第五章 権力闘争―帝国主義
12組3番 池上 弘之
T序文
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モーゲンソーは、政治は全て国内政治であれ国際政治であれ次の三つのパターンを示すと言う。第一は力の維持、第二は力の増大、第三は力の誇示である。これは国際政治の場では第一は力を保持しようとはするが決して力の配分を自分に有利に変えようとするものではなく、現状維持政策となる。第二は現存の力関係を逆転させることにより現に持っている以上の力を獲得すること、対外政策によって力の状況の中で自国に有利な変更を求めることを目指す帝国主義政策となる。第三は現に有する力を対外政策で誇示しながら力の維持あるいは増大を目指す威信政策となる。第五章では、帝国主義でないもの、帝国主義の経済理論、帝国主義の誘因、帝国主義の目標、帝国主義の方法、そして帝国主義政策を見破りそれに対抗する方法、また帝国主義を見破ることの難しさについて書かれている。
U本論
@今日「帝国主義」や「帝国主義的」という言葉は、この言葉を使うものがたまたま反対している対外政策のどんなものに対しても、その実際の性格に関係なく、この言葉は使われるようになった。イギリス嫌いは、1940年に、あるいは1914年においてそうしたように、1970年のひとつの現実を指してイギリス帝国主義というだろう。ロシア嫌いは、ロシアが対外問題に関して行なうことは何であれ、それを帝国主義と呼ぶだろう。ソ連は、1941年にドイツの攻撃を受けるまで、第二次世界大戦の参戦国すべてを指して帝国主義戦争を行っていると称していた。したがって、その後ソ連が行なった戦争は、反帝国主義戦争と定義されなければならなかった。どこにおいても、アメリカの敵やその批判者にとって、「アメリカ帝国主義」という言葉は常套文句となっている。さらにある種の経済システムや政治システム、また銀行家、実業家のような経済集団までもが、簡単に帝国主義的対外政策と同一視されるようになったということが、こうした混乱に輪をかけている。「帝国主義」という言葉はこのようにみさかいなく使用されていくうちに、すべて具体的な意味を失ってしまった。たまたまその対外政策に異議を唱えるものからすれば、みんな帝国主義者になってしまうのである。このような状況の下では、この言葉の通俗的な使用法とは縁を絶ち、この言葉に、国際政治の理論と実践に同時に役立つような、倫理的に中立で、客観的かつ明確な意味を与えることが理論家の研究課題となる。
A
帝国主義とは実際何であるかを問う前に、まず帝国主義でないのに帝国主義だとつねにみなされているものについて問いだしておかなければならない。注意をひくのは、さしあたり次の三つの最も一般的な誤解である。
B
一国の力の増大を目指す対外政策のすべてが必ずしも帝国主義のあらわれというわけではない。帝国主義とは、現状の打破、すなわち二国ないしそれ以上の国家間の力関係の逆転を目的とする政策である。力関係の本質を損なわず、その調整だけを追求する政策は、なお現状維持政策の一般的な枠組みのなかで機能しているといえる。帝国主義と、力のあらゆる意図的な増大とが同じものであるという見解は、主として二つの異なるグループによってとられている。イギリス嫌いとか、ロシア嫌いとか、反アメリカ派のように、ある特定の国家とその政策に主義の上から反対する人たちは、自らが抱いている恐怖の対象の存在そのものを、世界に対する脅威とみなすのである。それゆえ、このように恐れられている国家が力を増大しはじめるたびに、その国に恐れを感じている人々は、この力の増大が世界征服への踏み台になるとみなすにちがいないのである。それは帝国主義政策のあらわれにほかならない、というわけである。他方、どんな積極的な対外政策であれ、これをいずれ消滅させなければならぬ悪だとみなす人々は、力の増大を求める対外政策を非難するだろう。十九世紀の政治哲学の継承者はそのような人々であった。彼らは、このような対外政策と、彼らが悪の典型とみなす帝国主義とを同一視するのである。
C
すでに存在する帝国の保持を目的とした対外政策は、必ずしも帝国主義ではない。ところが、イギリス、中国、ソ連、あるいはアメリカなどの国家が、ある地域でその優越的立場を維持するために行動すれば、それらは何もかも帝国主義的だと一般にみられがちである。その結果、帝国主義は帝国が構築されるその動的過程よりも、むしろすでに存在する帝国の維持、防衛、安定と同一視されるようになってしまった。しかし、「帝国主義」という言葉は既存の帝国の国内政策に使われる分には意味があるかもしれないが、それを本質的に静的で、保守的な性格の国際政策に適用することは、混乱を招くばかりか誤ってもいるのである。なぜなら、国際政治の場合に、帝国主義は現状維持政策と対照をなし、したがってそこには動的な意味が含まれているからである。
D
大英帝国は植民地帝国であり、その限りで近代的帝国の原型となった。この結果、もっぱらというわけではないが、もともと経済的意味を含んでいたという事実が、近代帝国主義を説明するさいに最も広く、最も体系的で、しかも最も人気のある思想体系、すなわち帝国主義の経済理論を生み出したのである。この理論には、帝国主義の真の性格を曖昧にする誤解が含まれている。これが三番目の誤解である。
E
帝国主義の経済理論は、三つの異なった学派をとおして発展してきた。マルクス主義、自由主義、それにいみじくも帝国主義の「悪魔」理論と呼ばれてきたものがそれである。マルクス主義の帝国主義論は、すべてのマルクス主義思想の根底にある確信、つまりあらゆる政治現象は経済的諸力の反映であるという確信にその基礎をおいている。したがって、帝国主義の政治現象は、その源である経済システムすなわち資本主義の産物にほかならない。マルクス主義論によれば、資本主義社会はその生産物のための十分な市場と、その資本のための十分な投資対象とをこの社会自体の内部にみいだすことはできない。したがって、資本主義社会には、その余剰生産物のための市場と余剰資本の投資の機会とを得るために、より大きな非資本主義的地域や、ついには資本主義地域までをもみずからの支配下におこうとする傾向がある。カウツキーやヒルファーディングなどの穏健なマルクス主義者は、帝国主義は資本主義の一政策であり、それゆえ帝国主義的政策は選択の問題であると信じていた。他方、レーニンとその後継者、とくにブハーリンは、帝国主義と資本主義とを完全に同一視した。帝国主義は資本主義発展段階の最後の段階、すなわち独占資本主義と同一視されている。マルクス主義者からみれば、資本主義が主要な悪なのであり、帝国主義は、その必然的あるいは蓋然的なあらわれにすぎない。これに対して、ジョン・A・ホブソンに代表される自由主義学派は、おもに帝国主義に関心を寄せているが、彼らは帝国主義を資本主義そのものの結果としてではなく、資本主義体制の内部におけるある種の不適応現象であるとみなした。自由主義学派は、マルクス主義と同様、外国市場にはけ口を求めようとする余剰商品と余剰資本が帝国主義の根源だと分析する。だがホブソンとその学派によれば、帝国主義的拡張は避けがたいものではないし、またこれらの余剰を処理する最も合理的な方法ですらない。この余剰は購買力の不適性配分の結果生まれるものであるから、その解決策は、購買力の増大や過剰貯蓄の排除などの経済改革による、本国市場の拡大のなかにみいだされる。こうした国内対策が帝国主義にとって代わる方法だとする彼らの信念は、自由主義学派をマルクス主義から区別する主要な点となるのである。帝国主義の「悪魔」理論は、平和主義者によって広く採用されており、また共産主義者の宣伝の常套手段にもなっている。この理論は、軍需品製造業者、国際金融業者など、明らかに戦争で利益を得ている幾つかの集団を同一視している。彼らは戦争で利益を得ているから、戦争の勃発に関心をもつにちがいない。したがって、戦争の受益者は、自分自身を豊かにするために戦争を計画する「戦争屋」、「悪魔」に変身するというわけである。極端なマルクス主義者は、資本主義と帝国主義とを同一視し、穏健なマルクス主義者およびホブソン学派は、帝国主義を資本主義内部の不適応現象とみるのに対し、「悪魔」理論の信奉者にとっては、帝国主義および戦争一般は、要するに、悪徳資本家の私的利益のための陰謀以外の何ものでもない、ということになる。
F
帝国主義に関するあらゆる経済学的説明は、洗練されたものも未熟なものも歴史的経験のテストに失敗している。帝国主義の経済的解釈は、幾つかの個別の事例に基づいた、限られた歴史的経験を歴史の普遍的法則に仕立てあげている。確かに十九世紀末から二十世紀にかけて、それだけではないにしろ、経済的目標のために戦われた戦争が幾つかある。しかし資本主義の成熟期のどの時代をとっても、ボーア戦争を別とすれば、もっぱら、あるいは主として、その経済的目標のために大国が関与した戦争というものはなかった。たとえば1866年のオーストリア・プロシア戦争、および1870年のプロシア・フランス戦争には、重要な経済的目標は何もなかった。これらの戦争は政治戦争であり、実際、帝国主義戦争であった。それらは、まずドイツ内部においてプロシアに有利になるように、ついでヨーロッパ国際システム内部においてドイツに有利になるように、新しい力の配分を確立する目的から戦われた。仮に経済的目標を少しでも示しているとするなら、それはただ付随的役割だけである。
G
現状の打破を企図する政策としての帝国主義の真の性格は、一定の典型的な状況を考察することによって最もよく説明できる。すなわち、その典型的な状況とは、帝国主義政策に有利な状況を意味すると同時に、積極的な対外政策に必要な主観的・客観的条件があればほとんどいやおうなく帝国主義政策を生みだすような状況をいうのである。帝国主義の誘因には、戦勝、敗戦、弱さがある。勝利を予想している国家は敗戦国との力関係の変更を恒久化するための政策を追求する。この場合国家は戦争勃発時の目的とは無関係にこの政策を追求するだろう。この政策の目的は、たまたま戦争終了時に存在する戦勝国と敗戦国との間の関係を和平による新しい現状へと変えていくことにある。こうして、防衛戦争の名の下に勝利者の方で開始した戦争は、勝利に近づくにつれ帝国主義戦争、すなわち現状の永久的変更のための戦争に変質していくのである。そして、戦勝国が勝利を見越して追求した帝国主義政策は、逆に敗戦国側の帝国主義政策を呼び起こすことになる。もし敗戦国が永久に没落したわけではなく、また戦勝国のなすがままではないとすれば、敗戦国は失ったものを取り返したいと思うだろうし、できればさらに多くを獲得したいと思うだろう。1935年から第二次世界大戦の終結に至るドイツ帝国主義は、他国の帝国主義の成功に対する反応としての帝国主義の典型的な例であった。帝国主義政策を容易にするもうひとつの典型的な状況は、弱体な国あるいは政治的な真空地帯が存在する場合である。両方とも、強国にとっては魅力があり、また手に入れやすいものである。この状況から植民地帝国主義が成長したのである。それらはまた、初期のアメリカ十三州連合を大陸国家に変えることを可能にした状況でもある。
H
帝国主義が三つの典型的な状況から生まれるように、帝国主義は三つの典型的な目標に向かって進む。帝国主義の目標は、政治的に組織された地球全体の支配、すなわち世界帝国ということであるかもしれないし、あるいは、ほぼ大陸的な広がりをもつ帝国ないしヘゲモニーであるかもしれない。また、厳密に局地化された力の優越ともいえる。いいかえれば、帝国主義政策には、予想される犠牲国の抵抗の度合いに左右されること以外は何の限界もないかもしれないし、あるいは大陸の地理的境界のような、地理的に決定される限界があるかもしれない。さらにそれは、帝国主義自身の局地的目的によって制限を受けるかもしれない。無制限の帝国主義のうち顕著な歴史的事例として、アレキサンダー大王、七、八世紀のアラブ、ナポレオン一世、そしてヒトラーなどの膨張政策が挙げられる。これらはいずれも、合理的な限界を知らず、それ自身の成功を糧とし、もし優勢な実力によって止められなければ政治世界の限界にまでつきすすむような、膨張への衝動を共通にもっている。この衝動は、まさしく節度に欠けており、無制限の帝国主義に特有の、征服可能なものはすべて征服しようとする欲望である。これが過去においては、この種の帝国主義政策破綻のもととなったのである。地理的にその範囲を限定した帝国主義の型は、ヨーロッパ大陸に支配的地位を得ようとしたヨーロッパ列強の政策に最もはっきりと示されている。ルイ十四世、ナポレオン三世、ウィルヘルム二世が、その好例である。十九世紀のアメリカの政策は、北アメリカ大陸の大部分にアメリカの支配を徐々に膨張しようとするものであったが、それは全くとはいえないものの、主として大陸の地理的限界によって決定されている。というのも、アメリカは、カナダとメキシコをその支配下におくことは可能であっても、そうしようとはしなかったからである。この場合、大陸的帝国主義は、みずからを大陸の局地的な部分に制限することによって調整されることになる。局地的帝国主義の原型は、十八、十九世紀の君主政策のなかにみられる。十八世紀には、フリードリヒ大王、ルイ十五世、マリア=テレサ、ピョートル大帝、エカテリーナ二世が、この種の対外政策の推進者であった。十九世紀には、ビスマルクがこのような帝国主義政策をあやつる大家であり、この政策は現状を打破し、みずから選定した範囲内での政治的優勢を確立しようとするものであった。1890年のウィルヘルム二世によるビスマルクの解任は、それまでの局地的帝国主義の終焉を意味し、同時にドイツの対外政策としては、大陸的帝国主義に少なくとも傾斜していく端緒となったのである。
I
帝国主義が典型的な形で生まれる状況との関連で、三つの型の帝国主義があること、またその目標という見地からも三つの型の帝国主義があることをいままで述べてきたが、それと同様に、帝国主義政策に用いられる典型的な方法についても、三つの型に区別されなければならない。つまり、軍事帝国主義、経済帝国主義、文化帝国主義を区別しなければならないのである。帝国主義の目的は常に現状の打破にある。すなわち、帝国主義国とその犠牲者として想定されている国家との間の力関係の逆転がそれである。これは不変の目的であり、軍事的・経済的・文化的手段のいずれかひとつによって、あるいはそれらの結合によって実現される。軍事帝国主義の利点は、軍事的征服に成功した場合、軍事の力以外での新しい力関係は起こらないということである。つまり軍事征服の場合、新しい力関係を起こすには敗戦国は勝ち目がないにもかかわらず再度挑戦するしかないということである。しかし、戦争は勝つこともあれば負けることもあるので、軍事帝国主義は、最も高価なものを賭して行なわれる賭けなのである。経済帝国主義は、軍事帝国主義に比べれば強制的ではないし、一般には効果も少ない。そしてそれは、力を獲得する合理的な方法として存在する近代の産物である。だから、経済帝国主義は、重商主義および資本主義の膨張の時代につきものであった。経済帝国主義に共通の特徴は、一方で帝国主義と他の国家との間の力関係を変更することによって現状を打破しようとしつつ、他方では領土の征服によってではなく経済的統制によってそうしようとする傾向があることである。ある国家が他の国家に対し支配権を確立しようとする場合に、もしその国家の領土を征服することができないとしても、あるいはそうするつもりがないにしても、この領土を統治しているものに対する規制を確立し、それによって、結局は同一の目的を達成しようとすることができる。たとえば、中米諸国はすべて主権国家であるが、経済生活がほとんどアメリカへの輸出に依存しているためにアメリカの反対を招く政策を追求することができない。この経済帝国主義のもつ性質は、他国を支配しそれを維持するうえでは目立たず間接的ではあるが、かなり有効な方法である。文化帝国主義は、領土の征服や経済生活の統制を目的とはしない。その目的は、二国間の力関係を変えるための手段として、人間の心を征服し制御することにある。文化帝国主義が近代において果たしている典型的な役割は、他の方法を補完することにある。それは、敵を軟化させ、軍事的征服や経済的浸透のための下地となるのである。現代の文化帝国主義の顕著な例は、共産主義インターナショナルである。共産主義インターナショナルは、その全盛期にはモスクワから指示を受け、あらゆる国の共産主義政党を指導し統制していた。そして同インターナショナルは、各国の共産主義政党によって追求される諸政策がソ連の対外政策と一致するよう配慮した。共産主義政党がその国民に対するソ連の影響力はその分だけ増大した。また共産主義政党がその政府の支配権を握っているところでは、その共産主義政党を統制しているロシア政府がこの国の政府を支配することになるのである。全体主義政府の文化帝国主義は、よく訓練され高度に組織化されている。なぜなら、これらの政府はその全体主義性格のゆえに、自国の市民や外国の同調者の思想と行動に厳しい統制と指導的な影響力を行使することができるからである。国民文化の普及という形でなされる文化帝国主義は、全体主義的文化帝国主義に比べてみると、機械的で規律あるものではないが、だからといって必ずしも効果が小さいわけではない。後者は何よりもまず政治哲学の親和感を利用するのに対し、前者は外国の有力な知識人グループに対してその文明の魅力的な特性を印象づけ、ついには、これらのグループはその文明の政治目的や方法も同じように魅力的なものと思うようになるのである。
J
政府がその国際活動の全体において経済帝国主義および文化帝国主義に関与する度合いは、第二次世界大戦以降非常に増大した。そうなったのには二つの理由がある。ひとつは、軍事帝国主義を公然と大規模に追求することがもはや対外政策の合理的な手段ではなくなったということである。というもの、軍事帝国主義は、それ自体のうちに自己破滅的な核戦争へエスカレーションする危険性をはらんでいるからである。したがって、力の帝国主義的膨張に専心している国家は、軍事的方法の代わりに経済的・文化的方法を選ぶだろう。もうひとつの理由は、植民地帝国が非常に多くの弱小国家に分解されたということである。それらの多くは、みずからの生存そのものを外部の援助に頼らざるをえないため、経済的・文化的手段によってその力を膨張する機会を帝国主義諸国に新たに開放することになった。こうして、中国、ソ連、アメリカは、いわゆる非同盟第三世界への力の膨張を求めて、あるいは少なくとも他国が力を膨張できないようにする目的で互いに張り合い、経済的・文化的資源を行使するようになる。新興国の弱さが、これらの国にこうした機会を与えるわけであるが、核戦争がわれわれにとって受容できないほどに危険なものであるがゆえに、こうした機会は合理的必要性をもつようになったのである。
K
以上のような考察から、国際問題について直面しなければならない基本的な問題が生まれてくる。この問題は、他国が追求する対外政策の性格に関するものであり、したがってその国に関して採用されるべき対外政策の種類に関するものである。この問題に対する解答がその国民の運命を決定してきたのであり、誤った解答はしばしば致命的危険ないし現実の破壊につながってきた。なぜなら、この解答に基づく対外政策が成功するか否かは、この解答が正しいかどうかにかかっているからである。帝国主義政策と現状維持政策とでは、根本的にその本質が異なっているから、それらに対抗するために企図された政策も、根本的に異なったものでなくてはならない。現存の全体的な力の配分のなかで調整を求める現状維持政策に対しては、ギヴ・アンド・テイクの政策、均衡政策、妥協政策によって処理できる。要するにそれらは、所与の全体的な力の配分のなかで調整技術を駆使する政策であり、最小限の損失で最大限の利益をあげるためのものである。現存の力の配分を打破しようとする帝国主義は、少なくとも封じ込め政策によって対抗されなければならない。これは現存の力の配分を防衛しつつ、帝国主義国の側からなされるなお一層の侵略、膨張、あるいは現状に対する別の侵害を阻止することを企図するものである。要するに封じ込め政策は、帝国主義国に対して、「ここまではよし。だがこれ以上はだめだ。」と伝えることによって、その線を越えて進むことは事実上確実に戦争を招くのだと警告するのである。これに対して宥和政策は、現状維持政策に適した方法で帝国主義の脅威に対処しようとする対外政策である。宥和政策は、帝国主義をそれがあたかも現状維持政策であるかのように取り扱おうとする。宥和政策は、帝国主義政策を現状維持政策と取りちがえてしまう堕落した妥協政策といえる。宥和政策をとるものは、帝国主義国が次々にだしてくる要求の目的を、合理的に限定されたものとみなす。確かにその目的は、それ自体では現状の維持と両立するし、したがってその固有の価値に沿って、あるいは妥協によって処理されなければならないだろう。宥和政策をとるものの誤りは、帝国主義の要求が決してそれだけで独立しているわけでもなければ、また特定の不満から生まれたものでもなく、ついには現状の打破をもたらすに至る鎖の輪のひとつにすぎない、ということを見落としている点にある。法原則ないし道義原則に基づいて、あるいは外交取引をつうじて、相反する政策を和解させることは、実際、外交の大きな課題である。両者は現存の力の配分を受け入れているのだから、原則に基づくにせよ、妥協によるにせよ、ともかくその相違を解決することは可能である。なぜなら、この解決がどのようなものであれ、それは両者の間の基本的な力の配分には何ら影響しないからである。しかし、一方あるいは双方が帝国主義的な企図をもっている場合には、状況はちがってくる。その場合、法原則ないし道義原則に基づいて、あるいは取引の方法によって個々の要求を解決していくことは、この解決が力の配分に与える影響にかかわらず結局帝国主義国に有利に力の関係を少しずつ変更していくことになるだろう。というのは、妥協によって有利になるのはいつでも帝国主義国の方であるし、また帝国主義国は原則が帝国主義国側に都合よく働くようにその要求の基礎を注意深く選択するからである。結局これらの漸進的な変更は、帝国主義国に有利になるように力関係を逆転させるだろう。帝国主義国は、妥協と宥和との違いを知らない相手から、血も流さないで、しかも決定的な勝利を勝ち取ることになるだろう。いったん封じ込め政策が帝国主義政策を抑制することに成功してしまえば、あるいはもし帝国主義政策がその目標を達成したために、ないしはみずから疲弊してしまったために終わったとすれば、封じ込めは、妥協の背後に退くことになるかもしれない。このような政策は、帝国主義を和らげようとするときには邪道であっても、その帝国主義的な欲望を捨て去った現状維持政策との和解を目的とするときには美徳となる。対外問題の遂行の責任者が最も陥りやすいもうひとつの基本的な誤りは、現状維持政策を帝国主義政策と誤解することである。そうすることによって、A国が幾つかの措置をとるのに対してB国が対抗措置をとる。なぜならB国にはA国が帝国主義政策を開始したと映るからである。両国とも現状の保持を求めているにすぎないのに他国の帝国主義的企図を確信する国家は、他国の誤りのなかに自国の判断および行動の誤りの根拠をみいだすのである。このような状況において、事態の成り行きを破局的な結末から救うものは、ほとんど超人的な努力以外の何ものでもないといってよいだろう。
L
帝国主義と認めないまま帝国主義と妥協しようとする宥和政策、帝国主義など存在しないのに帝国主義を生み出してしまう恐怖といったものは、賢明な対外政策が回避しようと努力しなくてはならない二つの間違った応答である。賢明な対外政策は、帝国主義がどこに存在するかを認識し、その特殊な性格を測定するものであるが、それは五つの困難に直面する。第一の最も基本的な困難は、ブハーリンが指摘したものである。彼は、帝国主義をこう要約している。「帝国主義は征服政策である。しかし、すべての征服政策が帝国主義であるわけではない」。このような言い方は確かに正しいし、また現状の枠内で展開される征服政策とそれを打破しようとするものとのちがいについても自分の意見と一致している。具体的な状況で両者を区別することは、非常に難しい。この困難は、次のような事実によってさらに厄介なものになる。すなわち、初めは現存の力の配分のなかで調整を求めようとした政策は、それが成功あるいは挫折するにつれてその性格を変える可能性があるという事実である。現状の枠内で膨張政策が成功すると、それは一夜のうちに帝国主義政策へと変貌を遂げるだろう。逆に失敗した場合は、現存の力関係のなかでは達成されそうに思えず、また実際に挫折した場合、その国家は、自分の欲するものを確実に獲得しようとするならば力関係そのものを変更しなければならないとの結論に達することになるだろう。対外政策としておもに経済的ないし文化的浸透といった媒介手段が用いられる場合には、さらに別の困難に直面する。それは帝国主義の手段としての経済的あるいは文化的膨張と、表面にあらわれた経済的・文化的政策のほかにいかなる権力的な目標も隠していないもの(帝国主義でないもの)とを識別することである。これらの困難がすべて克服されて、ある対外政策が帝国主義だと正しく認識されるようになってもなお、別の困難がでてくる。それは帝国主義の種類に関するものである。つまり、局地的な帝国主義が成功した場合、その成功が誘因となってその帝国主義はますます膨張し、ついには大陸的あるいは世界的な規模の帝国主義になるかもしれないということである。もっと具体的にいえば、国家は局地的な優勢を不動にし堅固にするために、もっと広範囲に力の優勢を獲得しなければならないと思うようになるだろうし、さらには世界規模の帝国においてのみ十分な安心が得られると感じるだろう。帝国主義的傾向を評価し、ついでこれに対抗する政策を明確に評価することは決してできるものではない。帝国主義政策もその対抗政策も絶えず評価しなおされ、再定型化されなければならない。しかし、対外政策の決定者は、帝国主義的膨張にせよ、その他どんなタイプの対外政策にせよ、特定の類型を永久的なものと考え、類型が変わったときでもつねにもとの類型に合致した対外政策を追求する誘惑にさらされているのである。最後に、帝国主義は、あらゆる対外政策が分かちもっているひとつの問題を提起する。しかも帝国主義は、それを特に鋭い形で提起する。すなわち、イデオロギー的偽装の背後に隠された対外政策の真の性格を見破らなければならないという問題である。今日一般にイデオロギーとは、タルコット・パーソンズが定義づけたように、「ある集合体の構成員によって共通に抱かれている諸信念の体系」として理解されている。国際舞台における行動主体は、自己が追求している対外政策が何のためであるかをめったに明示しない。そして、帝国主義政策は、それを追求する人々の発言のなかにその真実の顔をみせるということはありえない。そのため対外政策の見かけと本質を区別するのは極めて困難である。
V本論2
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現実主義理論を体系化したモーゲンソーは、国際政治も国内政治もその本質はいずれも「力のための闘争」という点で同一であり、ただ、共通規範や世界政府の不在など国際社会には暴力に対する制御機能が少なく、そのためパワーというものが“暴力”という、より露骨な形でその姿を表し易いと論じたうえで、国家にとってパワーは常に“直接の獲得目的”となり、一国の対外政策の行動基準は、「パワーによって定義される国益である」こと、勢力均衡は相対的な安定と平和を保障する永続的な原理であり、国家は国家間のパワーを正しく秤量して勢力の均衡・維持を図ることによってその生存と繁栄に努めるべきであると主張した。
A
モーゲンソー国際政治理論の核心は、次のようなものである。
(1)
政治の本質は、「他者の精神と行動に対する支配」であるパワー(力)をめぐる権力闘争である。
(2)
国際政治も、主権国家間の“パワー即ち国力をめぐる闘争”である。
(3)
パワーによって定義される“国益の概念”が、国家間闘争の指針となる。
(4)
“勢力均衡”は相対的な安定と平和を保障する永続的原理である。
(5)
外交は、国家間のパワーを正しく秤量し、勢力の均衡、維持を図ることによって国家の生存を確保するための政治的技術である。
(6)
適切な外交と勢力均衡により、国家はその生存と安全保障という死活的な国益の確保に努めるべきである。
B『新国際関係論』ではモーゲンソーの考える政治的リアリズムの六原
則のうち、パワーに関するものを三つあげている。第一に、国際政治に政治的リアリズムの名を与えているのは、「パワーに定義される利益」の概念である。この「パワーに定義される利益」の概念をもってすれば、各国の個別的な対外行動や歴史的時点の異なった政治行動も、ある一貫した、統一的観点ものとにおくことができる。第二に、モーゲンソーは、パワーとして定義された利益の内容とパワーの内容自体は可変的であるとする。それらは、歴史的時間と状況、政治的・文化的文脈に応じて変化する。しかしリアリズムは、現世界を改革していくものは恒久的なパワーの操作であって、抽象的理想ではないとする。現代の国際体系は複数の民族国家から構成されており、そこでは、いまだ法秩序は確立しておらず、国家的生存は自らまっとうしなければならない。したがって、国家的生存は国家にとって最低条件である。そこで、すべての国家は他国による侵略に抵抗して、物理的・政治的・文化的同一性の保持を第一次的な国益とする。ここで、国益と国家生存は一体化する。民族国家が、この世界の構成単位である限り、国益は国際政治の最も本質的な要素である。このようにして、モーゲンソーは国際政治を諸国家の適応課程とみる。国益は自然的利益調和を前提にするのではなく、絶え間ない対立と戦争の脅威を想定し、それを利害対立の絶え間ない適応調整によって最小限にくい止めることを前提にしている。第三に、モーゲンソーは、政治領域の独立性を説く。政治的行為は政治的基準、すなわち「パワーに定義された利益」によってのみ判断されるべきである。各分野にそれぞれ独自の基準があるように、政治リアリストの関心は、国のパワーにその政策がいかなる影響をもたらすかでなければならない。だから政治的リアリストは、必然的に他の判断基準を政治基準に従属せしめる。
C『国際政治学』によるとモーゲンソーの自由主義についての考え方は屈折したものであるという。モーゲンソーは自由主義を擁護しながら、一面では自由主義に反対していた。その反対の理由には、次の三つのことが考えられる。第一に、自由主義的国際政治理論は理想主義的であり、パワー・ポリティクス観点に弱かったことである。そのために、ナチス・ドイツの対仏侵攻、日本の真珠湾攻撃を予防するに役立たなかったことである。第二には、ドイツ内で自由主義はファシズムを防げなかったことである。十九世紀ドイツでは、ユダヤ人中産階級と自由主義の台頭によって、反ユダヤ主義が消滅したかにみえた。この錯覚のため、ユダヤ系ドイツ人の自由主義者は、ナチズムの選民主義、反ユダヤ主義に対応するのが遅れた。第三にモーゲンソーは、そもそもルソー的、ジャコバン的大衆民主主義に反対していたことである。彼の理想とする自由主義は、多数決主義を否定するものであった。モーゲンソーが主張した自由は、「自由のなかの平等」である。それは、被統治者の同意を得て統治する政府のもとで、すべての人々に幸福な生活を保証することと規定されている。しかしそれは、最初に自由を、結果として平等を、という主張と解釈するほうがわかりやすい。「自由のなかの平等」は、追求すべき理想であるし、他の思想を評価するときの基準となる。しかし現実の政治世界では、理想の問題よりも現実の全体主義をいかに回避し、これといかに対決していくかのほうが、決定的に重要である。自由の問題の裏側は全体主義の問題である。自由をいかに実現するかよりも、全体主義の問題をこそ解明しなければならないと述べていた。これは1955年の言明である。この問題意識は、その一生を通じていた。
参考文献 『新国際関係論』 花井等 著 東洋経済新報社
『現代国際関係論』 西川吉光 著 晃洋書房
『国際政治学―理論の射程―』 初瀬龍平 著 同文館
『戦争の世界史』 A、L、サッチャー 著 祥伝社
大谷堅志郎 訳
W結論
@モーゲンソーは,国内政治と国際政治は力のための権力闘争の異なった表現に過ぎず、ただ二つ異なる領域は、それぞれの領域内で、おのおのの道徳的・政治的・社会的条件が異なるがゆえに、表現も異なってくると述べている。つまり、彼によれば、国際政治と国内政治は、ともに権力闘争という点で、本質的に同じである。ただ、その舞台となる領域が、国内社会と国際社会の相違であるにすぎないとする。そして帝国主義とは二国ないしそれ以上の国家間の力関係逆転を目的とし、それは軍事的・経済的・文化的手段によって実現されるものである。しかし力関係が変わらなければ、力の増大を目指す政策でも、それは現状維持政策だと考えているので、モーゲンソーは力の増大=帝国主義とは考えていない。国際政治とは力のための権力闘争だけだろうか?権力闘争では欧州連合(EU)の関係がどのように説明できるのだろうか?現代の国際関係は必ずしも対立や抗争だけをもとにしているわけではなく和解や協力もあるだろうし、EUなどの共通の目的に基づいた国際的な協力組織は、権力闘争の間には存在できないと思う。また、国家の目的が力の獲得というのはどうだろうか?モーゲンソーは力を軍事力といいきっていないが力の獲得自体が目的だと考えている。力の獲得自体が目的だと国家間は対立や争いばかりで和解や協力という選択肢がでにくく、それよりも力は、国家目標を達成するための手段とみた方がいいと思う。モーゲンソーは、帝国主義の経済的解釈は歴史的経験のテストに失敗しているとして経済に対する政治の優位を説いている。しかし、モーゲンソーもボーア戦争の場合にはイギリスの金採掘利権が主たる原因だと言っているが経済が帝国主義の原因になることもあるのではないか?モーゲンソーは、資本主義成熟期の戦争はすべて政治戦争といっているが、戦争における勝利は当然経済上の利益をもたらすとも言っている。仮に戦争に勝っても利益がなければ、国の軍事力は衰えるだろう。そうなると戦争をおこすのが主として政治的要因だけでなく経済的要因からでも不思議ではない。必ず政治的要因から戦争が始まるとはいいきれないと思う。モーゲンソーはまた、資本主義以前の時代においても戦争と平和の問題をめぐって政治家を動かした原動力は政治的要因であったという立場をとっている。