されたのは、バランス・オブ・パワーの働きによるものではないことになってしまうだろう。バランス・オブ・パワーは道義的コンセンサスなくしては働きえないのか。重要な要素であるとは感じるが、必要不可欠なものであるとは私は思わない。
バランス・オブ・パワーは第二次世界大戦までは働いていただろう。それは構成要素として戦争があったからである。そして、世界帝国の阻止、各国の独立の保持という目的は果たした。しかし、このバランス・オブ・パワーという考え方が正しいとはいえない。それは、バランス・オブ・パワーは決して世界の平和と平等の両立をもたらすものではないからである。その為には、諸国家とは独立した国際機関がもっと働きを強めなければならないだろう。世界の平和と平等の両立を果たせる国際秩序、そのようなものが21世紀の国際関係において必要になってくることは明白である。