第七章
17組3番阿部 泰人
T はじめに
このレジメでは、モーゲンソーによる『国際政治』の第七章「国際政治におけるイデオロギー」を中心に、その他参考文献、時事問題などを通してイデオロギーをみていく。最初にテキストの要約を通して基本的な国際政治におけるイデオロギーをつかみ、その他文献で、モーゲンソーと違うイデオロギーの見方を見てみる。その次に、時事問題にイデオロギーを照らし合わせてその事柄を見てみる。最後に、モーゲンソーの考えが正しいか、そうでないか判断しつつ、イデオロギーについてまとめることにする。
U テキスト要約
モーゲンソーの著書、『国際政治』の第七章 「国際政治におけるイデオロギーの要素」の要約をここでは書いていく。まずイデオロギーの機能・利用のされ方・性格をあらわす。そして、典型的なイデオロギーを説明し、その識別のむずかしさ、識別することの重要性を説いていく。
@政治的イデオロギーの本質
まずイデオロギーという概念は、哲学・政治・道徳的な信念という広い意味でよく使われている。
政治の基本的な発言形態すなわち権力闘争はありのままにあらわれず、むしろ追求されている政策の直接目標としての権力の要素は倫理的・法的・生物的な用語で説明されたりする。このことは国際政治にせよ国内政治にせよあらゆる政治に特有なことである。政策の真の性格はイデオロギー的正当化によって隠されるのである。
政治舞台の行動主体は政治的イデオロギーを盾に政治行動の本当の性格を隠すことによって行動するほかにない。
政治家は自己の政策に言及する場合に権力の言葉ではなく倫理原則や法原則あるいは生物学的必要といった言葉を使う。そのような言葉を使う事でイデオロギーは行動主体や観衆が権力の競争に巻き込まれるのを心理的にも道義的にも受け入れやすくしているのである。
このような法原則・倫理原則あるいは生物学的な必要は国際政治の領域で二重の機能を果たす。それらは政治行動の究極目標であるか、それとも政治に固有な権力の要素を隠す口実であるかのどちらかである。こうした原則や必要は、前者が後者の機能を果たすかもしれないし、また、同時に両方の機能を果たすかもしれない。例えば、正義のような法的・倫理的原則、もしくはそれ相当の生活水準のような生物学的必要は対外政策の目標であるかもしれないし、イデオロギーであるかもしれない。
政治舞台の行動主体が、自己の行動の直接目標を隠すのにイデオロギーを利用せざるをえなくなるのは政治の本質である。政治行為の直接目標は権力であり、そして政治権力は人の心と行動に及ぼす力なのである。しかし、政治舞台の行動主体は他者に対する権力を求めるが、他者も行動主体に対して権力を求めるのである。政治的存在としての人間にはこのような相反する存在傾向がある。
このような相反する存在傾向に対応してこうした条件に関する行動主体の道義的評価にも相反する傾向がある。人間は自己の権力への欲求を正当な者と考えるが、彼に対する権力を獲得しようとする他者の欲求を非難しようとする価値の二面性を持っていて、それは権力の問題に近接する全ての国家に特徴的なことである。
それは国際政治の本質に内在するものでもある。イデオロギーを排除して、権力が欲しいと率直に言明する一方で、他国の同じような欲望に反対するような国家は、権力闘争において大きく決定的な不利を被ることになるだろう。権力への欲求を率直に告白してその意図を明言する対外政策は、結局、他の諸国家を団結佐瀬激しい抵抗を呼び起こすことになり、結果として権力への欲求を率直に明言しなかったときより力をこうしせざるをえなくなるだろう。
また、政府の対外政策の背後で国民を団結させ全国民のエネルギーと資源をその支持のために動員するには、権力よりも、国家の生存などと言った生物学的必要や、正義などの道義原則に訴えかけなければならない。国際政策のイデオロギーを不可避的に生出し、それを国際舞台における権力闘争の武器へと転化させるのは、こうした心理的諸力によるものである。政府の対外政策が国民の知的確信と道義的評価に訴えることができれば測り知れない利益を得ることができるのだ。イデオロギーは国民の士気を高め、それのよって国家の力を高める武器であると同時に、その行為そのものが敵対者の士気を弱める武器でもあるのだ。
A対外政策の典型的イデオロギー
現状維持のイデオロギー
現状というものはそれが存在しているまさにそのことによって、すでに一定の道義的正当性を獲得しているため、現状維持政策はイデオロギー的に偽装せずにその本性をあらわすことができる。現状維持政策を追求する国家は、すでに持っている力を保持しようとするわけであるから、他国民の恨みを鎮め自国民の不安を除いてやる必要はない。
ある国で領土の現状維持が道徳的・法的な攻撃にさらされていないとき、またその国の国力が伝統的に現状維持に使われてきたとき、その国は現状が正統なものと認められているため、ためらうことなく現状の維持という言葉でその対外政策を定義できる。しかし、現状の正当性そのものが諸国家の内外で挑戦されているような国家は、現状維持政策は領土の防衛を目的だと単に宣言するだけでは十分ではなく、挑戦に対処できる道義原則に訴えなければならない。そして平和と国際法はこの目的をかなえてくれる。
平和と国際法は現状維持政策のためのイデオロギーとして非常に役立つ。帝国主義政策は現状を撹乱することによって戦争を招く。したがって、平和主義を指導原理として宣言する対外政策は反帝国主義であり、現状の維持を支持するものだといえる。政治家は現状維持政策の目標を平和主義的な言葉で表明することによって、自己や自国民の良心から道義的ためらいを取り除いてみせる。また、現状の維持に利害関係を持つすべての国から支持を得ることを望むこともできるのである。
国際法も同様のイデオロギー的機能を果たす。法秩序はもともと静的な社会的力であり、具体的な状況の中でそれを確定し維持するのに必要な、基準と手続きを提供する。国内法は高度なシステムを通じかなりの変革すら認めることがあるが、国際法はそのようなシステムがないため、本質的に静的な力ということができる。そのため「法の下での秩序」・「通常の法的手続き」といった国際法の言葉を用いることは現状維持政策のイデオロギー的偽装となる。またもっと具体的に言えば、ある一定の現状を維持するためにつくられた国際連盟のような組織を支持することは、その現状を支持することにつながる。
第一次世界大戦後、現状維持政策を正当化するために法治主義的イデオロギーを利用することはありふれたものになった。全面的なほう機構の中で、過去の同盟は「地域的取極」に、「現状の維持」という言葉は「国際平和と安全の維持」とって替わられつつある。現状の維持に同じ利害関係を持つ諸国家は脅威から共通の利益を守るのに「集団安全保障体制」や「相互援助条約」という形でそうする傾向にある。
帝国主義のイデオロギー
帝国主義政策はつねにイデオロギーを必要とする。帝国主義は、打破しようとしている現状が打倒すべきものであることを証明しなくてはならないし、多くの人々が現状に対し持っている道義的正当性が、新しい力の分配を求めるより高次の道義原則にしたがうべきことを立証しなければならない。
帝国主義の典型的イデオロギーは法的な概念を利用するとき、静的な性格を持ち現状維持のイデオロギーとなる国際法に頼るわけにはいかない。現状を変えようとする動的な性格の帝国主義のイデオロギー的必要を満たすのは自然法である。
征服をやむない義務だとする道義的イデオロギーは不当な実定法の代わりに正しい自然法に訴えるのである。この場合劣等人種を征服するのは「優等人種の義務」「国家的使命」「明白なる運命」「神聖な信託」「宗教的義務」だとされる。とくに植民地帝国主義はよくこの種のイデオロギー的スローガンで偽装された。優等人種が劣等人種に「文明の恵み」をもたらすのは人道主義的使命であるといったようなスローガンがその一例である。
近代では帝国主義のイデオロギーは、とくにダーウィンとスペンサーの社会哲学の影響を受けて生物学的な議論を好んで利用した。この哲学によれば、もし強者が弱者を支配しなければ、またもし弱者が強者と対等なものとなろうとするならば、それは自然に反するというわけである。
共産主義、ファシズム、ナチズム、さらに日本帝国主義は、こうした生物学的イデオロギーに革命的な転回を与えた。「地上の主であることを約束された国家が、劣等な国家の策略と暴力によって低い地位におかれている」「財を握っている資本主義国家と戦わねばならない」などのイデオロギーができ、ドイツ、イタリア、日本では膨張政策を正当化し帝国主義的目標を偽装するのに「人口過剰のイデオロギー」を使った。
反帝国主義のイデオロギー
反帝国主義のイデオロギーは、それが曖昧であるがゆえに有効なのである。観察者は帝国主義のイデオロギーに接しているのか、現状維持政策に接しているのか、確信がもてるわけではない。あるイデオロギーが現状を防衛するのとともに、帝国主義を推進するものによっても利用される場合は、混乱を引き起こす。18・19世紀は、バランス・オブ・パワーがこの種のイデオロギー的武器として用いられ、現代では民族自決や国際連合のイデオロギーが同じような機能を果たしている。冷戦がはじまってからは、平和、緊張緩和、デタントといったイデオロギーに結びつけられることとなった。
民族自決の原則は中部ヨーロッパ、東ヨーロッパ諸民族の外国支配からの開放を正当化した。それは理論的にはいかなる種類の帝国主義とも対立するものであった。しかし、旧帝国秩序が崩壊すると、民族自決の名の下に新しい帝国主義が呼び起こされた。民族自決の原則によって新しく開放された諸国民は、今度は新しい現状の防衛のために全く同じ民族自決の原則を唱えた。この原則は第二次大戦終了までこれら国家の最大のイデオロギー的武器であった。
ヒトラーは領土膨張政策を正当化するため民族自決を思いついた。これによりチェコスロヴァキアとポーランドのドイツ人少数は、チェコスロヴァキアとポーランドの、国家としての存在基盤を掘り崩す役割をになうにいたった。チェコスロヴァキアとポーランドはかつて彼ら自身の民族自決というイデオロギー的武器を向けられ、法と秩序というイデオロギー以外に、現状を守るべきイデオロギーを持たなかった。そのため、チェコスロヴァキアは降伏し、ポーランドは致命的な危険にさらされた。これは国際政治においてイデオロギーが重要であるという例として、また、曖昧なイデオロギーはうまく利用されたとき人を混乱させる例としてきわだっている。
国際連合は当初、第二次大戦勝利によって確立された現状維持することであったが、数年も経たないうちにこの現状は暫定的なものにすぎないこと、国家によって相対する解釈や要求を突き付けられているということがはっきりした。国際連合のイデオロギーはそれぞれの特定の解釈を正当化し特定の要求を偽装するために使われている。国連と国際懸賞を引き合いに出すことは、時刻の政策を正当化するためと同時に真の性格を隠すためのイデオロギー的装置となる。このイデオロギーはその曖昧さゆえ、敵を混乱させ味方を強化する武器となる。
第二次大戦後これと同じ機能を強く果たすようになったのは、平和・緊張緩和・デタントといったイデオロギーである。大量は破壊兵器で戦われることになる第三次世界大戦に対する一般の恐怖を考えるなら、その政策の平和的意図を信じさせることができなければ支持を得ることはできない。平和的意図が世界中で宣言されるようになると、現実の対外政策をそれによって論じることは無意味になる。それは、現代戦争の破壊性を考えるならどの国家も戦争よりは平和的手段によってその目的を追求するようになるのはごく当然のことだからである。また平和的意図の宣言は、平和的目的の影に実際の政策を隠し、性格に対する人々の支持を集めることができるという、二つの重要な政治役割を果たす。
同様のことは軍縮に関する言明にもあてはまる。軍備競争を終わらせることはあらゆる理由からも望ましいことだと考えられているが、世界的条件がそれを不可能にするということは明白である。諸政府がみずからの政策を軍縮を志向するものだと明言し、平和と軍拡競争の負担からの解放を願う世界の諸国民の心に対してイデオロギーを訴えるようなアピールは、現に追求されている対外政策を容易に他国民に受け入れさせるという目的に役立っているのである。
イデオロギーの識別のむずかしさとその重要性
イデオロギー的偽装を見破り、実際の政治的諸力と諸現象を捉えることは、国際政治を学ぶものにとって最も重要で難しい問題の一つである。それができなければ問題にしている対外政策の性格を正しく測定することが不可能であるからである。帝国主義的性格とその特定の性格を認識できるかどうかは、帝国主義的欲望を広く否認するイデオロギーの見せかけと、追求されている政策の目標とを明白に区別できるかどうかにかかっている。しかし、これを正確に区別することはむずかしい。あらゆる人間行動の真の意味を見抜くことは難しいからである。この問題は国際政治に特有な二つのむずかしさが加わって一層厄介なものになる。ひとつは、威信政策に象徴的な誇りや虚勢と、実際の帝国主義のイデオロギー的偽装とを区別することである。もうひとつは、実際に追求されている政策の真の意味を、現状維持や局地的帝国主義のイデオロギーの背後に発見することである。
イデオロギー的偽装の背後に隠された対外政策の真の性格を確かめることは、現状維持のイデオロギーが偽装として使われるときとりわけ困難になる。第二次世界大戦に続く時代のアメリカおよびソ連の対外政策は、こうしたむずかしさを示す際だった事例である。米ソ両国とも、ほとんど同じ現状維持のイデオロギーの言葉で対外政策の目標を表明してきた。ほとんどのアメリカ人が、またほとんどのロシア人が、これらの主張は自国の対外政策の真の性格を表現したものであると確信している。しかし、両方とも正しいということはありえず、どちらか一方が、あるいは両方が間違っているかもしれない。この謎の解明は、イデオロギーの性格のみに求められてはならず、一国の対外政策を決定する諸要因の相対に求められるべきである。
Cまとめとして
テキストを簡単にまとめるとこういうことになる。イデオロギーは、政治の行動主体がそれを利用することにより政策の真の性格を隠す。それは少し乱暴にたとえると、イデオロギーが建前で政策の真の性格が本音のようなものである。国際政治においてイデオロギーは国民の士気を高め、敵対者の士気を弱める武器となる。しかし、それを可能にするのは、倫理原則・法原則・生物学的必要といった説得力を持つ言葉なのである。しかし、こういった言葉は、イデオロギーに使われなければ、政治行動の究極の目的である。
対外政策の典型的イデオロギーとして、現状維持のイデオロギーと帝国主義のイデオロギーなどがある。現状維持政策は、そのままイデオロギーで偽装せずにその本性をあらわせるが、現状の正当性が疑われているような国家はイデオロギーを用いて道義原則に訴えなければならない。帝国主義政策はその性格から、常にイデオロギーを必要とする。また、反帝国主義的イデオロギーというものもあり、観察者は帝国主義のイデオロギーに接しているのか現状維持政策に接しているのかわかりにくい。この反帝国主義的イデオロギーは曖昧であるがゆえに有効なのである。
イデオロギー的偽装を見破り、実際の政治的諸力と諸現象を捉えることはむずかしいが、対外政策の性格を正しく測定するためにこのことは重要なことなのである。
モーゲンソーはこのようにいっている。
V その他文献に見るイデオロギー・時事問題に見るイデオロギー
@『現代国際関係論』に見るイデオロギー
『現代国際関係論』(133〜138ページ)によると、イデオロギーについてこう書かれている。
今日一般にイデオロギーとは「ある集合体の構成員によって共通に抱かれている諸信念の体系」として理解され、次のような機能を有している。
第一に、イデオロギーは政策決定者が現実を観察する知的枠組を設定する。
第二に、イデオロギーは政策決定者のために、世界の将来像についてのイメージを規定する。
第三に、イデオロギーは国家のとる政策あるいは手段の選択に対する弁明論理的説明、宣伝として使われ、また国家の長期的目標や行動の指針になる。
第四に、イデオロギーは自己及び他人の行為を判断する評価基準を規定する道義的、倫理的体系を形作る。
第五に、イデオロギーは集団に対して一種の紐帯を提供し、共同体意識や連帯感、帰属等を生出す。
第六に、イデオロギーは集合全体とってのシンボルとなる。
また、イデオロギーの最重要機能の一つとして、イデオロギーが関係する社会、組織、運動の目標と利益の獲得を正当化することがあり、利益とイデオロギーとは相互作用の関係にある。
政治体制に関していえば、いかなる政治体制もイデオロギーとは無関係ではありえなく、特定のイデオロギーに対して公平または中立である政治制度というものはなく、ほとんどの制度は特定のイデオロギーの目的を持っている。
また、イデオロギーは現実の常に食い違う以上、現実の社会から消え去ったり、その変化が止まるということはありえない。
この様に、『現代国際関係論』でイデオロギーはされている。
A『現代の政治イデオロギー』に見るイデオロギー
次に『現代の政治イデオロギー』(23〜29・380〜386ページ)によるとこうである。
イデオロギーは概念、シンボル、価値からなる体系の総称である。イデオロギーは一般に考えられるよりも、複雑な内容を持っている。第一に、一見一貫性を保っているような学説でも、詳細に分析してみると内部に深刻な意見対立を抱えていることがしばしばある。議論するに当たって土台としてこの内部の複雑性を頭に入れておかなければならない。第二に各イデオロギーは、いくつかの中心的な問題・価値・理念を持つ。これらの要素はさまざまな潮流によって、内容が更新されたり付加されたりする。このため、あるイデオロギーの内部で解釈のくいちがいが出てくるのである。第三にイデオロギーは内部が複雑なだけではなく、各イデオロギーは互いに重複しあい、複数のイデオロギーが同じモードの議論を展開することがある。これはイデオロギーの外在的複雑性といえるだろう。それは、さまざまな概念が複雑にクモの巣のように絡み合っているのである。
最後に、著者はイデオロギーそれ自体フィクションのように見えるが、イデオロギーが現実存在の形而上学のようなものをつくりだし、また追求するのが普通のことであると確信している。人々はシステム、実在的な規範の存在を信じている。絶対的なもの、実在的なものは、様々な疑問がつきまとうとはいえ、多くの人々が生きるうえで望む糧である。しかし、あるイデオロギーは我々が現実の世界に対処し、そこでうまく機能する方針となりうるが、そうでないイデオロギーもある。それを見抜くためには疑問・自問・ある種の謙虚さが必要である。しかし、イデオロギーは実在的な絶対的規範になり得るかもしれないということを忘れてはならない。
この様に、この文献ではイデオロギーを疑うことだけではなく、少しポジティブな見方をしている。
B『現代の政治理論』に見るイデオロギー
『現代の政治理論』(167〜169ページ)にはイデオロギーの政治学における優等性がしめされている。
国際社会、国内社会問わず、その社会体制は人々の共有する何らかのヴィジョンによって構築される。そのヴィジョンを生み出すのはその時代の思想・哲学・イデオロギーである。一般に哲学とは、物事の根本原理を考察した人間の考え方を意味し、思想は人間の社会行動のしかたを決定する考え方を意味している。そして、イデオロギーはある人間の社会的歴史的な立場や経験から作られた考えという概念規定である。論理的な意味で優劣をつければ、哲学がはじめに来るが、時間的、政治学的意味から見れば、その現実性と、融通性からイデオロギー・思想が重宝される。
C時事問題に見るイデオロギー
月並みだが、時事問題に見るイデオロギーとしてアメリカの報復攻撃を扱うことにする。これにはイデオロギーの偽装性がよく見て取れる。これには『テロと報復攻撃を考える京都MIC緊急集会』のホームページ(http://www.union-net.or.jp/~mic/chihou/honbun.html)を参考とした。
アメリカは9月11日のテロ行為に対し報復攻撃を行ったが、そこには様々なイデオロギー的偽装が見て取れる。まず、アメリカはこれを自衛戦争といっている。国際憲章では明確に戦争は否定されているが、自衛権を認めている。このためアメリカは「自衛」という言葉を使って国際憲章に違反していないことを装って、法原則に訴え他の国に理解させようとしている。しかし、実際は自国が危険にさらされているという事実のうえで、しかも国連がしかるべき行動を取れないときに自衛権の発動を許しているので、そうでないときは国連安全保障理事会に最終的な行動を委ねるべきであって、アメリカが独断で行動することは国際法違反である。
また、誘導装置をつけた高性能爆弾によるピンポイント爆撃などで一般の人々に被害を最小にするといった、倫理原則に訴える手法も用いている。しかし、実際誘導装置のついた爆弾は全体の12〜13%であった。
アメリカは「テロに対する戦争」という名目で世界の主権国家に対し、この戦争に対する答えを求めた。「テロ」という言葉で平和的意図を訴えている。しかし、ここにはアメリカの「テロ」という言葉の置き換えが行われている。テロリズムとは第一義に「国家権力が権力に反対するものを抑制する暴力」であり第二義的には「政府に反対して、あるいは抑圧者から解放されるため、人々が使う暴力」であり、つまり、両方の側面があり両方の面でどちらもテロリズムである。政府に反対する人達が行う暴力行為はテロである、しかし、政府がやることにもテロがある。例えばロシアのチェチェンでは少数派のチェチェン人に対しロシア軍が軍隊を使い弾圧し殺している。これもテロのうちに入るのである。反体制勢力側一方の暴力行為をテロとして、「テロに対する国際的包囲網」という言葉を使うのはアメリカ側の政治的キャンペーンである。この言葉を使うなら、先のロシアのケースにも行動を起こすべきである。
このように、アメリカの報復攻撃について様々な偽装的イデオロギーが存在する。
W まとめ
モーゲンソーの『国際政治』におけるイデオロギーの疑問点として、モーゲンソーは常に政策を正当化する盾のようなもの、または政策の真の性格を隠すかくれみののようなものとしてのみイデオロギーを扱っていることがあげられる。果たして、それだけなのだろうか?
正当化や偽装はイデオロギーの一面にすぎないように思える。それらは重要な機能であろうが、イデオロギーは他の機能も果たすだろう。Vの参考文献で見たように、イデオロギーは国家の長期的目標や行動方針になったり(『現代国際関係論』より)、現実に対処しうまく機能する方針となる(『現代政治のイデオロギー』より)という一面もある。イデオロギーはその正当化や偽装としての機能だけではなく、他の文献で見るように方針や目標としての機能も含めて扱うべきではなかろうか?モーゲンソーがイデオロギーを偽装と正当化としての機能しかないように書いたことは間違いのように見える。
また、この問題に付随してもうひとつ疑問がうかびあがる。モーゲンソーは「政治家が行動の直接目標を隠すのにイデオロギーを利用せざるをえないのは政治の本質である」としている。これは政治行為の直接目標は権力であるからであるという。しかし、うえで書いたように、イデオロギーの機能が方針や目的となり得るとすればどうだろう?イデオロギーに導かれた結果、その政治行為の目標が権力であるなら話しは別だが、イデオロギーに導かれた結果がかならず権力となるとは限らない。その政治の目標を導き出すのに基準とされたイデオロギーが他の人間を納得させられるような、矛盾がなく、正しいものだとしたならば、正当化・偽装の機能としてのイデオロギーは利用せずにすむのではないだろうか?
このように、モーゲンソーが政治的イデオロギーについて語った部分には疑問点が多い。しかし、イデオロギーは国外・国内政治についてかなり有効な手段であるだろう。
モーゲンソーは、イデオロギーの偽装・正当化としての機能にこだわっていただけあって、イデオロギー識別のむずかしさとその重要性と説いている。イデオロギーの識別は容易なことではないが、それができなくては対外政策の性格を正しく測定できないとしている。