「歴史学の文献を読もう」
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1.冒頭挨拶
メールマガジン「歴史学の文献を読もう」は毎週金曜日に発行されます。前週の誌上で発表した文献について、紹介・概要、考察・研究を掲載します。読者の側から異論、反論その他がこちらに送られれば、可能な限り取り上げたいと思います。
2.今週の文献
「世界史へ 新しい歴史像を求めて」
樺山紘一、木下康彦、遠藤伸一郎編
山川出版社
3.紹介・概要
「世界史のとらえかた」「世界史像の形成−学校教育における世界史」「世界史への興味−視点、方法、素材」「現代史をどう学ぶか−同時代史としての近現代史」の四章からなり、巻末には「歴史・歴史教育を学ぶにあたっての参考文献」が掲げられる。編者三名を含めて十数名の大学教授、高校教師がそれぞれ執筆し、世界史について、世界史教育についてを巨視的に、また多角的に論じる文章が並ぶ。
4.考察・研究
「時代区分をめぐって」
本著第一編第一章で樺山紘一氏は「空間と時代の区分」について、これまでの「西洋と東洋」といった区切りや、「古代・中世・(近世)・近代・現代」の四区分法(ないしは五区分法)に対して昨今の歴史家が疑念を抱いていると紹介し、再考の必要性を強調しているが、具体的な代替案については充分に示されているとは言いがたい。ここでは日本史における時代の区分に限定し、これについて考えていきたい。
・農耕の開始
ある民族がそこに存在するとき、ふつうは土地ごとに偏在している。相互の交易は盛んだとしても、当初はゆるやかな連帯にすぎない。支配・被支配の関係は生じなく、原則的に共生する。けれども農業の開始・発達により、定住化が進み、余剰生産物が蓄積されて、農業に直接従事しない神官や兵士といった特殊階級が成立していく。そして農業の発展に伴って増加する人口を支えるための農地を拡大する必要性、可耕地や灌漑用水の水利権の確保、余剰生産物の収奪などのために、人と人とが殺しあう戦争が始まり、本格化する。こうして村はほかの村を合併して国となり、各地に小国が分立する。つまり漢書地理誌に見える「楽浪海中に倭人有り、分れて百余国と為る」という状況が見られる。
農耕とは自然を馴化させることと同義であり、人が自然をおのれのほしいままに改変するという行為の最も初期の段階である。木を切り倒し、土を耕し、種を植え、水を与え、実がなれば収穫する。これまでの狩猟・採集とは明らかに一線を画す。ヨーロッパでの機械化・工業化の流れを「自然を征服する」という精神が推し進めただけに、現在の文明社会の出発点として農耕の開始をみなすことは妥当性を欠くとは言いがたい。
日本の場合、慣例的に縄文時代と弥生時代の二時代に区分し、前者までが狩猟・採集社会、後者からが農耕社会と分類される。ただ、縄文時代にすでに稲作ははじまっていたという研究や、稲作以前に芋を主食とする社会があったという研究もあり、日本史におけるこの区分にはまだまだ定かにはなっていない。
・中央集権の追及
樺山氏は本章で「従来、世界史の論述は、基本的には、政治史中心」と述べている。この発言を裏付けるように、たとえば日本史の5区分法では、中世と近世、近世と近代のそれぞれの区分けは政権の交代、すなわち政治史の立場から統治権の移行による。前者は朝廷(天皇家、摂関家ないしは平家)から武家(源氏、足利氏、徳川家)、後者は武家から天皇と薩長への政権交代による。しかしながらここに時代を区分するだけの変化があるだろうか。たとえば江戸時代から明治時代への移行について考えてみよう。統治者は江戸の将軍から薩長の藩士に変化したにすぎず、武士から武士に政権が移っただけである。またなにより、ヨーロッパの合理的な制度が数多く採用されたとはいえ、被支配者の生活や文化に決定的な影響を与えたとは考えがたい。政権の交代に、農業の開始以上の、あるいはそれと同等の影響力を認めることはできない。
それよりもむしろ、従来の歴史観における弥生時代のはじまりから第二次世界大戦後の工業化までのおよそ二千年間を、中央集権国家の誕生とその発達とみなすべきではないだろうか。
農耕の開始以来、各地に分立していた小国はやがてひとつにまとまっていく。それが大和朝廷である。こうして畿内を中心にこれまでにない大和民族の連帯が生まれた。そして彼らは天皇を中心とする支配者集団として、国家統治に向かった。その過程で「日本」という国名を中国(唐)から認められ、また独自色の強かった九州や関東以北へも勢力を拡大していった。
その中で中央集権が追及された。8世紀には唐の律令を模倣して統治体制を改革した。また東海道ら七道を整備し、行政区画として国・郡・里をおき、それぞれ国司・郡司・里長に統治させた。
10世紀になると、次第に武士が力をつけていった。地方で反乱を起こしたり、畿内では宮中の警備にあたったりした。やがて藤原摂関家にかわって平家が台頭し、さらにこれを倒して源氏、北条家、さらには足利家が権力を掌握した。そして戦国の世を経て成立した江戸幕府において、中央集権はこれまでにないほどに確立する。武家諸法度や参勤交代により大名への束縛を強め、禁中並公家諸法度により朝廷統制の基準を明示し、身分制を用いて人々を士農工商・穢多・非人に分けて巧みに統治した。また極度の海禁政策をとり、貿易を独占した。こうして三百年に及ぶ、歴史上きわめて稀な安定した国家と社会を現出させた。
この体制はしかしながら相次ぐ飢饉やヨーロッパ諸国からの外圧により次第に動揺していく。これに代わった明治新政府はヨーロッパの国民国家に範をとり、廃藩置県により行政区分を一新し、地租改正により収入の安定を図り、また徴兵制により常備軍を整備し、あるいは学制により中央国家主導の統一的な教育による人材育成に努めた。さらに19世紀末には憲法が制定され、議会が召集された。海外にも積極的に進出し、20世紀初頭には国際連盟で常任理事国に列せられるに至った。それに伴って国民国家という概念も広く根付いている。これまでの中央集権国家は、その領域に対しては無頓着だったが、次第に領域と、そこに住む人々(国民)から成り立つ国家へと変わっていく。こうして中央集権国民国家が完成したといえる。
いま地方分権が盛んに叫ばれるが、実際には進んでいるとは言いがたい。それはこれまでの中央集権への道のりが実に長く、にわかには方向転換しがたいためと思われる。あるいはこれよりもずっと強い力としてグローバル化が急速に推し進められ、国民国家の壁を強く揺さぶり、新たな時代のはじまりを予感させている。
捕捉「人口増加に見る時代区分」
人類は人口ピラミッドの頂点に立つ。ふつうならば頂点は最も少数であるが、この場合は完全な、しかも圧倒的な逆三角形となる。その要因としては、食料をみずから計画的に管理し、また意のままに生み出すことを可能とした農業、火・家・移動・保存・服・電気などの技術、病気や怪我から人々を守り、また未熟児をも成人させる医療の三点があげられる。この三点以前、すなわち旧石器時代頃の世界人口は、発見された遺跡の調査などからおよそ五百万人と推定される。これは現代の人口60億人の1000分の1にすぎない。この間の人口増加を調べてみると、実に興味深い事実がわかる。実は常に安定して増加しているというよりはむしろ、一気に増え、その前後は微増という傾向がある。具体的には道具の製作、農耕の開始、科学と工業の発達のときに一気に増えている。人口の急激な増加は、それをもたらす事象がいかに人々の暮らしに影響を及ぼしたかを端的に物語る。いかなる時代区分をしようとも、この三点は決して見逃されるべきではないのではないだろうか。
(人口の増加については岩波新書「生命と地球の歴史」を参照した。)
捕捉「電気の普及」
時代区分が人々の価値観、具体的には生活様式や文化水準に決定的な影響を与える事象が生じたときに基づくべきだとすれば、農耕の開始と並んで電機の普及があげられるのではないかと思われる。
工業は豊かな社会を育むための起爆剤となった。けれども初期の段階では国の基幹産業や軍需産業にばかり投下され、一般人の生活必需品や、あるいは農耕具などにはほとんどの場合において見向きもされなかった。実際に人々の生活観を様変わりさせたのは工業化そのものよりもむしろ電化ではないだろうか。いわば「はじめに電気ありき」である。電気は生産者にも消費者にも工業化を身近なものとさせた。またパーソナルコンピューターやインターネットといった、人類の歴史において画期的な発明の呼び水にもなった。火力発電にせよ、水力発電にせよ、あるいは原子力発電にせよ、そこから生み出される電気を失ったときに現代人がいかに苦労するかを思い描いてみれば、現代社会における電気の存在感の大きさがよくわかる。同時にこのことは電気の利用に関しても現代人が考える必要があることをも示唆している。環境の保護を念頭においた、効率のよい電気の作り方、使い方は人類の今後を占うといっても過言ではない。
5.来週の予告
(省略)
発行者:福原瑞穂、Laboratory1983@aol.com