「国際政治」モーゲンソー-

   27章 国際統治     6組3番池澤裕子

 

T 序文

 国際統治は平和と秩序が「統合された社会を共通の権威と共通の正義の観念の下に結実させる公的な約束の結果である。」という認識があれば存在する。

したがって、諸主権国家から成る社会において

 ・このような権威をどのようにつくりあげていくか

・このような正義の観念をどのように生みだしていくか

ということは国際統治への試みが解決しようと努めなければならない課題であり、そして

・統治する権威はどこに付与されるのか、あるいは誰が統治するのか

・その統治はいかなる正義の原則によって導かれるのか、あるいはその統治によっ実

 現されるべき共通善の観念は何か。

 ・その統治は、これまでにどの程度まで秩序と平和を維持することができたか。

という三つの問題が国際統治の試みのそれぞれについて問われなければならない。

 

 

U 本論

 神聖同盟

@    歴史

1814年3月9日、ショーモン条約

ナポレオン帝政がフランスに復帰することを防止し、ナポレオン戦争終結後に行なわれた領土的解決を保証することを目的にオーストリア・イギリス・プロシア・ロシアによる20年間の同盟。

1815年9月26日、神聖同盟条約

統治の原則を全く含まない。キリスト教の諸原則に対して、また世界の現実の主権者としての神に対して、すべての支配者が帰依すべきことを宣言。ヨーロッパの精神的統一を再確認したもの。

18151120日、四国同盟

ショーモン条約の規定を再確認し、6条で「会議による統治」「会議外交」の諸原則を規定。神聖同盟という国際統治の基本法を提示した同盟。

という3つの条約に基礎をおいていて、この時代全体の国際関係の象徴となった。

1818年、フランスが四国同盟の第五の加盟国として認められる。

1820年、新神聖同盟

 オーストリア・プロシア・ロシアは「いかなる人民にも国王の権限を制限する権利を認めない」と誓約した。

同年、イギリス外務大臣カスルレーは「他国の国内問題に実力で介入することを目的とす

 る政策には一切加担しない」と表明した。

1822年、ヴェロナ会議失敗

1825年、会議による国際統治が終わる

 結局、四国同盟の第6条によって制定された全面的国際統治のシステムはわずか10年も続かなかった。また、特別問題を解決するための大使会議のシステムの寿命はさらに短かった。

 

A    大国による統治

 神聖同盟の国際統治は大国による統治であった。フリードリヒ・ゲンツは

1814年以来ヨーロッパに確立した均衡の原則、あるいは特定の同盟によってつくられた

平衡錘の原則という一般的連合の原則は、血をもってヨーロッパを包み込んでいた今までの原則にとって代わり、諸国家全部を大国指揮下の連邦に統一した。(要約)」

と神聖同盟の国際統治について記述した。

 大国と小国との区別は、諸国家間の力の極端な相違を示す政治的事実であり,国際政治

の基本的な経験知識のひとつであることはもちろんである。そしてこの区別は、国際政治や国際機構の制度として法的地位における相違をもたらすものである。しかし、この条項は神聖同盟とりわけ新神聖同盟の政策に、それほど目立った影響を与えることなく終わったのである。

 

B    現状の二つの意味

 現状を基礎とする平和の維持、という正義の原則が神聖同盟を指導したといえる。これは1818年の五大国の宣言にも「この同盟の目的は、平和を維持することと、その平和を基礎づけ固定化するための措置を保証すること以外の目的をもってはいない。(要約)」とはっきりと述べられている。しかし、これがなにを意味するのかと追い求めると、きわめて曖昧なものになる。それは、イギリスがナポレオン戦争終了時に存在した政治状況のみに神聖同盟が必要であり、その後は他国への干渉を否定したのに対し、ロシア・オーストリア・プロシア・フランスの目的は、1815年の領土的現状と絶対君主制の憲法上の現状とを世界のいたるところで維持することであった。そのためには、絶対君主制の機構が危機に陥っていると思われるすべての国家の国内問題への干渉とならざるをえなかったのである。

 

 

C    平和、秩序、およびナショナル・インタレスト

 神聖同盟のこのような行動から

・干渉する国はこれらの事態のいずれにおいても深刻な戦争の脅威がない。

・あらゆる国家は、そのナショナル・インタレスト(自分たちの国のためになること)に

 よって政策を決定した。

という二つの事実が明らかになる。

 なお一層重要なことは、特定国のナショナル・インタレストと神聖同盟の一般原則が衝突するときはいつも、前者が後者に対して勝利を得ているということである。神聖同盟の諸原則はイデオロギー的性格をもっていて、ナショナル・インタレストによって導かれた政策に道義的な正当化をほどこすことができると思われるときに発動された。これらの諸原則は、それを発動してもナショナル・インタレストに何ら寄与しないとなれば、しりぞけられたのである。

 神聖同盟は、国際平和の維持に何ら寄与するところのない短命な試みであった。1818年にフリードリヒ・ゲンツは、神聖同盟の弱点を次のように明確に指摘している。

「多用な諸利益、敵対的な諸傾向、矛盾した予言や見解および秘密の思想は、ひとつの連盟の共同行動の中に取り込まれ埋もれている。様々な状況、利益、および意見が存在するがゆえに、多数の独立国がつねに対立と闘争に導かれるのである。いずれの国も、それ独自の性格と行動計画を必ず持っているからである。」

 神聖同盟の早期崩壊を避けがたいものにしたのは

・現状の防衛とは具体的な政治用語で何を意味しているか、に神聖同盟の二つの主要加盟

 国間に決定的な対立。

・ロシア・プロシア・オーストリアの政府が具体的政治行動の指針として同意した正義の

 原則と、神聖同盟の支配下に生活する大多数の個人が信奉する正義の原則との間の著し

 い相違。

という神聖同盟本来の二つの弱点のためである。そのため、神聖同盟はその一部の加盟国や、その支配に服する諸国民の反抗に抗して広まることはできなかった。

 

D    ヨーロッパ協調

 神聖同盟から国際連盟までの時代に、大国の協力的行動によって国際問題を解決しよう

とする特別の試みがなかったわけではない。しかし、このヨーロッパ協調は

・制度化されず、定期的に会合するということについて大国間の合意はなかった。

・対立を消滅させ、共通の判断と行動基準を提供できるような強い道義的コンセンサスに

 よって活気づけられる、というようなことはもはやなかった。ナショナリズムと正統主

 義との間の割れ目は、19世紀をつうじて開かれたままであった。

という二つの点で純粋な国際統治とはちがっていた。

 にもかかわらず、ヨーロッパ協調は存在した90年間の間、一般的平和を保持するということでは最もうまくいっていた。というのも歴史上のこの時期に、卓越した外交官や政治家が相ついで輩出したからである。

 

 

 国際連盟

 第一次世界大戦の終了とともに、国際統治の歴史に新しい時代が始まった。国際連盟は

その任務において神聖同盟と非常に多くの類似点を示しているが、その組織において根本的に新しいものであった。

 

@組織

 国際連盟は、神聖同盟とは対照的に、それ自身、法人格、事務官および諸機関をもつ真の組織であった。その政治機関には、すべての加盟国の代表で構成された総会、常任理事国と非常任理事国という二つの種類の構成国から成っていた理事会、常設事務局があった。

総会においても理事会においても各国家は一票をもち、戦争の防止に関する決定を含めてすべての政治的決定は、出席しているすべての加盟国の全会一致を必要とした。

 大国・小国間の力の配分からみて重要なことは、その数うえの関係ではなくて、理事会における大国の常任理事国という資格である。ほとんどすべての中小国は、経済的、軍事的、政治的に大国の支持に依存している。理事会において、大国は小国に対して自分たちの助言に留意してほしいとほのめかせば、これら小国は大国に逆らって票を投ずるまずないであろう。こうして、いずれの大国も連盟の中小加盟国の多くの投票を支配した。

 連盟総会は平和維持措置のような政治問題についても、拘束力のある決定を与える権能をもっていたため、中小国の代表も総会においては指導力を発揮し、影響を及ぼすことができた。

 しかし、この指導力も大国の死活的利益がかかわり始めると停止した。連盟の重大な危機には、大国の指導力がものをいうことになった。小国は近代以前ないし以後のいかなる時期におけるよりも、影響力行使と自立的行動の機会を多くもつことになったが、国際連盟の国際統治は、少なくとも高度の政治の領域では大国の統治であった。

 

A現状の二つの意味―フランス対イギリス

 1919年の現状の基礎には

・ドイツが永久に戦争をする能力をもたないこと。

・民族自決の原則。

という二つの原則があった。しかし、連盟の政策に主として責任を持っているイギリスとフランスは、初めからそれぞれ異なる方法で解釈し、異なる政策を作成しようとした。

 しかし、考え方や政策におけるイギリスとフランスの間の衝突は、イギリスとロシアの間の衝突が神聖同盟を破滅させたように国際連盟を破滅させるということはなかった。

連盟の政治活動は少しずつ活動不能に導かれ、イギリスの考え方が中心になったのである。

フランスの優位の範囲は、20年代中期にドイツの力の成長(ヒットラーの権力)に比例して、速度を増しながら収縮していった。そして20年代中期には国際連盟内の政策についてイギリスの指導に追随しはじめ、30年代にはそれ以外に選ぶ道は完全になくなった。このようにして、イギリスの考え方と政策が国際連盟の統治活動にその痕跡をとどめることになったのである。

 

B国際連盟の三つの弱点

重要な統治機能を果たさなかったわけではないが、国際秩序の維持、および平和の維持ないし回復ということに直面すると、連盟はその加盟国のうちの大国の利益が影響をうけないときとか、あるいは加盟国のうちで最も影響のある諸国家の共通利益がそれを要求すると考えられるようなまれな場合にしか統治しなかったのである。

 国際連盟は、主要な戦争を防止せず、国際秩序の維持にも役に立たなかった。この失敗の理由は三つあるといえる。

 

@基本法上の弱点

  国際連盟規約は、戦争自体を非合法化しなかった。連盟加盟国はある一定の条件が

 かけるときには戦争をすることを認められたのである。

  「規約は戦争が国際紛争のひとつの解決方法、しかも通常の解決方法であるという

 を暗黙のうちに認めることになった。」とジャーン・レーは述べている。連盟国がた

 とえ規約の条項に従って行動していたとしても、連盟の基本法のなかに、ある種の戦

 争の防止のための、さらには他の種の戦争の合法化のための道具をみいだしたにちが

 いないのである。

 

A構造上の弱点

  この弱点はその管轄の下で起こった戦争を防止できなかったことと直接関連してい

 た。というのも、連盟内の力の配分と世界全体における力の配分とのくいちがいにあ

 ったのである。連盟の構造は、国際政治の主要因もはや著しくヨーロッパ的でなくな

 った時期に、すぐれてヨーロッパ的であった。

  国際の秩序と平和の維持を主な目的とする国際組織は、世界のあらゆる国がそこに

 所属するという意味において普遍的である必要はない。しかし、国際組織は、世界平

 和を最も防げやすいすべての強国がその管轄下にあるといういみにおいて普遍的でな

 ければならない。幾つかの大国が加盟し、アメリカなど他の大国が加盟しなかったこ

 とによって、連盟は世界的規模で平和を維持することについては無力になってしまっ

 たのである。

  大国の加盟についてこのように普遍性がなかったことはまた、両大戦間にイギリス

 とフランスの政策が失敗した理由の根底を示している。両国の政策は、時代錯誤のも

 のであったのだ。フランス体外政策はロシアとの結束にとりつかれ、新しい国際状況

 の論理に従うことができなかったし、イギリス体外政策は「光栄ある孤立」を続ける

 ことができなかった。

  国際統治を指導する諸国が世界における現実の力の配分に全く一致しないような政

 策を追求するようでは、国際統治の可能性がないことは疑う余地もない。

 

B政治上の弱点

  大国が追求したさまざまなナショナル・インタレストは、現状という立場から国際

 連盟が定義した正義の諸原則に優先した。国際連盟は初めは前途有望であったが、

 その後はフランスとイギリスの間の紛争だけでなく、大国の個別的な、そして全体と

 して敵対的な政策によって、連盟は非常に重要な諸問題について集団的行動をとるこ

 とができなくなったのである。

  国際連盟の戦争防止能力は全会一致の原則にあった。連盟のいずれの加盟国も、紛

 争当事国を除いて、ある行動をとる動議に反対投票することによって決定を拒否する

 ことができた。けれどもこういった抽象的な正義の原則は共通の判断基準や共同行動

 の指針を提供するにはほど遠かった。

  したがって、国際の秩序と平和を維持する能力がないことの不可避的結果として、

 主権国家の倫理と政策が、国際連盟による国際統治の道義的、政治的目標に優越する

 ようになってしまったのである。

 

 

V 結論

・私は全般的に、経済的要因に対してももっと重点をおくべきではないかと考えた。例えば、新神聖同盟の絶対君主制による干渉政策をイギリスが拒否した理由について、モーゲンソ―はバランス・オブ・パワーを守るためと述べているが、この時代にはラテンアメリカでも独立運動がさかんであり、ヨーロッパの本国に気兼ねなく貿易できる新しい経済市場を求めて独立を支持し、干渉に否定的だったという補足が必要に思う。

 

・モーゲンソ―は四国同盟を神聖同盟政策の一部として考えているが、厳密に言うと神聖同盟とは別のものだと私は考えた。というのも神聖同盟はロシアのアレクサンドル1世が提唱した精神面の同盟であるのに対し、四国同盟はイギリスの外務大臣カスルレーが創建の中心となった軍事同盟であるからである。