History of FREEWAY 


FreeWayの前身、軽音楽部誕生

古くは植木等らが創始したといわれる軽音楽部。 軽音楽部創設には諸説があるようですが、NHK TVのドキュメンタリー番組でご自身がおっしゃっていたところによると生活費稼ぎの為に友人たちと「軽音楽部」を創ったのがやはり始まりらしいです。

旧軽音楽部はこれまた年代不特定ながら昭和40年代にメンバー増、ジャンル多様化、政治活動の有無などからロック・ジャズ・フォーク各分科に分割されたということです。これが現在の軽音ロック、軽音ジャズサニー、軽音フォークフリーウェイの前身ですが、まだ当時は「軽音楽部フォーク分科会」という名でした。

FreeWayネーミングのよた話

さて1984年12月、当時の新部長に決まった国井さんが、フォークやってる人もほとんどいない状況でいいかげん「フォーク分科会」も無いだろうと改名を言い出します。

全面的な改名となると無茶なOBが包丁持って乗り込んできそうなんでという配慮もあり、"軽音フォーク"は残してなんか名前を付けようとのことでした。ミーティングの場でその呼称を議論し多くの案が出たらしいんですが、結局サークルの売りである"何でもあり"をもじってFREEWAYとなったんだそう。

ちなみにもう一つの候補の名前が 『PIYO PIYO』だったらしい。7:3位でフリーウェイに決定したが、 ぴよぴよだったら、このサークルもずいぶんと変わっていたのだろうか…?

とにもかくにもFreeWayの呼称はここから始まります。

暗黒の時代からの復活、そして発展へ

私(情報提供者、以下同人)が入部・入学したのは82年春ですが、その前年まで活動場所としていた山の旧8号館が取り壊されてしまい軽FはBOXもない状態でした。 取り柄といえば、古いんで文連・音連会員サークルで旧7号館の音楽練習場の使用権をもっていたことくらいです。

当時は一部、おそろしいほどの技術を持った仙人みたいな人たちがいた反面、現役からして正体不明な人物やら、ましてやOBともなるととても学生さんが近づけるようなカンジじゃない人たちまでいて、音楽サークルってよりは変人サークルでしたねえ・・・。早い話がタダの酒飲みクラブですよ。

入部する人も結構いましたが一年たってみるとほとんど4,5名しかのこらないというのがサイクルでしたこの82年の白山祭なんて大教室の一角をカーテンでしきっただけのスペースしか確保できなくて、バンドで音だそうもんなら周りから苦情が殺到してとても発表なんてできる状況じゃなかったのに加え、夜中にハデな酒盛りをその場でやって半ばで企画中止処分となり、地味ながら練習していたいくつかのグループは発表の機会さえなくなってしまう始末でした。

その後、これが原因で文連・音連から除名になるという話もあり、解散か?という空気もありましたが、どうにか活動はそのまま続けられることとなりました。

翌83年に当時の部長であった哲学科の渡辺氏がある演劇サークルと交渉し、彼らが所有していた旧2号館地下の道具置き場を新7号館の軽Fの道具置き場と共用にするという条件で譲ってもらい、サークルBOXを確保しました。

どうにか体裁を回復しつつ、幸運にも大量の新入部員をむかえてようやく音系サークルらしくなってきます。白山祭でも小さいながら専用で教室を押さえて全エントリが発表の機会を得られ、バンドも増えて内容もよくなってきました。


84年は国文科の部長さんが立ったんで、私はPA受け持ちでもっぱら電気周りを
担当していたんですが、部長さんがやっかいな宗教に入信してしまって自主退学。急遽、部長が回ってきちゃった。サークル内は引き続き変人集団から音系サークルへ急速に変化していきました。ただ、当時のOB会はこの変化をあまり歓迎してくれなかったようですが、私はそれでいいと思ってました。新入の一年生が一人ででもステージに上がれる空気を守りたかったんです。

84、85年度もたくさんの新入部員を抱えました。辞める人もいましたけど残る人も多くなり、色々なバカがたくさんいて本当に楽しく過ごさせてもらいました。

卒業後もなんやかんやで4年間ほど合宿やら白山祭やらにお邪魔しておりました。最終的には89年入学ってことは93年卒業のメンバーまで顔をあわせたことになります。


(kuma様、H・O様の情報提供によるものです。ありがとうございます。)


軽音Fのフシギな恩人 高似良クマ氏

彼はもともと私と同学年でJAMというサークルの中心メンバーでした。当時のBOXは一つおいて隣であちらも音系でしたのでよく行き来してましたし競馬・麻雀はプロでしたんでみんな指南してもらってました。

私の卒業後、いつのまにかFWのメンバーとなり、どこからともなく器材や楽器を色々と調達してくれた上にサークルそのものの面倒までみてもらっちゃって、 まったく頭が下がります。ただ彼は結局、いつまでが現役でいつからOBなのか? 本職は何なのか? 私にも今もってわからないんです・・・。

管理人より:以前このページで高似良を高井良と間違えて掲載した事をお詫びし、訂正します。

この事については、ご本人がコメントをくださいました。以下の通りです。


謎の、高以良Kuma氏です。高井良ではなく高以良です。「たかいら」と読みますが、 学生時代から Kumaと呼ばれておりました。高以良に訂正しておいて下さい。 この呼称は、JAM在籍当時もFFAでツルんで遊ばせてもらってました頃も、就職してからも同じです。詳しくは白山駅側の映画館というJazz喫茶でお聞き下さい。おばちゃんやマスターが詳しく説明してくれると思います。

サークルには器材提供や音楽の指導などで関わってきました。毎日新聞社関係のカメラマンをやっていた時期もあり、その当時の技は同じくOBの柴崎に伝授したつもりでいます。現在、医療機関(整形・形成)にて患者を相手に日々過ごしております。

それでは。


KUMA氏、ありがとうございました。