はじめに
今回の研究開始にあたって、当初は中国に焦点を当てたものを考えていました。ですが、先生の助言を頂き中国と台湾の関係を学ぶことは、国際関係を舞台に展開される政治、および経済の諸問題解決にあたって重要な意味を持ち、また我々日本の、そしてアジアのあり方について考えるとき無視できない問題であると感じ今日の結論に達しました。
本日の発表にあたって
第一回としまして、まず現在までにおける中台のあり方についてとその歴史について皆さんに認識していただきたいと思います。
一、
台湾という国の形成
二、
現在までにおける中国との対立の構図
三、
一国二制度とは?特殊な国と国との関係
中国と台湾はなぜ対立するのか
2000年3月1日台湾の総選挙で、陳水扁(ちん・すいへん)が総統に当選しました。陳氏はそれまで野党だった民主進歩党の所属です。台湾にはじめて国民党以外の政治リーダーが誕生したのです。
台湾の正式名称は「中華民国」です。総統は『中華民国大統領』を意味します。しかし中国(中華人民共和国)は台湾を国家として認めていません。『台湾省という名の中国の一部である』という認識です。
台湾総統選挙の投票日の三日前、中国の首脳は、「誰が当選しようと、いかなる形式の台湾独立も許さない。・・・中国人は、鮮血と生命をもって祖国の統一と民族の尊厳を守る。」と言い切って台湾の選挙をけん制しました。
中国側は、台湾の住民が自分たちでリーダーを選ぶというやり方自体を不快に思っていて、台湾が中国から離れて独立することを許しません。『もし台湾が独立しようとするなら、阻止するために武力の使用も辞さない』と言い続けています。
なぜここまで複雑で深刻な問題になったのか、それには第二次世界大戦、そして日本も深くかかわってくるのです。
一、 台湾という国の形成
日本統治時代
1895年日清戦争に勝利した日本は、下関条約により台湾を獲得する。当時の台湾は産業もなく、また風土病の蔓延する『化外の地』であり清国にとって何の利益もない土地であった。日本は台湾総督府を設置し植民地として統治をはじめた。日本の植民地支配は徹底した『日本人化』であり、台湾各地に神社を立て、日本語教育を施し、天皇の子としての教育を行った。警察による抗日ゲリラの鎮圧と共に二等国民として台湾人を区別した。
だが、同時に大規模なインフラ整備により産業発展の基礎を築き、全島に道路や鉄道、ダムの建設などを行い農地の整備もすすめた。義務教育制度の導入により教育水準も飛躍的に上がり、熱帯伝染病の防止と治療に勤め人口増大へとつながった。
イヌ去りてブタ来る
太平洋戦争での敗戦によって、当時の中国指導者蒋介石率いる国民党のものになる。台湾の住民は他国日本の支配から解放され、祖国に戻れることを喜び、大陸の軍隊を歓迎した。
だが大陸からきた軍隊を見たとき、台湾の住民は唖然としたのであった。皆正式な軍服などなく、ボロをまとい、鍋釜を担いでいた。水道も知らず、蛇口をひねると水が出るのに驚き、慌てて金物屋に殺到して蛇口を購入し家の壁にねじ込んでは「水が出ないぞ」と怒ったという。デパートのエレベーターを見てはびっくりし、自転車を盗んでみたものの乗り方がわからないというありさまであった。教育水準も低く読み書きもできないものがほとんどであった。自分達を大陸からきた『外省人』とし、台湾本国の人間を『本省人』として区別することによって、役人のほとんどを外省人が占め、賄賂が横行し政治は腐敗した。また、中国本土では国民党と共産党の内戦が激化し、経済も深刻化した。
二・二八事件
1947年2月27日、台北の路上でヤミタバコを売っていた女性に対し、警官が銃で殴りつけたのがきっかけで大規模な住民暴動が始まる。台湾の陳儀行政長官は民衆と交渉するふりをして大陸の軍隊に応援を要請。3月8日国民党軍隊は住民の大量虐殺を開始、38年にも及ぶ世界最長の戒厳令をしき、被害者は2万8000人にも及んだ。とりわけ知識人層は根こそぎ殺され、民主化の息の根をとめにかかった。
1949年12月、国民党は共産党との内戦に敗れ、首都南京から撤退し、台北を中華民国の臨時首都とした。これにより国民党支配は台湾のみとなったのである。
二、 現在までにおける中国との対立の構図
中華人民共和国成立
国民党を追い出した共産党は、1949年10月1日毛沢東が北京の天安門広場から中華人民共和国の成立を宣言。こうして中国共産党が支配する大陸の中華人民共和国と、支配地域が台湾だけになってしまった国民党の中華民国という対立の構図が成立するのである。中国全土を支配した毛沢東は、体制を整えて台湾を攻撃し、台湾を解放しようと考えていた。一方それまで打倒日本のために国民党に援助を行ってきたアメリカは腐敗した国民党に愛想を尽かし、『台湾海峡不介入』を宣言した。
風前の灯であった蒋介石を救ったのが朝鮮戦争である。1950年6月25日朝鮮は南北に分かれて戦争となった。北朝鮮に肩入れする中国に対し、アメリカは方針を一変し台湾を支援するため第七艦隊を派遣した。こうして内戦の構図から冷戦の構図に組み込まれたのである。
一つの中国にこだわり続けた蒋介石
蒋介石は生涯『大陸反攻』をあきらめず、二つの中国を認めなかった。台湾人を『中華民国化』するための教育を徹底的に行い、自らの中国の正当性を主張した。歴史や地理は中国大陸のものが叩き込まれ、北京語を公用語とした。
中華民国は中国全土を代表する国として国連の常任理事国にもなっていたが、次第に中華人民共和国が外交攻勢により国際的地位を上げ始める。台湾政府は一つの中国に固執し、中華人民共和国を承認した国とは即時断行という手段をとった。
1971年ニクソン訪中により米中が接近。同年10月国連総会で中華民国を追放し、中華人民共和国を招請することが可決。国民党政府はこれを不服とし、国連を脱退した。台湾は完全に孤立化したのであった。
民主化への歩み
1975年、蒋介石は死去し後継者の蒋経国の元で緩やかな民主化が始まり、87年7月戒厳令が解除された。そして88年に蒋経国が死去し、本省人の李登輝が総統となることにより、台湾は劇的に変化する。
・ 1992年、40年以上改選されなかった万年国会を解消
・ 1994年、台湾省台北市、高雄市の首長を公選制に
・ 1996年、総統直接選挙を実地し台湾の完全民主化を実現
次々と民主化の政策を打ち出したのち、2000年の総統選挙では立候補を辞退し、結果的に国民党による支配が終わりを告げたことになる。
三、一国二制度とは?特殊な国と国との関係
一国二制度
中国側の主張が一国二制度である。一国二制度とは何か?簡単にいってしまえば社会主義と資本主義の二つの制度を政府が容認し、それぞれに自治を任せるというもので、中国政府が請け負うのは防衛と外交だけだ。実際にこの制度により、中国は香港とマカオの返還に成功した。
もし仮に、一国二制度が完全無欠の和平方程式であるならば、朝鮮統一も実現するかもしれない。パレスチナの紛争はどうだろう?理想は膨らむ。
だが、いうまでもなく台湾を含めたこれらの問題はそう簡単なものではないだろう。
・ 二つの制度の中で経済格差と対立は起きないのか?
・ 自治に関してどこまで権限がもてるのか?
・ 共産党一党独裁の中国で言論の自由はどこまで守られるのか?
・ アイデンティティーの問題はないのか?
これらの問題をすべて解決した上での統一は本当に可能なのか。中国側の一時的妥協策であって統一させてしまえば何とでもなるというつもりなのではないのか。
特殊な国と国との関係
1999年7月9日、ドイツの公共放送のインタビューで李登輝はこう答えた。「台湾と中国は国と国、少なくとも特殊な国と国との関係。」元々一つの国、一つの民族であったが、内戦によって二つになった。台湾はその中で独自の発展を遂げた。これにより主権国家を形成し「本土化」したがそれは「独立」を意味するものでは決してない。中国が民主化すればゆっくりと統一についてお話しよう。今はそのときではない。これが李登輝の主張だ。
少しわかりにくいので整理したい。すでに政治、経済、法律などで整備された台湾は完全な独立国家である。そしてかつては同じ中華民族であったが、中国とはまったくべつの国となり、そこに住む人々は「台湾人」だ。李登輝が目指したのは「本土化」であり、その先にあるのは「独立」だろう。だが大国中国は決して武力による威嚇を捨てない。戦争となれば勝ち目がない。台湾は少しでも戦争の可能性を避けつつ、国民に台湾のナショナリズムを植付け、同時に国際協力を得る必要がある。そのために敢えて「独立」という言葉で中国を刺激するのを避け、一方で実質的な独立国家の形成が望まれるのだ。
理想的な解決手段とは何か
一国二制度にすべきか、特殊な国と国であるべきか、さらにもっと素晴らしい方法があるのか。どちらにもそれぞれの主張があり、話し合いは今もって平行線である。だが、共通しているのはこの緊張関係は終結させなければならないということだ。外交は自国の利益になるように行われるのは道理だ。自国の利益を省みない外交は意味がない。中国側に立てば、台湾を中華民族の名目で吸収し、自国の物とするために武力で威嚇するのはある意味常套手段だ。また武力ではかなわない台湾側に立てば、国際世論の支持を獲得するために、武力衝突を先延ばしして自らの正当性を確固たるものにすることが必要だ。双方の駆け引きはまだまだ続くだろう。
今後の内容について
私は中台問題を研究することによって、先生とゼミ員の皆さんのご意見をいただきながら、以下のことについて自分なりの結論を出したいと思います。
・ 一国二制度のような方法にどのような可能性があるのか(中国の思惑)
・ なぜ21世紀の今、台湾が国生みをはじめたのか(20世紀が残したもの)
明治大学 政治経済学部 経済学科 4年14組49番
村松 直