京都旅行記(8月10日(車中泊)〜12日)

この旅行記は、基本的にはすべてノンフィクションです。ただ、個所によっては推測等の誤りのため間違った情報を載せてしまっていることがあるかもしれません。それについては、訂正いただけると幸いです。

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<8月10日>

今年の8月は例年にない涼しさ。といいつつもこの少し前に台風が日本列島を通過してからはパッとした晴れ間が東京にも照って、前日から夏日になっていた。夜になってもまだ暑い。

大河ドラマでも見ながら昼飯の残りで済まそうかと思っていたところにまめが帰宅。なんと仙台のウニ弁(!)を持って帰っていたので急に豪華な食事になった。ウニ弁ウマー



大垣夜行は今年からムーンライトながら91号92号と名前を変えて全席指定になっていたため、去年までよりはゆっくりとした出発。2時間前から並ばなくてもいいのはありがたいけど、あの雰囲気が味わえないのはそれはそれで寂しい気もする。おそらく日本で一番劣悪な列車環境がこの文明都市東京(品川駅発)で味わえたんだから、乗ってない人は後悔してもよいくらいだと思う。



とはいえ品川は去年ほどじゃないにしても結構な人がいて、しばらくキヨスク行ったりして時間をつぶす。

共通財布を使おうということになっていたのだが、おれがいまいち使い方を把握していなかったために当初手間取る(うへ)。のちにこれはおれの運の悪さの一端を物語ったのだということがわかるのだが、それは後述に任すとしてわれわれは一路大垣(岐阜)へ。

23:55、臨時夜行の中で車中泊。出発時、ホームに2人組の女の子が寂しく座っていた。他の列車を待っているのかそれとも指定席券を買い忘れたのか。こんなところにもなんだかちょっとしたドラマを感じてしまうのが夜行列車のいいところ。車内には普通のムーンライトながらの券で乗ってるカップルもいた。普通の方はすでに出発したらしくてかわいそうになあと思っていたら車掌さんが苦笑いしつつもOKを出してた。よかったよかった。……ってあれ、今日は満席って言ってなかった?うそ?(結局大垣まで座ってたし)



<8月11日>

朝目を覚ますとそこは名古屋辺り……ではなくて、まだ豊橋だった。

寒い……。冷夏のためか単に冷房が効きすぎてるのか、おれの半袖短パン姿がいけないのかとにかく寒い。しかし眠らねば……とうつらうつらしながら結局名古屋を過ぎた辺りでようやく就寝。10分後に大垣着。泣。今度は長袖持ってこよ。



大垣から6時半の列車に乗って京都へ。この頃は雨模様でどうなることかと思っていた天気も京都で眼を覚ましたときにはすっかり晴れ上がっていた。おれも少し寝たが向かいの人が爆睡してた。なんというか、あられもない姿であったが本人の名誉のため名前と描写は伏せ。

8:32分、以外に旅行客っぽい人は少ない。ちなみに京都駅を出るたびにいつも思うのだが京都って駅前はわりと寂しい(いや、なんか変わったタワーとかはあるけどさ)。むしろバスや私鉄でいろんな場所に行けるからあまり発展する必要がないのかもしれない、そういえば京都って碁盤の目だからバスも走りやすいし地下鉄も規則よく掘れる気がするけど東京はそうはいかない、そもそも東京は碁盤の目じゃなくて中心から渦巻状に都市が作られているのだそうな、なんでもそうするとどこまでもどこまでもぐるぐる発展していけるからなんだってさ、ってことでへえって方はボタンをどうぞ。



今回の宿泊地は旅館「花楽」リンク。八坂神社のすぐ南の小道沿いにあるこの旅館は部屋も広くきれいだしおかみもきれいだし、なんと事前に頼めば浴衣や甚平の着付け(+そんでそれをもらえる)をやってくれるのだ。もちろんそれを頼んで、夕方には戻ってきてくれということだったので荷物を預けて散策に出発。今回のメインは東山の南かわのみち。

歩くんです、ええ、歩きますとも。



鍵善良房というのは有名なくずきり屋さんらしくて、本店は月曜休業のため八坂神社南側の支店に行くことにした。ここのくずきりを朝食にしようという予定だったのだが、それじゃあ空腹のためにくずきりをむさぼり食うというしょうもない結末になるぞということであらかじめ買っていた菓子パンを食べた。いま思えばこれ、わりとあとまで腹にきいたかも。

やや雲のある晴れ、そして風が少しあるので日陰にいるとなんとも気持ちいい。京都は普通夏暑いので旅行客は避けるらしく穴場だそうな。(へえ)。それでもやっぱ時間に従ってだんだん人が増えてきた。んでわれわれは鍵善良房へ。

黒い器に白く半透明なくずきりと蜜、そして箸を入れるとからからと涼しく鳴って転がる氷……いやあ、いいですな。個人的には黒蜜がおすすめだけどまめは白の方がよかったそうです。おみやげに竹に入った水羊羹もおすすめ、宅配もしてくれる、と。



このすぐ南から二年(寧)坂、三年坂が始まって、やがて清水にたどりつく……のだけど、今回はその入り口をちょっと素通りして坂を登った。そこには一群の墓(そしてなぜか右翼っぽい石碑)!!そう、ここは幕末の維新志士1043人を弔ったお寺なのだ。

のどかな山肌に林立するお墓(ちょっと怖い)、そして突如超有名人の名前が彫られていたりする。これは幕末好きなら必見なんでしょうね、きっと。どうすか、新井さん(見てないか)。

入り口付近に坂本竜馬と中岡慎太郎が仲良く並んでて、みんなだいたいそこで帰ってた。にしても八坂神社の奥といいどこでもこの2人は一緒だ。たしかほんとはそんなに長い付き合いじゃないというか、そもそも坂本の方がよっぽど先輩だった気がする。

頂上付近には桂小五郎と幾松、そして一番上に伊藤博文。なぜ伊藤のほうが上なのだ……って、ここって実は、政治色ばりばりの場所なんですかねえ、もしや。なぜなら坂本の墓の隣にも日露直前「皇后様の枕もとに坂本竜馬現れ戦勝宣言」なんていうお話がまことしやかに書かれていたり、さらにちょっと違う道に入ると太平洋戦争の戦犯法廷で全員無罪を主張したインド人の石碑とか。ちょっとユニークなお寺です。

墓の真中ではあったけど、木陰の中での休憩はよかったです、早くも、休憩だけど。こういうときって、ふと時間感覚を失うというか、自分がいつの頃にいるのか一瞬錯覚してしまいそうになりませんか? 幕末や明治にでもいるような、でも何が起こるわけでもなくただ木漏れ日の中セミが鳴いている・・・・・・え、ならない? おれだけ? いやー、ははは。



さて、いよいよ二年坂への第一歩。石畳の、歩道としては割りに広いほうなこの道は、昼前になるとさすがに混んできていた。外国人の多いこと。舞妓さんの多いこと。

暑さに負けてさっそくカキ氷を食ったりぶらぶらと店の中を覗いたりして徐々に上へ。まめは菜箸とかお香とか買ってた。茶碗もよかったけど、前に来たときに買ったしなあと思ってあきらめる。ただしクーラーにあたるために何件か冷やかしたのだけど(失礼しました)。

三年坂の一番上には明保野亭がある。ここも幕末当時には立派に歴史の表舞台に出る由緒正しい料亭。今は違うお店をやってるらしかった。



お昼過ぎに清水寺に到着! 何かが改装中だったのだがそんなことはおかまいなく進む。ここのいいところは入り口に入る前にすでに濃緑の山景色を見下ろせること。蝉のうるささも木陰の風の中で山を見下ろしていると心地よくすら感じられる。

しばらく涼んでから入場し、有名な「舞台」へ。なんか谷の方へ床が斜めっててちょっと怖い。ちなみにかの有名な「清水の舞台から飛び降りる」は、大和物語だかなんだかの「検非違使(ケビイシ)忠明いさかひのこと」とかいうやつが起源で、盗人を追ってきた忠明が、これを追うときにふすまをはずして飛び降りた……みたいなそんな話だと古典の授業で習った気がする(へえ)。

とにかくここにきたら飛び降りる真似をしながら写真でもとるしかあるまいということで写真撮影。清水の舞台をバックに……ってあれ、これじゃあ舞台から飛び降りたことにならないか。



清水ではおみくじを引いた。一年生のときの18切符旅行といい、旅先でおみくじを引くというのはなんか旅行の思い出を違った面から形作るのでいいと思う。などと思いつつ引いたらなんと。……凶??!!考えたみたら人生22年5ヶ月のうちでなんと2回目の凶。ぐへー。

「ゆるゆると急ぎすぎるな」とか書いてあるわりに「しっかり勉強しなさい」とか書いてあって、一体どうすればいいんだと思いつつも、実際この板ばさみ的状況こそが運の悪さを物語っているのかもしれない。急な思いつきはだめ、争い負け、失せ物出ず、賭け事負け・・・・・・。

ちなみにまめは大吉なんぞ引きやがってうかれている。万事よし、争い勝ち、賭け事勝ち、だそうだ。今回はなんにせよまめに従おうと堅く決心したことは言うまでもない。



<8月11日午後>

よし、じゃあ昼飯にするかぁ!!と駅に向けバスに乗ったのが午後3時。さすがに閉まってないかだんだん心配になってきてバスを降りると泉仙駅前店に電話をかけた・・・・・・まだやってるらしい、よかった。

この泉仙(いずせん)は精進鉄鉢料理というのを出してくれるというお店で、伊藤秀史先生に教えてもらったものである。ありがとうございます!でもちょっと場所が違っててやや迷いました(泣)。

鉄鉢というのは托鉢をするお坊さんが錫と反対の手に持ってるあの鉢のことで、そこにいろんな精進料理を入れて食べるということ。 もちろん肉類は出ないんだけど、天ぷらとか田楽とか煮物とか、とにかくすっごくおいしいです。しかも食べる前には抹茶と茶菓子がついてきます。食前酒もついてきます。3時に行っても空いてます(さすがにほぼ貸切)。京都駅前でお昼を食べる人はぜひ候補に入れておきましょう。ちなみに個人的には胡麻豆腐のおいしさが格別でした。もともと胡麻豆腐好きでたまに食べるんですがあの食感はなんつーか、言うに堪えませんな。



食後は着付けがあったので再びバスを使って旅館へ。バスカードは必須である。予約してあったのでチェックインは軽く済ませてお部屋へ。

和室というともっぱらゼミなんかで使う合宿所にしか縁のなかったため部屋の広さときれいさ、ふかふかの座布団に素直に感動してしまった。いやあいいですなあ、旅館って。

とそうしてくつろいでいると旅館のおばさんがやってきて浴衣の着付け。浴衣、ねえあなた浴衣ですよ、浴衣!ねえ、浴衣!いやぁ、やはり日本人は浴衣に限りますな、うんうん。藍色浴衣に赤い帯、ねえ!


ちなみにおれは甚平さん。基本的に顔が幼いのか背格好がやわなのか、なんだか風ぐるまのない大五郎のようになってしまいました。「ちゃぁん!!」



さて昼の遅さもあって夕飯にはまだまだ早い時間だったので、夕涼みを兼ねて円山公園、八坂神社あたりをゆるゆると散策。不思議とこの時間あまり蚊が出なくて、有名な桜の木の近くで座ってたり池の周りを鴨だかあひるだかみたいな鳥とともに橋の上から眺めたりして過ごす。

知恩院がすぐのところにあったのだがこちらはもう閉まってた。その隣にはまた右翼っぽい感じの碑が立っていた。京都って共産党が強いとこだから左なんだとずっと思ってたけど、むしろ両翼によってるってことなんだろうか。



8月。京都に来るには例年ならちと暑いこの時期だが、しかし夜時間があるならこの時期をむしろお勧めしたい、というのは、ぼくらが行った時期はこの少し南にある高台寺において夜間観覧をやっているからだ。ちなみにお盆周辺の2、3日は清水寺でもやってるらしい。

ライトの中で白く浮かび上がる庭園というのはなんともきれいで、特に竹林の間の道は青白く光って明るかった。お堂の軒で座ってることもできて、ゆるゆると涼みながら9時過ぎまで座ってただろうか。暗がりで見る枯山水は本物の池や山のようで、その水流や波紋に思わず目を見張るほどだった。高台寺のライトアップはなかな幻想的で、はしゃいだり急に無口になってみたり、話をしたりして楽しかった。



ようやくお腹が減って先斗町辺りへ行ってみるもさすがに10時を過ぎてやってる店は少なく、しかもさほどお腹が減ったわけではなかったので適当に済ませる。雨がぽつりぽつりと降ってきたが、今日最後の目的はどうしても果たさなくてはならない。

先斗町から西へ一本道を出ると川沿いの小道。ここから地図を片手に2つの建物跡を探す。酢屋は酢屋嘉兵衛という人が昔住んでいて、よく坂本竜馬が泊まっていた家。その坂本が暗殺直前に移ったのがそこからしばらく行った近江屋。そこで起こった事件は言うまでもないですね。

それにしても時代は変わるといおうか、酢屋は細道に面した家屋で今でもその様式が残っているのだけど一方の近江屋は旅行代理店。隣はパチンコ屋さん。そしてすぐ近くにある京都土佐藩邸跡に立つ小さな石碑には客引きのホストの兄さんが手をついてぼけっとしてて、さすがに刀を抜いてどけいこら無礼ななどとは言えなかった。優しい僕(ちが。
まあ140年も昔のことですもんね。



部屋に帰ると布団が敷かれていた。もう明日帰るなんて想像もつかない。



<8月12日>

前日の車中泊が寝不足だったこともあってか翌朝は8時朝食のところを目覚めたときには8時。おいおい。朝食はさっぱりしてるながらも品数多くて、特になんとかというどろっとした湯葉がおいしかった。食後は部屋に戻ってもう少しだらだらしようと思ってたら布団があげられてた。無念。



前日夜はぱらついていたにも関わらず結局雨は降らぬまま京阪線(四条駅)で中書島へ。伏見と呼ばれるこの一帯は酒どころで有名らしく、月桂冠や黄桜の博物館が昔ながらの様相で川に沿って立ち、その川には昨日の雨を含んで柳がさらに首をもたげていた。

この月桂冠の大倉記念博物館は300円で試飲にお土産付きという「おいしい」博物館。伏見と酒のつながりに興味がある人もない人も、酒好きならば行くべきである。またそこで試飲できる(販売もしてる)梅ワインは主に輸出用で、日本では他に東京のなんとかやでしか買えないというお酒。これがなんで日本で売らないのかというくらいおいしくて、しかし600mlくらいのビンで700円という安価。これは買いですよ、買い。

ちなみにこの月桂冠、かの有名な鳥羽伏見の戦いで新政府軍に町を蹂躙された際うまく難を逃れて焼けずに助かったそうで、ではその「なぜ助かったか」が具体的に書いてないあたり、酒と政治のきな臭い関係がにおってくるようでいいじゃないですか。



……と、言いつつも実はおれの出発時間の関係であまり長居はできず。残念。昼飯は(今度は12時前に)黄桜のやってるレストランで食べる。やたらと広くて、でも値段も安いしやっぱり知名度のためか12時頃には人がいっぱい来ていた。利きビール三種もおすすめ。



さあ、今回の京都旅行、その最後の締めくくりは伏見・寺田屋! ここはなんといってもお登勢とお龍、そして坂本竜馬。

幕末の京都はさっきの酢屋しかり寺田屋しかり、土地の町人たちが志士をいろんなところにかくまったりして陰から支えていたようでおもしろいと思う。天皇の膝元京都ならではなのだろうか。

このお登勢もそんな感じの女性だったようで、幕末の志士を多数出入りさせており、坂本もその一人。2階に寄宿していたときにあるとき幕府方の役人がうろついているのを見かけ、風呂に入っていたお龍は裸のままで階段を駆け上って坂本を逃がしたというその風呂も部屋も銃痕も残っている。特に風呂は石床なのだが、すっかりつるつるになっているのと微妙な狭さが妙に古さを感じさせて、すぐ出たところに彼女が駆け上ったという階段を見つめながらなんだかぞくぞくしてしまった。

他の部屋はすでに少なからず改装されたりしてるんだろうけど、ここの石床だけはどうにも本物で、そして彼女が裸足で踏んでいたその床を自分もじかに裸足で踏んでいるのだ。
隣の部屋には当時撮られたさまざまな写真があって、おれはお龍さんの写真を見るのは初めてだったけど意外なほど小柄な、しかし引き締まって意思の強そうな顔に圧倒された。

坂本の死後土佐へ引き取られるが家族とはうまが合わなかったという。坂本とお龍という変わりもの同士の組み合わせだったからこそうまくいったのかもしれない。変わり者といえばそこの番台に座るおばさんは、客商売のくせに妙に愛想が悪かった。

ちなみにこの寺田屋は事前に申し込めば宿泊も可能らしい。現に寄宿ノートのようなものには訪問者がめいめい好きなことを書いていた(一番多かったのは、「おれは大人物になってやるぜ、みててくれ竜馬さん!」というやつ ←本当に一言一句そう書いてある。なんかの有名セリフなんでしょうか?)。いつか泊まってみたいなあ。



<最後に>

午後1時半、京都駅にて解散。おれは山陽本線下りで実家島根へ(京都から8時間(夜10時帰宅))、まめは東海道新幹線上りで東京へ。ともに車内で爆睡したのは言うまでもない。

というわけで、車中泊込みで2泊3日の京都旅行報告は以上。今まで歴史関連の場所を一人でまわることはあっても、他人と、しかももともとそういうところには別段興味を持ってたわけじゃない人と行くのは初めてだったので退屈しないかちょっと心配だったのだけど、楽しんでもらえたようでよかった。おかげでこちらも一人で行くよりもずっと楽しく旅行できました、ありがとう。