留学を通じて

 私の認識として、今回の留学は語学の向上のみを目的としたものではでなく、人生経験をつむという目的で、外の世界を見、よりindependentに近づくという意味を持っていました。実際終わってみて振り返ると、自分の英語力がついたかどうかは自分ではあまりわかりませんが、(これについては次回の3月のTOEICの試験で答えが出るはずです。)留学する以前の自分の生活を顧みるよい機会となったと思っています。

勉強面においてまず実感したのは、自分を含めた日本人学生の、勉学に対する真剣さの欠如でした。少なくとも私は、以前はその場しのぎの勉強をして、学問をしているつもりになっていたと思います。また、向こうの大学内に日本人が少ないということも気にかかりました。オーストラリアを訪れる外国人の統計では、日本人がだんとつに多いのに、大学にはその存在があまりないということは、オーストラリアを訪れる日本人のほとんどが、観光客だということです。オーストラリアに限らず、他の国でも似たようなものだと思います。例えば向こうで知り合った中国からの留学生たちは、彼らの多くが経済学、とりわけ株について学びにニューサウスウェルズ大学に来ていたのですが、シドニーで学んだ知識を持ち帰って、自国の経済を改善する、という信念の下、滞在しているようでした。とても印象的だったのが、彼らの多くが、シドニー、もしくはオーストラリアのことを嫌いだといい、勉強が終わったらすぐにでも国に帰りたい、本当はこんなところになんていたくないけれど、勉強のために仕方なくいるのだ、と口にしていたことです。愛国心が強く、排他的なだけだといってしまえばそれまでですが、(実際、彼らの多くは常にグループを作って行動していて、至る所に中国人学生のコミュニティのようなものがありました。)これと日本人の態度を比較すると、どうも日本人は自国への愛着や誇りといったものをあまり抱いていなく、日本を脱することが良いことだと考えているような節があることを否めませんでした。それは少し悲しい感じがしました。

日本語に関してもうひとつ実感したことは、日本語というのは非常に礼儀正しい言語であり、故に、時には人と人との密接な結びつきを阻害してしまうことにもつながるのではないか、ということです。私の場合、留学以前に日本で生活していた20年間よりも留学中の1年間のほうが、遥かにより多くの口論を他人とした、といっても過言ではありません。原因のひとつには私の英語がつたないがために、言いたいことの婉曲表現がわからず、ついついきつい言い方になってしまったということもあるのでしょうが、日本語では相手の体面を気にして言えない言葉が、英語だとそれほど気にする必要もなく言えてしまうのもまた事実でした。代わりに、必ずといっていいほど、相手からも痛烈な一言が返ってきましたが。それでも、建前を気にしなくてもいい付き合いができるのは、とても気持ちの良いことでした。

今、1年間の留学を終えて、私は、今までとはまた違った形で人とコミュニケーションをとることができるようになりました。シドニーにいたことで外から見える日本像のようなものもぼんやりと輪郭が見え、その実際とイメージのギャップを埋めるため、世界にもっと日本を知ってもらうために、よりいっそうの努力をしたいと思っています。


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