9月28日シンポの告知に戻るトップページに戻る

ホームページには、賛同者を初め、さまざまなご意見が寄せられています。ここでは、その一部を、ご紹介したいと思います。

都立4大学とりわけ都立大人文学部や短大いじめは現代版の「焚書坑儒」か?

 都の大学管理本部が、打ち出した8/1の上意下達で知事が発表した「新構想」計画では、都立4大学に対するリストラにより教員を29%削減(講師以上の教員数628を448人へと削減)することが含まれており、これまでに行われてきた研究費・図書費の予算半減という大幅削減の上にさらに追い打ちをかけるものであり、大学の将来を暗いものとしています。

 とりわけ、都立大人文学部(138名を64名へ削減。文学系各学科、教育学科など)や短大の教員の大幅削減は、学問の自由や大学の自治を無視したやり方であり、現代的形態をとった焚書坑儒と考えられます。人文学部の各学科の学生定員が少ないことを口実として、教員定員の大幅削減を大学管理本部が大学に対して要求していますが、人文学部が、大学全体の教養教育に大きな責任を負っていることを無視した暴挙であるとともに、教養教育を重視するとした新構想とも矛盾するものです。

 語学・文学系教員の基礎教育センター(大学院教育の兼担がない)やエクステンションセンターへ送ること、しかも外国語を必修科目から外し、独習ですませるという方針は、国際性の向上という新構想の理念とも大きく矛盾するものです。これらのセンターは、教員定員が付かないので、将来の欠員補充ができず、管理本部や教学準備委員会では、外注化の方向で議論がされているとのことです。これらのセンターは、国鉄組合員を清算事業団に送り込んで嫌がらせをしているのと全く同じ構図が見えてきます。

 まさに、始皇帝の悪政をいさめた儒者を坑に葬ったことを想起させます。これらのことは、障害児教育の専門家である都立大総長やその総長の当選の基盤となった人文学部への陰湿な報復攻撃ともうわさされていることも、真実味があります。文学者を頂点とする東京都が、文化・教育を圧殺し、学問の自由、大学の自治を、偏狭な「効率主義」で押しつぶそうとしていることは、医療・福祉・教育の大リストラ都政政策の一貫と考えられ、都民にとっても誠に許し難いことです。

 これまでに大学として検討してきた大学改革計画を提示してきましたし、ビジョンを持っております。

 大学の意見を聴かないで、どうしていい大学は出来るのでしょうか。 

(都立の大学一教員)

※ 管理者の独り言:かつて、石原都政の下で、都立図書館の合理化を名目に、書籍・雑誌・新聞など大14万冊にも及ぶ大量廃棄が計画されたことがあります。文化人の顔をもつ石原都知事はその動きをどうおもっていたのでしょうか?

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これは大学改革という名のもとに、都の行政の失敗のツケを学生、教職員に押しつけ、教育の機会・芽を摘んでしまう大改悪案に他なりません。

そもそも都はバブル時代に建設した箱モノの維持費だけでも年間約400億円以上もの大金を費やしています。誰があのように巨大で豪勢な「東京都庁舎」を望んだのでしょうか?

その他にも、「東京国際フォーラム」、「東京芸術劇場」、「江戸東京博物館」、「東京都現代美術館」、「東京国際展示場」、「東京武道館」等1990〜1997年に建てられた施設はいずれも巨大で金食い虫です。またとても有効活用されているとはいえません。これらの施設を都民でありがたいと感じている人は皆無でしょう。

このような都の失政のつけを、このように教育という次世代の人材を育成する崇高な場に回してくるとは、とても信じられません。東京都は他に襟を正してやらなければいけないことがあるはずです。非常な怒りを感じています。

(多摩地区在住・都民)

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都立大学の廃止と聞き、大変驚いています。
親子2代で都立大に学びました。
「都民」ではありませんが、趣旨に賛同します。

(親子二代の卒業生)

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○ 教育の在り方は、中長期的に考えるべき問題であり、平成17年4月の新大学発足まで1年半しか残されていない中で、何らの経過措置もなく、人文学部を廃止することについては、現に都立大学で勉強している方々や、近く都立大学で勉強することを希望して準備を進めている方々に対する影響を考えると、余りにも無理があると思います。

○ また、真の意味の国際化を進めるためには、日本人として日本に対する理解を深めることが重要であるにもかかわらず、公立大学である都立大学において、人文学部を廃止し、日本語や日本文学を研究する学科すら消滅させるのは、日本人としての意識を大切にする石原知事の基本的考え方とも矛盾するのではないでしょうか。

○ 他方、都立大学関係者の方々にも、公費が都立大学の運営に充てられていることを改めて自覚し、都立大学としてどのような研究や教育を通じて都民、ひいては、社会に貢献していくのか、都立大学改革案の具体化に向けた建設的な議論を期待しています。

(都民・男性)

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 改革を正当づけその内容を確かなものとするためにも、そのプロセスは当事者の意思をわきにおいては進められません。

 シンポの成功と都民と関係者に開かれた議論の中でよりよい改革の方向 が見出されることを願います。

 またそうしたプロセスが「改革」の名のもとで生まれている多くの諸分野の困難を前進的に解決する上で大きな力となることを祈ります。

(市民・男性)

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 都立大学は学生・院生・教員・職員がいっしょになって、自由な学風をつくり、自由な討議の中で、自由な研究が育まれ、学生たちも生き生きと育ってきていたと思います。

 それは学生・院生・教員・職員が民主的な大学運営を大事にしてきたからでしょう。だからこそ、都民に向き合う大学運営や研究も自ずと進んできたのだと思います。

 そのような都立大のよき伝統をつぶして、教員をはじめ、学生・職員も含め、その誠意を上から踏みにじるような方法で、本当によい大学が生み出されるはずはないと思います。

(都立大学大学院卒業生)

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 こんなやり方がまかりとおれば、選挙で1回勝てば、首長は大学の改 廃を好き放題に出来るという前例になってしまい、全国的な影響を与え るでしょう。大学「改革」のモデルにされたらたまりません。

  周りの多くの人にしらせたいと思います。

(研究者)

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 東京都立大学人文学部卒業生です。

 これまで都民をはじめ広く市民(公民)に開かれた大学として位置づけられてきた東京都の大学が,ここにきて,とても不穏な空気が漂いはじめているのを,卒業生としてただただ傍観しているのは,とても我慢できません。

 現在行政機関をはじめ,あらゆる場面で“アカウンタビリティ”の必要性が叫ばれ,じじつそれを実行してこなかった行政に対しては,その問題性が指摘されています。

 今回のように突然の大学構想の変更を余儀なくした東京都庁の場合も,説明責任をじゅうぶん果たさなければならないことは言うまでもないと思います……東京都の最高実力者は,再選時に得た圧倒的(に一時的)な得票だけを根拠に都民の支持を得ている=説明責任を果たしていると“勘違い”しているように思えてなりません……

 また,問題が大学という高等教育機関……いいかえれば教育という文化的機能の再生産が行われる“場”……で起きていること以上,この説明責任と同時にその説明責任に基づいて正しく組織が作用しているかを
監査システムがなければならないと思います。

 長くなってしまいましたが,上記のような思いから,私は呼びかけ文に賛同させていただきます。少なくとも,これまでの経緯についての説明,そしてこれからの行く末について市民の願いを反映した大学構想が検討されるべきではないでしょうか。

 最後に“開かれた大学”が“閉ざされた大学”にならぬよう,そして都立の大学に入ってよかったといつまでも思える存在であってほしいと一卒業生として,切に希望いたします。

(卒業生)

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 都立大学枝の攻撃は、都立高校・養護学校への攻撃が一段落したから次 の段階に移ったものだと捉えるべきです。 

 大学の先生だからと言って敬意を表するほど石原は甘くはありません。

  都立高校に対して行われていると同じような攻撃があると考えるべきで す。「教育」にたいする全面攻撃です。 

 呼びかけに賛成です。

(高校教員)

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東京都の「教育改革」は大変政治的なもので、現場はもとより、児童・生徒が 視野に入っていません。都立系大学等においても同様の現象が起きているように 思われ、他人事ではありません。がんばってください。

(小学校教員)

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 かつて、家庭教師をしていたとき、教え子から「都立大学を受けたいのだが、どんな大学か?」と聞かれたことがありました。

 私は、友人が通っていることもあり、また、社会教育関係の集会でも関係者に大変にお世話になったこともあったので、「自由な校風があり、都民にもねづいて落ち着いていて良い学校だよ」と熱心にすすめました。結局、その子は親の転勤の都合もあって、都立大学には進学しなかったのですが……。

 このホームページによると、それがある日、それまでの大学での検討のプロセスを無視して、突然に都庁の命令によって、大学改革が進もうとしてるようですね。

 トップの命令になんの疑問も挟まず諾々と命令に従うだけの「大学」(これは、真理と学問を尊重する大学とは言えないと思うのですが)に、変質させられるのではないかと危惧しております。

 もし、この改革が都立大に行われるようになったら、私は今後、「大学に似て非なる」都立大に、進学することをけっして周りに勧める事はしないでしょう。

 実は、私は、現在、学部での専攻とはまったく違う関係の仕事についています。

 私が、この職業に出会ったのは、大学時代でした。それに出会えたのは、大学での自由で豊かな学びがあったからこそだと思っています。

 青年時代には、より多くのことを見て、より多くのことを体験することによって、自分の殻をやぶり、多様なものの見方をする力を身につけることが重要だと思います。

 今度の改革で犠牲になりそうな文学や文化・歴史・教育などの人文系の学問は、確かにすぐには「明日のパン」を創り出すことはできないけれど、その人の人生を広げる豊かな「未来の糧(manna)」であるはずです。

 今度の改革のように、なんでも目先の機能や実用性を重視するだけでは、かろうじて「その日暮らし」はできたとしても、豊かな未来を展望することはできないと思います。

 私は、都民であり、納税者であるというつながり以外に、都立大とは直接的な関係は、まったく無いのですが、今度の「改革」によって、都立大が大学としての性格を失い、そこに学ぶ者の希望をむしり取るとしたら問題だと思います。

 そして、これが前例となって、全国の大学・学校に波及することになったら……。

 この問題は、都立大だけでなく、すべての大学、小・中・高校などを含めたすべての学校の問題として取り組むべきだと思います。

 と、同時に、都立大の関係者も、自分たちの研究実践が本当に、都民のためのものになっていたのかを顧みて、石原流改革に対置できる、「私たちの都立大改革」の構想を私たちと一緒に練り上げていく必要があると思うのですが。

(シンポの趣旨に賛成する一都民)

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