第2章   国際政治の科学

2組15番小俣健一

 

 

一、概論

@    国家間の政治関係を決定する諸力を見出してそれを理解すること。

A    国家間の政治関係を決定する諸力がどのように相互作用しどのように国際政治の関係や制度に影響を及ぼすのか理解すること。

(国際政治を理解するためには、上の目的を自明の事と見なすわけにはいかない。)

 

二、本論

@、国際政治研究のアプローチ

       グレーソン・カーク博士のアメリカの国際政治研究によると、アメリカは3つのアプローチによって支配されてきた。以下分類すると、

@       国際関係を単に最近史として見なしてきた歴史家

データ量の不十分さゆえ不利な立場へ

A          国際法学者グループ  

        ↓

国家間の法的結びつきが絶えず不十分かつ不完全である

根本理由の探索はなかった。

B        完璧なシステムを扱う理想主義者

               ↓

国家の対外政策を決定する諸力を理解するため世界政治を動かす基本

的かつ持続的な諸力及びこれらを吟味するようになった。                   

『 K.J.ホルスティのアプローチ』

@    伝統的なアプローチであって、国際機構や国際法の分析中心とする人々       

アプローチは法律制度と政治の相互作用に特に関心を持ち、改善策 

を提示することに努めている。

A     安全保障政策の研究を中心課題とする人々

ゲーム論、シミュレーションなどといった新しい方法論が

歴史的アプローチとともに用いられる。

 

 

 

 

B 国際関係の主たる分析レベルを各国の政治行動に置き、そのパターン化に努める。

国家及びその他のアクターの政治行動に関する変数を抽質し、その間の関係を明らかにし、さらにパターンや法則性を発見することによって未来をも予想しようとするものであえる。

C      「平和研究」と言われているもの。

このグループは戦争と平和の問題に特に関心を持ち、このテーマを科学的かつ体系的に分析するために新しい方法論を採用する。理念としては理念主義的であるが、方法論しては科学的なところが特徴である。

  

  日本では、第一は国際法学会、第二は防衛学会、第三は国際政治学会、第四は平和学会がそれぞれのアプローチの方向を濃厚に示しているようである。

 

E.マーティン博士

「国際関係論を研究する者が直面する問題、すなわち相対立する二つの領域へと進んでいく場合直面する二元論、

  @)紛争の調整に関する平和の制度の領域

  A)権力政治及び戦争の領域      の存在。

  権力政治とその意味、及びその権力政治から生まれる諸状況を研究する主体でなければならず、また、戦争の制度を研究する当事者でなければならない。」

 

       国際政治学がこのような観点から定義されるなら、それは最近史や時事問題、国際法や政治的改革とは別個のものになる。

 

国際政治学は、 @重心が常に移動する。

        A展望が変転する現代的状況に取り囲まれている。  

よって、@)最近の出来事と過去との相互連関

    A)上の両方の基底にある人間性の永続的な特質による基本原理に専心

することによって立脚すべき堅固な基盤、評価の客観的基準を発見できる。

       国際政治を改革しようとする試み

ウィリアム.G.サムナー

「政治の議論における最悪の欠陥は、あるがままの書物、あるがままの人間性を的確に吟味せずに重要な原理や仮説に依拠する、あの教条主義である。・・・広く普及している教義にとびつく方が、その真偽を知ろうとしてそれを分析するよりも楽である。このようなことは全て混乱を招き常套句と許すこととなり、また、多くの論争を持ち込むわりには国家の繁栄にあまりやくだたないのである。」

 

 

 

『教条主義』

 これは【経験主義】とは対になる言葉である。一般原則を個々の事情に適用して考える時、その個々の事例の特殊性を評価して一般原則を十分に考慮しない態度を【経験主義】と呼ぶ。毛沢東の有名な【調査なくして発言権なし】という言葉は、教条主義を威める言葉である。    

 


A、=理解の限界=

国際政治の本性と様式についての理論的研究が直面する最も侮りがたい難点、素材の曖昧さである。

 @)独自性 [類例のないこと。後にも先にもたった一度きり起こったもの。]

 A)類似性 [人間性の機能の結果である、社会的諸力の表現であるがゆえに相互に類似。]

 類似性と独自性の間のどこに線が引かれるか?

モンテーニュ「経験から引き出される相対関係は常に不備不安である。」

類似性と独自性

法則は重宝だが解釈には常に対処しなければならない。

    以下、この政治状況はそれ以前の状況と比べてどのように類似し、相違するか具体例を用いて考察していきたい。

T.アメリカの対外政策

 [ワシントンの告別演説とモンローの教書に見られる対外政策はトルーマン・ドクトリンと矛盾しないであろうか?また、トルーマン・ドクトリンはアメリカ対外政策かの伝統から根本的に逸脱しているだろうか?]

 

 『初代大統領G・ワシントンは、党派的にはフェデラリスツに属していたが、自らの大統領三選出馬を辞退することを決意するとともに、九六年九月いわゆる『告別の辞』(Farewell   Address)を発表し、国民に熟慮と反省とを訴えた。彼はそこで、国内政治について、諸州の結合と連邦強化とを説き、こうして政党による分裂・対立と紛争とを避けるように呼びかけた。次に彼は、外交問題について、イギリスとのジェイ条約と九五年スペインとの条約に言及した後、アメリカの利害とヨーロッパの利害との大きな相違を強調し、大西洋によってヨーロッパと隔てられているアメリカの地理的位置に着目して、ヨーロッパ諸国との同盟関係をもつことを避けるのがアメリカ外交の原則であるべきことを説いたのであった。※』

  ※『告別の辞』は、ワシントンがその骨子を書き、ハミルトンが推敲したといわれる。また、このアドレスを往々【演説】と訳すが、これは九月十七日の【アメリカン・デイリー・アドヴァタイザー】紙に掲載されたもので、演説されたものではない。さて、本文に記した最後の部分は次のように述べられた。

   『・・・・・ヨーロッパは一連の重要な利害関係を持っているが、それは我々にまったく無関係か関係があっても非常に薄いものでしかない。また、ヨーロッパは覇権争いに巻き込まれるが、その争いの原因が本質的に我々の利害と関係ないものである。・・・・・我々の隔絶した位置は、我々がヨーロッパと異なった道をとるよう示しており、またそれを可能にしている。・・・・・何故に、このような特有の位置という利益を棄てる必要があるのか。何故に、自国の有利な地歩を棄てて、外へのり出すのか。・・・・・』

    このワシントンの【告別の辞】は、多くの国民に示唆と感銘とを与えるとともに、以後においてアメリカの伝統外交政策の一つとなった対欧孤立主義(Isolationism)

   の礎を置いたものといえる。

    そして、アメリカとヨーロッパとの隔絶という考えは、この後、一八二三年モンロー大統領により宣明されたモンロー主義にも包含されていった。※

 

※モンロー主義の宣言

『・・・大統領モンローは、二三年一二月の議会宛年次教書において、アメリカが

 ヨーロッパに不介入の態度をもってきたしまたもつことを述べた後、ヨーロッパ諸国の政治組織とアメリカの政治組織とは本質的に異なるとし、ヨーロッパの政治組織を西半球に拡張しようとする(干渉をいう)ことはアメリカの平和と安全とに危険であり、干渉をアメリカに対する【非友好的意向の表明としか見ることはできない。】と述べた。この主張を非干渉(Non-intervention)の主張と言う。なお、アメリカ政府は、イギリス政府の協同提案に対しては、目的を効果的に達成するため各自別個の行動をとる旨を通告していた。』

以上のように、ワシントンの告別演説とモンロー主義を考察するとヨーロッパに対して非干渉という立場をとっていることに類似するところがある。次に、この二つの対外政策と比較するべきトルーマン・ドクトリンについて考察していきたい。

☆トルーマン・ドクトリン

   『・・・外での米ソ協調の願いも現実の対立事件に次々に崩されて、米ソ間係が【冷たい戦争】さて、トルーマン政府は、四七年三月に至って、イギリス政府のギリシア・トルコ援助打ち切り通告を契機として、アメリカの両国への援助肩代わりを決意して四億ドル支出を議会に訴えた。そのとき、トルーマンは、争点を自由と全体主義との二つの生活方式間のイデオロギー対立として描き、【・・・・・武装した少数者による、また外からの圧力による、企図された征服行動に抵抗しつつある自由な人々を支援するというのが、合衆国の政策でなければならない】と主張した。彼は、ギリシア・トルコの状勢を一般化して、全世界に渡っての【自由な人々】への支援と拡散して訴えた。また彼は、自由への脅威を懸念するアメリカ国民にその脅威を抽象的に訴えようとしたのであった。こうして、ソビエトに対しいわゆる【封じ込め政策】をとることにになっていた。また、トルーマンの前述した政策をトルーマン・ドクトリン※と呼ぶ。

   ・・・トルーマン・ドクトリンに表明された、ソビエト勢力の圧迫に抵抗するものを全世界にわたってアメリカが援助するとの外交方針は、やがて全世界にわたってソビエト勢力の拡大に対し抵抗し封じ込めようとするいわゆる【封じ込め政策】をアメリカ政府が採用することになった。』

 

  ※トルーマン・ドクトリン 

   『東欧諸国の共産主義進行し、ソ連の勢力圏拡大がギリシア、トルコにまで及ぼうとした時、ルーズベルトの後を受け継いだトル-マン米大統領は、両国を共産主義の侵略から守るために経済的援助を与える【トルーマン・ドクトリン】を発表し(一九四七年三月)、共産主義勢力の【封じ込め政策】(containment policy, politique delendiguement )とりました。』

 

  ◎以上のようにアメリカの対外政策を考察すると、外交政策においても類似点と相違点がある。まず、初めにワシントンの告別演説とモンロー主義の類似点は、ヨーロッパに対する干渉度であろう。つまり、【対欧孤立主義】という政策である。しかしこの二つの政策と一九四六年のトルーマン・ドクトリンでは、明らかに矛盾点がある。先の二つの事例では、ヨーロッパ諸国に対して同盟関係を避けるのがアメリカ外交の原則であることとなっているのに、トルーマン・ドクトリンではヨーロッパに対して積極的に外交しているようにである。

 

U、イギリスの対外政策

   「ヘンリー八世は、一五一二年フランスに対抗してハプスブルク家と同盟した。彼は、一五一五年にはハプスブルク家に反対してフランスと同盟関係に入った。一五二二年と一五四二年には、彼はフランスに抗してハプスブルク家にくみした。一七五六年にイギリスは、ハプスブルク家とフランスを向こうにまわしてプロシアと同盟した。一七九三年には、イギリス、プロシア、およびハプスブルク家は、ナポレオンを阻止するために同盟した。イギリスは一九一四年、オーストリアとドイツに反対してフランスおよびロシアと合流し、一九三九年には、ドイツに対抗してフランスおよびポーランドと提携した。」

  類似点⇒イギリス対外政策によるおける変化=英知

   

V、ウィルヘルム二世、ヒトラー、ナポレオンのケース

  「ヨーロッパ大陸を征服しようとして失敗。・・・歴史は誤った類推以外の何ものも教えてはくれなかった。このような人間が自分たちの国の対外政策に責任をもつとき、彼らは不幸を引き起こすだけであった。ウィルハム二世もヒトラーも、ナポレオンの運命から何も学ばなかった。なぜなら彼は、ナポレオンの運命が何の教訓にもならないと考えたからである。ワシントンの忠告を、奴隷のように遵守すべきひとつの教義に仕立てあげた人びとそれを完全に忘れてしまう人々と同様に誤りを犯してきたのである。」

  類似点⇒3人共に過去の経験を顧みなかった点。

 

 

 

 

 

 W、ミュンへン和解

  『ドイツは一九三八年、ベルサイユ条約を無視して、かねてドイツの一州とみなしていたオーストリアを併合、豊富な鉄鉱石・油田・金属工業・蓄積外貨などを手に入れたが、英仏はこれを黙認した。オーストリア人の多くもこれを歓迎したことに、ベルサイユ体制の矛盾があらわれていた。ヒトラーの次の目標はチェコであった。住民の大多数がドイツ人であるズデーデン地方は、かねて自治獲得を求めていた。ヒトラーはこの地方の割譲を要求、ドイツ軍を国境に終結させた。一九三八年、ヒトラー、ムッソリーニ、チェンバレン英首相、ダラディエ仏首相によりミュンヘン会談が開かれた。会議へも招かれず国際連盟への提訴もできないまま、チェコは英国の崩壊をまねきかねない戦乱の再発を警戒し、ドイツ抑制を望むフランスに同調しなかった。イギリスの国防支出はドイツの三分の一以下で、ドイツに対抗する力はなかった。むしろ、大陸制覇をめざすドイツと手を結ぶことに利益を見出したイギリスは、再軍備を承認するかわりにドイツ軍の海軍力をイギリスの三五%に抑制することで合意し、ドイツの潜水艦保持さえ認めた。イギリスは、また、ドイツの東欧進出を認めるいっぽいう、英植民地に手を出さないとの保障を求め、英独不可侵条約締結の可能性すら打診していた。頻繁に政権交代を経験したフランスも、一九三八年の国民所得が一八%も低下するなど、軍備拡充を支える経済力をもたず、米英からの援助や英海軍力、国境沿いの防衛線(マジノ線)が頼みの綱であった。・・・』

「・・・当時、ステーツマンシップの偉大な行為としてまた一人よがりの征服者に対する平和のための譲歩。」=判断の誤り

 X、核問題

「核戦争とは規模においてより一層大きいいまひとつの別種の暴力にすぎない。自分たちの一部が、少なくとも核戦争から生き残ることができるような措置を講ずるなら、その核戦争は在来型の戦争よりもはるかに恐ろしいものになるが、必ずしも耐えられないものではないということになる。・・・核戦争論のなかにみられる要因は、その徹底した不確実性ということである。しかもこの不確実性は、国内政治および国際政治の分野におけるあらゆるレベルの理論的分析と予言に特有のである。たとえ人が殺戮や物質的破壊、それに物質的復旧の速度に関するその見積もりをすべて認めたとしても、この理論は、核戦争もたらすにちがいない、この種の人的・物的荒廃に対する人間の反応については曖昧にならざるをえないのである。」

 「・・・われわれは人間の反応の尺度におけるその限界点の正確な位置付けを理論的に知ることはできない。われわれは残された方法は直感であり、それは経験によって確かめられるかもしれないし、確かめられないかもしれない。」

 

 

 

 

国際政治の研究者が学ばなければならない教訓

 ○国際事象が複雑なために単純な解決や信頼できる予言が不可能になる。国家間の政治を決定する諸力を知ることによって、そしてこれら国家間の関係がどのように展開するかを理解することによって、国際政治の諸事実がいかに曖昧であるかが明らかになる。

 したがって、研究者にせいぜいできることは、ある国際的状況のなかに潜在力として内在するいろいろな傾向を突きとめることである。彼は、ある傾向を別の傾向よりも広がりやすくしている諸条件をいろいろ指摘することができるし、また最終的には、いろいろな条件や傾向が実際に広がるその可能性を評価することができるのである。

 

具体例

T、一七七六年ワシントンの独立戦争終焉の予言

U、一七九二年イギリス首相ピットのヨーロッパの平和宣言

V、一八七〇年英外務大臣の平和宣言

W、一九一七年レーニンのロシア革命の予言

 これら全ての予言が外れている。偉大な政治家ですらできないのに、一般の人々に予言などできようか?

※「国際事象における予言の不正確さは、来たるべき次の戦争の本性を

  予見しようとして犯した、専門家たちの気紛れな誤りからも明らか

である。マキアベリからJ.F.C.フラー将軍に至るまでのこれ

ら予見の歴史は、それ自体もっともらしい論理的推論の歴史であり

しかもそれは、実際の歴史的発展のなかにみられる偶発的事象とは

何の関係もないものであった。たとえば、一九二三年にフラー将軍

は、第二次世界大戦の決定的な武器はガスであろう!と予見したの

である。」

V、結論

B、国際平和問題の理解

  政治の研究はどれも、それが知識と行動を分離させてそれ自身のために知識を探求することができる、という意味で、決してないがしろにされることはない。そして、国際政治はもはや一連の付随的な出来事ではない。アメリカでは国際政治は歴史の大半を通じて付随的なものであり、国内政治によって一層深く影響された。しかし、アメリカにおける国内政治と国際政治の相対的重要性は完全に逆転した。モンロー主義などの【孤立主義】により大陸的要塞の囲いの中にいたのに、バランス・オブ・パワーと結びついていまや政治世界のあらゆるものを友かさもなければ敵として扱い、他国から恐れられると同時に他国を恐れるようになったのである。そして、政治構造における三重の革命、世界規模の二極システム、政治世界の道義的まとまりの競争化、近代テクノロジーの総力戦化においてだけでなく核問題の不条理化、不確実性にまで戦争に固有の危険性は増大した。それだけに、アメリカにとって国際政治を形成する諸力と国際政治進路を決定する諸要因を理解することは必要な問題となった。すなわち、平和維持こそあらゆる国家の最大の関心事となったのである。

 

  力と平和の二つの概念は破壊力の空前の蓄積が平和の問題にいまだかつてない緊張感を与えている時代にあって、世界政治に関する議論の中核となっている。そして力をえようとしていう主権国家の切なる望みがその駆動力となっている世界では、バランス・オブ・パワー、また国際法、国際道義、および世界世論という形でのみ維持される。しかし、いずれの装置も権力闘争をいつまでも平和的な枠組みの中にとどめていけそうにはない。であるがゆえに、以下の設問、論点が挙がる。

 @国際平和の維持という現下の最も重要な提案はどんな価値をもっているのか?

 A諸主権国家から成る国際社会を、世界国家のような超国家的組織へと変えていくという提案はどんな価値をもっているか?

 B過去の教訓を心にとめて、それを現代の諸問題に適用させようとする行動計画はどんな問題でなければならないか?

《意見》

   二十一世紀の世界は、あまりにも残酷な形で幕を開けた。未曾有の国際テロがアメリカそのものにむけられ、【聖戦】と【正戦】の名のもとに暴力が国際政治に大きな影を落としている。主権国家体系、アメリカの覇権、冷戦などの二極化など従来の変動が重層的に展開される中、新たな世界秩序、平和維持への問題は多い。冷戦後、唯一の超大国となったアメリカが単独主義に傾斜したことで、中ロの戦略的接近、米欧摩擦、米中の緊張などが表面化した。また、アメリカ主導のグローバル化の影の部分への反動も世界的な広がりを見せ始めた。【反グローバル化】は、さまざまな不満を吸い上げて、新たな社会運動を起こしている。イスラム原理主義はこうしたグローバル化の産物でもある。一九九三年、ハンチントンによって提唱された『文明の衝突』にある、平和維持の唯一の道は文明圏の割拠のみという提言できるものではなく、政治、経済的、文化的な剥奪間を生み出す構造が問題なのである。主権国家を超えるガバナンスの確立こそが国際安全保障の中心課題に他ならない。国家・国際機構・NGOの間の新たなバランスが求められる。そして、一九九八年のイランのハタミ大統領の【文明の対話】の様な世界共通の徹底的な対話が必要ではないか?また、そうをしなければ、国家を超越した超国家などありえるのであろうか?平和維持という政治的、経済的、文化的価値観を払拭した平等ある世界観が重要に思える。

 

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

≪参考文献≫

『世界の外交』(サイマル出版、1994、武田龍夫)

『名著に学ぶ国際関係論』(宇斐閣コンパクト、1999、花井等)

『国際関係論』(東洋経済新報社、1978、花井等)

『国際関係論』(ミネルバ書房、1996、広岡隆)

『20世紀の国際政治《二度の世界大戦から冷戦の終焉まで》』(同文舘出版、1992、松岡完)

『現代用語の基礎知識』(自由国民社、二〇〇二)