1.自己紹介
〜人生のハイライト〜


  

高橋:まずは自己紹介からということで、どうしましょう?

雄一:ではまぁ、恥ずかしながら簡単に。
現在、日本大学文理学部社会学科3年生(1981年4月2日生まれ)で、トップでもチラリと書いたけど、読売新聞の奨学生として、学校に通っている。
 よく、『新聞配達って大変でしょ?』って聞かれるけど、俺はそれ自体大変だと思ったことはあまりないね。確かに、雨とか雪、暴風雨だったりすると、心が憂鬱になるけど、それだって配達のときだけでさ、最後の1件が終わったときのあの快感というか、なんともいえない気持ち良さ、充実感はけっこういいもんなんだよね。

高橋;いや、でもジ・ツ・ハ大変でしょ?

雄一:もしかしたら、自分自身で自己暗示っつーかね、全然たいした事ねーよ、とお呪いをしてるのかもね、まぁ、高校野球やってたからね。

高橋:高校野球?ですか。

雄一:俺を語るには、高校野球をはずすわけにわいかねーな。本当に、高校野球があって今の俺がいるといってもいいくらいに、お世話になりつつ、俺自身の人格形成に多大な影響を与えているね。

高橋:出身地と、出身高校はどちらですか?

雄一:出身は長野県、生まれは上田市
小学校は・・・って、聞かれてないけど、上田市立豊殿小学校、上田市立第五中学校、そして私立長野日本大学高校
高校のときは、本当に野球ばっかやってて、最後の3ヶ月(5、6、7月)はもう本当に100%野球に打ち込んだって、はっきりといえる。簡単にいうと、他のことは全くやってなかったというか、できなかった、できるわけがねぇ。
 長野日大は1年生の時は、普通なんだけど、2年生からクラス分けがあってさ、文系日大進学が5クラス。理系日大進学が1クラス。文系国公立進学が1クラス。そして理系国公立進学が1クラスっていう全部で8クラス、一クラス50人前後で1学年では400人以内くらいっていう構成になっているわけ。
 中学の時に、進学ってなって、やっぱ今までずっと野球をやってきたから、高校ではもちろん野球をやるために行くんだって決めてたから、勉強はできないって、始めから覚悟していたし、そしたら長野日大の監督さん(当時はO監督)から、『練習にコイ』って直接ではないけど、ちょうど少年野球の先輩がけっこう長野日大にいってたから、そのつながりで俺に誘いがきたってわけね。

高橋:それで練習には参加したんですか?

雄一:そう、でも、俺一人じゃなかった。
 少年野球は上田市軟式野球スポーツ少年団というチームでやっていて、そこでは上田市ほぼ全域から野球少年が集まっていて、全国大会もしょっちゅう行くような県下ではちったぁ名の知れたチームなんだけど、そこで一緒にやっていた奴が俺以外に2人来て、合計3人で練習に行ったんだ。

高橋:それは同じ中学ではなかった?

雄一:うん、K川ってやつは、東部中学(長野県東部町)でショートやキャッチャーをやったりしてたのかな?小学校のときは、俺がショートで、奴がセカンド、キャッチボールパートナーでもあった。
 もう一人はT橋、奴は四中(上田市立第四中学校)のキャプテンで、ショートをやってた。小学校のときはキャッチャーでキャプテンをやっていた。親が少年野球でコーチをやっていて、それでキャプテンだったから、本当に大変だっただろうね。
 そして俺。五中のキャプテンで、ショートをやってた。仲間に恵まれて、そのときの監督さんがなんとプロボクサー!!
 練習は超科学的トレーニングで、ほぼプロボクサーのような練習をやっていた・・・そこまではいかないけどね。

高橋:プ、プロボクサーですか・・・それで、その3人で練習にいったわけですね?

雄一:そう、俺はその前に佐久長聖高校(長野県佐久市にある県下でも有名私立、甲子園常連!?高校)のセレクション(野求人選抜システム)に参加していて、そのときに長聖の野球部の先輩達の態度が最悪で、もう、絶対に長聖にはいかん!!と決めていた。
 それで日大の練習に参加したら、先輩達の態度が良くて、なんとなく、すぐに溶け込めるような、そんな雰囲気だった。だからけっこう好印象だったね。
 即決とまではいかなかったけど、第1希望になったことは確かで、それよりも何よりも、練習が終わった後にO監督から、3人とも監督室に呼ばれて、『リポビタンD』をもらった時には、『あ、ここしかねぇ』って思ったけどね。

高橋:それは一体何を意味しているのでしょうね?(笑)

雄一:多分お疲れ、と。(笑)

高橋:でも、他にも行きたい高校というのは、なかったのですか?

雄一:あったことはあった。
 やっぱ始めはさぁ、先生(中学の3年間を通しての担任B先生)とかに、『あなただったらここでしょ?』ってなことを言われるわけよ、例えば始めは上田高校(自分の学区の中の進学校、いわゆるデキル公立高校)だった。
 そして、成績が下がってくる(3年になり下降気流)につれて、上田染谷丘高校(上田高校の次にランクされていた普通チョイ上目の公立高校)になっていった。
 俺自身、そこ(染谷高校)かなぁ、って思ってて、五中にもめちゃめちゃ近いし、五中野球部の連中もけっこうそこに行く感じだったから、それでいいかって思ってた。

高橋:でも、長野日大に決めた。なぜ?

雄一:やっぱ、練習の雰囲気、それから、練習にいってから初めて長野日大って高校があるって知った(上田市は東信で、長野日大は長野市の北信にあったため)から、それから資料を読んだりして、日大について調べていくうちに、『けっこういいぢゃん』てね。

高橋:何が『いいぢゃん』だったんですか?

雄一:やっぱり高校の先のことを考えるわけでね。長野日大は付属校(正式には準付属らしい・・・だから『日大長野』ではなく『長野日大』なんだという説が有力)でしょ?そのまま日大に・・・って、ねぇ、そりゃ考えるでしょうが。
 それに、高校野球をやるってことは、文武両道とは言うけど、実際にそれほど甘くないっていうことは覚悟していたから、だったらちょうどいいや、って、いいぢゃんって。

高橋:なるほどね、本当に野球しか考えてなかったんですね。

雄一:そりゃもう。将来はプロ野球選手とか、一瞬くらいは考えてたね。
 でも、相当不安はあったかも。だって、長野市に行くっつーことは、ほぼ全員周りは知らない人だし、その中で、始めは通ってた(片道2時間)けど、下宿も考えなきゃいけないし、ほかの連中は上田で楽しくやるだろうしね。
 じつは、自分の野球にも多少は自信があったりね、あとでボロボロに打ち砕かれるんだけど。

高橋:そうして高校野球を経て、めでたく日本大学文理学部に進学。

雄一:一応付属とはいっても、日大統一試験(全国の日大系の付属校が、同じ日に同じ時間で11月ごろ実施する試験)っつーのがあって、これである程度の点数を取らないといけない。
 けっこうギリギリだったんだけど、どうにか、始めは心理学科(ちょうど心理ブームらしかったため)かなぁ、って思ってて、でもそれほどはっきりと行きたい所はなかった。ただ、点数が足りず・・・奨学会からも、心理はダメって言われて(後半から実習が入ってくるため)、社会学科だったら、何とかいけたし、何やってるか全然想像できないところが気に入って、(笑)入ってしまった。

高橋:でも、実際、『社会学』というのは、何を学ぶ学問なんですか?

雄一:それは正直難しい。(笑)
 社会の中の人と人との関係を探る、っていうようなことを言われてるけど、俺にはわからん。むしろ、最近わかってきたのは、社会現象のウラ側、見えない部分を見ようとすること、それを説明することが社会学なんぢゃないかと。

高橋:なるほど・・・わかったようなわからないような。

雄一:1年生のときは、本当に全然わからなかった。
基本的な、用語の解説とか、社会学史みたいな歴史上の誰が偉いんですよーみたいなことしかやってなかったから。
 今年に入ってからかな、本当に面白くなってきたのは。
 わからないってことがわかるようになったみたいな、『無知の知』のようなね。

高橋:そして今に至る。

雄一:まぁ、そんなとこでしょう。

高橋:自己紹介になってたんでしょうか?

雄一:なってなかっただろうね・・・