プラグマティズム(pragmatism)

Definition for James Baldwin's Dictionary of Philosophy and Phychology(published in 1902)

 …(2)考え方をはっきりさせるために次のような格率を適用することによって 形而上学はかなり明らかにされる、という意見。 「次のような結果を考えてみよう。おそらく実際のふるまいを持っているだろうところの、 私たちの概念作用(conception)の対象が持つだろうと思われる結果を。つまり、私たちの概念作用の結果 とは私たちの対象の概念作用の全体である。」(以上、C.S.パース)

 概念作用の「意味」全体は実際の結果において表れると言う説。もしその概念作用が 真であれば、その結果は促された振る舞いという形または期待された体験という形で 表れ、もしその概念作用の結果が偽であれば、その結果は異なるだろうし、 他の概念作用の意味が次に表わされるところの結果とも異ならなければならない。 もし二番目の概念作用が他の結果を持つと思われないならば、それは実際に異なる名前 における最初の概念作用でしかないに違いない。方法論において、それぞれの結果を 追跡し比較することは異なる概念作用の異なる意味を確立するのに見事な方法であることは 確かである。(以上、W.ジェイムス)

 この格率はチャールズ・S・パースが1878年1月にPopular Science Monthlyで最初に提案した。 彼はそれが現実の法則にどのように当てはめられるかを説明した。 その著者はカントの純粋理性批判への熟考によってその格率に導びかれた。 実質的には、存在論についての同じ扱われ方がストア派によって行われていた。 その著者は同じ基準で測れないことの理論全体、実際には微積分に関する ワイエルシュトラウスの方法全体、を一掃するために、その原則がたやすく誤用される だろうと、続いて分かった。1896年にウィリアム・ジェイムスは「信じる意思」を発表、 後には「哲学の概念作用と実際的結果」で、私たちに躊躇されねばならないほどに極端に 彼の方法を押し出した。その説では人の目的は行動であると仮定されたと思われる。 60歳の現在の著者にとっても30歳の時にそうだったように強く勧めないストア的な公理である。 逆に、もし行動は目的を必要とするとか目的とは一般的な記述の何かでなければならないとか と認めるならば、私たちは自分たちの概念を理解するようにきちんとにその概念の結果 に注意すべきというその格率そのものの精神は、私たちを自分たちの思考の真の解釈としての 実際の事実とは異なる何かへと、すなわち一般的概念へと導びいてくれるだろう。 それにもかからわず、長年の試みのあとでは、その格率は思考を比較的にかなりの程度に 明確にすることへと導く上ですばらしい有用なものとしてその著者に認められている。 それは念入りな徹底さをもって現実にいつも当てはめるべきだと、彼は思い切って言っている。 しかし、それがなされるとき、以前にはなされていない、、 それが注意を向けたところの実際の結果が支えることのできる唯一の根本的な善は 具体的な合理性の更なる発展であることを覚えていることによって、思考のさらに高い段階の 明確さを得られることができる。すると、概念の意味はいかなる個人の反応にも全く 存在せず、それらの反応がその発展に貢献するところの仕方の中にある。 上で参照した1878年の論文では本当に、よいことにその著者は説教をするよりも実行をした。 なぜなら、それらの一般性において一般的な観念の対象の現実を主張するような意味で、かれは厳密な格率を最も厳密でなく適用したからだ。

  ここ4分の1世紀の間に広まった現在の意見では、合理性はそのものとしては善ではないが 他の何かのためでありさえすれば善であるという。そうであるかどうかは 総合的な質問であるが、合理性の理由が不合理であるというこのようなー矛盾の原理に訴えること では解決しない。ほとんどすべての人が今や根本的な善は進化の過程に何かしらの仕方で 存在することに賛成するだろう。もしそうならば、それは彼らの人種差別の中ではなくて、 一般的または連続的な何かの中にある。癒合、連続すること、法のよって統治されること、 一般的概念への直観はほんの一つの段階に過ぎず合理性の成長の同じ過程であるという考えに 連続主義(Synechim)は見出される。これは初めは論理学の領域における数学的厳密度において真であると 示され、そこから形而上学上で善を保つために推論された。パースがそれに適用したところの 方法によるプラグマティズムに対してそれは反対しないが、一段階としてその手順を含む… (以上、C.S.パース)




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