認知科学入門

 認知科学とは何か。それは、大胆にも心をモデルとしてあらわそうとする試みである。 勘違いしてほしくないことは、認知科学は人工知能そのものではないことである(認知科学の一部ですが)。 人工知能とは、コンピュータ上で人間のような振る舞い(思考、判断、知覚など)を再現 することである。 認知科学におけるモデルはプログラムできる必要はありません(できるにこしたことはないですが)。 ここでは認知科学で用いられるモデルの紹介を中心にし、実験や調査のような研究はあまり 示しません。ここでは認知科学のおおっざぱな全体像を紹介するのとどめます (数少ない紹介されている研究は、古典的なものばかりです)。 そのモデルもここでは、必ずしも一般的な分類ではないが、思考と知覚とに分けて考えたいと思います。

図1  はじめに思考について考えて見ましょう。思考のモデルは典型的な認知科学のモデルであるといえます。 認知科学のモデルはコンピュータ・メタファーが用いられることが多いです(いまでは廃れていますが)。 簡単に言うと、感覚による入力=キーボードなど、短期記憶=メモリー、長期記憶=ハードディスク 、心的処理=CPU、運動による出力=モニターなど、といえます(用語は標準的ではありません)。 そして、長期記憶の中のデータは構造化されています(つまり、データ構造です)。 こんなことをいってもコンピュータの仕組みに詳しくないとよくわからないのでくわしく説明します(図1を参照)。

 私たちは感覚を通して文字や声などの情報を取り入れます。それはあるまとまりとして短期記憶に いれておきます。短期記憶とは私たちが あるまとまりのことをチャンクとよびます。チャンクとは意味のある情報のまとまりのことである。 たとえば、「とんぼ」は意味のある単語なので1チャンクですが、「るきそ」は意味のない単語 なので文字単位がチャンク(3チャンク)になります。 実際にできるだけ多くの文字を覚えてもらうという実験をおこなうと 7±2チャンクが限界であるという有名な研究があります(これはG・A・ミラーの行った 認知科学の先駆的研究です)。 つまり、短期記憶には7±2チャンクの領容しかないのです。つまり一度に覚えていられるのが 7±2チャンクということです。

 さて次にに重要なことが心的処理です。 短期記憶の情報は処理を受けて変形します。たとえば、「6+9」を処理して 「15」にします。答えが出たら声や文字として外に示します(運動による出力)。 H・A・サイモンは数学パズルのような問題を解いてもらいながら考えていることを 声に出して話してもらうというプロトコル分析の結果をもとに、問題解決の過程を フローチャートにすると言う先駆的研究を行いました (プログラムをやっている人は分かると思いますが、フローチャートとは物事を行う手順を 論理的に描いた図です)。 また、J・S・ブルーナーはカードをカテゴリー別に分けるという課題で ひとが(どのカテゴリーに入るかという)仮説をいかに用いるかということ(つまり戦略) を調べたこれまた先駆的研究を行いました。 このような心的処理をおこなうときに、短期記憶に領容の制限があることはどのような戦略を 行うかに影響を与えます(それまで出てきたかカードをすべて記憶できるわけではない)。

 さて、入ってきた情報だけではうまくいかないこともあります。 そのときは長期記憶から短期記憶に必要な情報を引き出すことができます。 長期記憶の情報を引き出そうにも、情報が適当に入っていると必要な情報を見つけるのが大変です。 そこで長期記憶の中の情報は整理されていると思われます。これは辞典を思い出して もらえばよいです。もし辞典がアイウエオ順やアルファベット順でなかったら単語を 調べるのがあまりに大変です。同じように、長期記憶の情報も構造化されているとされます。 バートレットは文章を覚えるときに、そのまま直接覚えるよりも文章間をつないで物語にするほうが 覚えやすい事を発見しました(このような記憶の構造をスキーマと呼びます)。 シャンクは私たちが物事を行うための台本(スクリプト)があるとしましたが、これも記憶の構造化です。

図2  最後にこのモデルにはうまく当てはまらない研究を紹介します。つまり、私たちは イメージを用いて考えるということです。代表的な研究は心的回転です。見せられた二つの図が 同じものかを答えるのですが、その答えるまでの時間が二つの図の間の回転角度に比例しているのです( 図2がその図の例ですが、実際にこの図を見せられる時間は一瞬、1秒以下、です)。実際に心的イメージを認めるべきかはいまだに解決されていません。

 次に知覚について考えたいです(私は知覚は詳しくないのでさっと説明します)。 知覚には思考とは異なり統一モデルはありません。知覚における心的処理は (パターン認識と呼ばれますが)思考とは異なり無意識的なものです。 また、思考とは異なり意味のある単位を用いません(当然!)。 だから、モデルも数式になることが多いです(ここでは紹介しません)。 たとえば、網膜上では遠近法により同じ大きさであっても、実際に私たちに見えるときには 遠くにあるか、近くにあるかたいてい分かります。このときの処理はもちろん意識には 上ってきませんし、意識しようとしても無駄です。 モデル作りでは錯覚のような例を説明することが求められます。 たとえば、夜中に外を移動しているとき月も一緒に動いて見えるのはなぜだろうか (ついでに説明すると、月の大きさと距離が私たちの日常の知覚物と比べてあまりに 大きすぎるために遠近をうまく処理できないためです)。 こちらにおいても重要なことは、知覚を説明できるモデルを作り出すことです。

図3  それでは、思考と知覚はまったく別々のものなのでしょうか。知覚にはトップダウンとボトムアップの二つの経路があります。 トップダウンとは、何を知覚するかという仮説をもとにして物事を知覚することです。たとえば、文字「A]のはずという前提で見て 実際に見たものにどのような特徴があるかを確かめて、やはり文字「A]であると確信するということです。逆に、ボトムアップとは 知覚している特長からそれが何であるかを確かめることです。たとえば、「斜めの線が2本に横棒1本が…」という特徴から それは文字「A」であるとすることです。注意しておきたいことは どちらの過程も必ずしも意識されないことである。有名な実験に「文脈効果」というものがある。 図3のようにまったく同じ文字でも、その文字の置かれた文脈によって「B」に見えたり「13」に見えたりするのです。もちろん、トップダウンもボトムアップもそれ単独で行われると考えるのは不自然です。実際には、その二つが互いに作用しあっていると考えられます。どのように作用しあっているのかを調べるのはこれからの課題といえます。

認知科学においてモデルは重要なものです。それは科学における仮説と同じです。 科学の仮説は、物事をうまく統一的に説明するものであり、たとえ間違っていようともとりあえず 立てるべきものです。それでなければなにも始まりません(批判さえできません)。 科学は単なる事実(実験や調査)の集まりであってはいけません。それを説明するための仮説(モデル) が必要です(もちろんその仮説(モデル)は証明されるべきですが)。 なぜこんなことを言い出したかというと、日本では認知科学のモデル(理論)があまりに軽視されていると 感じるからです。認知科学の先駆者たちは、その頃隆盛だった行動主義が心をあまりに無視したのに対して、 その心をあえてモデル化することで対抗したのです。結局日本では認知科学は輸入品でしかありませんでした (第5世代も失敗しましたし)。正直言って、認知科学の時代はとうに過ぎ去ったのかもしれません。 しかし、その精神は忘れるべきではないと思います。過去を知らなければ新しいものは生まれません。



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